アデルを聞くと、あの日を思い出すー14歳で反抗期を終えた息子とオカンの物語(11)
息子が通っていた小学校は、毎年12月と5月に音楽発表会がある。
その年の9月から4年生になった息子は、11月に教室で暴れるという事件を起こしたけれど、その後は落ち着いたのか、毎日楽しそうに学校に通っていた。
ある日、息子は言った。
「お母さん、お父さんに会いたい」
と。
別にヘンなことじゃない。
お父さんに会いたいのは良いことだよ。
過去にも何回か訊いてきた。
その都度、旦那に連絡をしてどうにか会えないものか訊いたのものだ。だけどスケジュールが合わなかったりドタキャンされ続けて2年半会えない状況になっていた。
だけど今回はちょっと間が悪い。
親権裁判を再びし始めた時だし、正直彼に対してわたしは腹を立てているから必要以上に会いたくないのだ。
会いたくないのだよ、息子よ。
「それは会わせてあげるべきだよ、あきつ」
と、息子の精神科医のマイクは言う。
そりゃ言うよね。
だってずーっとお父さんとお母さん2人がサポートして息子の精神的ケアをしなきゃってずーーーーーっと言ってきたんだから。
「ちょうどいいじゃないか、コンサートがあるから、そこに来てもらえばいいじゃない」
と、ナイスアイディアだ、と目をきらんとさせて、にっこり笑ってマイクは言う。だけど約束しても旦那のことだからきっと約束は破るよ、また破られたら息子のメンタルが気になると伝えたあたしにそう言ったのだ。
だってさ、マイク、ついこの間、親権裁判をまた始めて、さらに息子が教室で暴れてちょっとわたくし、メンタルやられているんですよ。そこに、さらに旦那と会わせるアポを取れと言うんですね?
あたしは旦那に息子がどこの学校に通っているのか教えてなかった。
というのも、知らない間に息子に会いに来られたら困るからだ。
もちろん学校に提出している資料に名前の無い人は子供と会うことができない、たとえそれが肉親であっても、だ。
世の中にはドメスティックバイオレンスから逃げてきている人達も多いから、その辺りは本当に敏感に動いている。
旦那がそういったことはやらないのはわかっている。
わかっているけれど、気持ちとして勝手に息子に会って欲しくなかった。
だけど、息子と旦那とどこで会わせればいんだろう。
学校じゃない所で会うと、約束を破られる確率は高い。
かといって学校に呼ぶのもイヤだ。
とはいえ、旦那には息子がどんな学校に通っているのか知る権利はある。
そして息子が会いたいという気持ちは尊重してあげないといけないし……
ぐるぐる、ぐるぐる、葛藤。
「マイクと3人で会ってくれるのなら安心できる。マイク、会ってくれる?」
「もちろんだよ」
OK. Deal.
交渉終了。
そしてコンサートの日になった。
コンサートが始まる時間は、6時半。
そして生徒達は準備があるために6時過ぎには講堂へと集まる。
両親たちは6時過ぎから講堂へ入ることができる。
旦那は5時半には学校に着くと連絡があり、そして忙しいのにマイクも駆けつけてくれた。
息子が通っていた小学校は4階建ての校舎の2階を使っている。1階は高校が、3階と4階はチャータースクールが入っていて、講堂、カフェテリア、校庭をシェアしている。
落ち着かない。
浮かない顔をしているあたしにマイクは「大丈夫だよ」となだめてくれる。
階段と廊下を繋いでいる扉が開いて、旦那が入ってきた。
家庭裁判所で見た以来だ。
旦那にマイクを紹介して、マイクが生徒たちと話をしている、いつも使っている部屋へと消えていった。
今日、息子のお父さんがやってくることは担任の先生に予め伝えてあるので、コンサートが始まる前まで教室で待っていた息子を呼び出し、マイクの部屋へ連れて行く。
「お父さん!!!!!」
あのときの、息子の歓喜の声は今でも忘れられない。
*
マイクを紹介してくれた1年から3年生まで息子の担任だったカルロスに「今、Tのお父さんがマイクの部屋にいるんだよ、挨拶する?」と、コンサート前に、教室でくつろいでいたところに聞いてみた。
「もちろん」と言ってマイクの部屋に入っていったカルロス。
少ししたら出てきて、何も言わずにっこり笑ってあたしの肩を優しく手を置く。
*
「あきつ、Tのお父さんが来ていたんだって?」
と、幼稚園の時からクラスメイトで仲良しのKくんのパパが講堂に入る前に聞いてきた。
「あんなに嬉しそうなTの顔、初めて見たよ、幼稚園から知っているけれど」
本当にそうだ、と隣で頷いているAくんのパパ。
Aくんとは1年生からクラスメイトになって、アフタースクールも一緒だからここ3年ほど仲良くしている。
KくんのパパとAくんのパパは黒人だから「黒人の男の子」として知っていけなきゃいけないルールなどあるのか、日本人のあたしにはわからないことを赤裸々にぶつけて教えてもらったりしていた大切な存在。
あたしには分からないところで彼らは苦労したのだろう。旦那が養育費を払いたがらないことに対して腹を立てていた。
だから、より親身になって息子が間違ったことをしたときは怒ってくれた。
「キミのことが好きだから、息子のように思っているからだよ」と言って。
今回も「僕たちはあきつの味方だからね、何かあったらちゃんと言うんだよ」と言ってくれた。
旦那は息子のコンサートは見ないで出て行ってしまった。
夜中に仕事をしているから、見ることができなかったのだ。
コンサートが終わった後、息子は上機嫌だった。
そりゃそうだ、会いたかったお父さんに会えたんだもんね。
マイクも良い機会だからもっとお父さんに会わせよう、と旦那とのミーティングが終わった後言ってきた。Good Job だったよ、という一言も忘れないで。
あたしはものすごい複雑だった。
息子のはじけるような歓喜の声を聞き、あふれ出る喜びの笑顔を見て、お父さんと会わせないようにする権利は母親にはない。
だけど、会うと言ってドタキャンばかり繰り返していた旦那と会わせるのは気が引ける。またドタキャンされたら息子の心理にどんな影響があるのか不安しかない。
実は息子が暴れたとき、マイクだけでなく、スクールカウンセラーのアリス、担任のアレン、息子にわたしを含めて5人でミーティングを開いたのだ。今後どうしたらいいのか、どう息子をサポートしていけば良いのかを話し合ったのだ。
個人的に1年から3年生まで担任だったカルロスにも相談をしていて、カルロスの意見もその時に伝えたりもした。
その話し合いが終わった後、やっと落ち着いて学校生活を送っているのに、父親問題が関わってきたらどうなるのか、正直言って考えたくなかった。
もう、もめごとはゴメンだと思っていた。
*
それから旦那は息子とは会わなかった。
親権裁判はすんなりいって、あたしに単独親権が降りた。
❖ ❖ ❖
11月の家庭裁判所でのこと、同じ日に息子が教室で暴れて精神科医へ行ったこと。12月には旦那が学校にやってきて、それからまた会わない日々に戻った。
ふとした瞬間にわけもなく涙が流れて、そしてそんな時に、街中至るところからアデルの Hello が聞こえてきていたあの頃。
今でもアデルの Hello を訊くと、この日のことを、思い出す。
2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。