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『便座って、消耗品ですか?』#138(2025/2/16)

・おいらの頭の中とこころの整理メモ

3週程前、コーラをがぶ飲みしすぎて、あまりに眼が冴え眠れないことになってしまったため、カフェインを一旦封印していた。カフェインの魅力と魔力については過去の記事にもさんざん書いているんだけど、簡単にはやめられない。僕みたいにカフェインにびっちり浸っている人間からすると普通はぱっと辞められるものであっても、慎重を期して一日、また一日と薬物を抜くように辞めていくしかないのよな。

600mlのコーラを飲みながらネットに耽っていることを3日、4日続けたら、眠れなくてギンギンになってしまった上。肘に水が溜まって病院送りになった(苦笑)。学習能力ゼロか。ロキソプロフェンの湿布してからはすこし水は引いてきたけどね。肘をつかないようにして安静にしてたら治ります、と言われて湿布もらって帰ってきましたけどね。本当に学習しねぇな(溜め息)。だらしなさここに極まれり。さすがに反省したね。さすがにコーラの摂取やめてからは実によく眠れてましたけど20時半には寝れちゃいますからね(驚)

明日日曜から週替わりなんでさすがに久しぶりにカフェイン抜きかな〜。不眠が若干続いていて(深い眠りじゃなくて1時間毎に中途覚醒する)不摂生で再発したら情けないし怖いからね。そろそろ体調を整えるフェーズに移行しやす。

話は変わるけど、職場のデスクにはみんな何を置いてます?私物を置いている人、あくまでも仕事ということで私物を置かない人、いると思うんだけど、僕は私物がないと落ち着かないのと実用的なものしか置いてないですね。オシゴト用に参考図書としておいているのがマツダケン氏の作品集(2冊)と、槇原敬之氏の最新アルバムを最近までおいていたけど僕のうっかり持ち歩いてどこぞに紛失したら泣いちゃうのでApple Losslessで保存してあるのだがそれだけで容量を1GB以上も食っている(笑、パソコンはもちろん共有物なのんで私的なデータはおいておけないため、暫定的にコレはおシゴト専用のUSBに忍ばせてある・・・ま、サブスクでも聴けるようになったのでご指摘やお叱りがあればこれらのデータはすぐ撤去ですな)、不二貿易のアラームクロックベル(ホワイト)と、キングジムのビジュアルバータイマーと、丸美屋のふりかけアソートを1袋と、肘の滑液包炎からの保護用のプーさんのバスタオル1枚、ダイソーの老眼鏡ひとつ(これは持ち歩いてる)、三邦物産ってところの、「肌と。」っていうお求めやすい価格の(笑)ソフトパックのティッシュを2袋おいている。調べてもティッシュの紹介サイトはなかったな~・・・。

妹から”おあがり”でもらったモバイルバッテリーで動かすことのできるエレコムのUSB扇風機とか持ち込んだ。夏までの季節のうちはノーパソ冷却用として使えれば快適なんだよね、ま、今の時期のうちは極端に冷やす必要もないけど。なんだかんだ言って私物置いてるな。時々持って帰ったりしてるんだけど、同じもの同じ量だけ結局戻してるから意味ないか(笑)((注)この記事を出したあとまもなく、自主的にすべて持ち帰りました。何か言われたわけじゃないんだけど、モノが多くなりすぎたからね)

土日連休の初日の今日は自主的に午前中くらいまでネットを控えていたのだけれど、なにせスマホダウンロードやサブスクが浸透した今でも我が家では音源を全部PCで管理してるもんだから、ZARDやら槇原氏のUSBやらSDにデータを移して手持ちのコンポで聴こうとしたのはいいものの、データの互換性がなかったぽい。ええええええ。仕方ないので、寝るときに使っているPanasonic SC-HC420でコンポ自体に録音機能がある、昔でいう5CDチェンジャーのデータ版みたいなのがあるんですよね。コレを使って再度本体に録音中ですよ…ああ二度手間。せっかくの最新リマスタリングもまさかの圧縮にしちゃったら本末転倒なのにね〜。数時間ぶりにXを開くと、オフコースがデビュー55周年記念でボートラ2曲含め75曲の全シングルコンプリートペストをリリースするのだと!もう速攻で予約ですよ。3月、4月はサザン・オフコース・シュガー・ベイブ。もうドキドキですなぁ〜。

・「入口があって出口がある」論再考。

「入口があって出口がある」とは、村上春樹さんの著作「1973年のピンボール」に登場する比喩である。僕が村上春樹さんの著作を好きだということを知ってか知らずか、生前父は僕に命題として「入口があって出口がある」ということを諭したことがある、が、その命題はまだまだ解けてはおらず、僕を時折悩ませる。このきっかけは父と僕の関係にさかのぼる。私たちはどこにでもいる普通の親子であり、ある学校の先輩後輩の間柄でもある。おもえば僕にとって入口とはその学校に入学したところから始まった。その年の入学案内には、代表者M先生による前書きがあった。

「門に入る」

とあった。しかし、父はこの言葉に嫌悪感を覚えたらしい。「一番嫌いなことばだ」そうなのか。しかし僕は自分が苦手であったAより少しだけ偏差値が高ければどこでもよかった。よかったし、偏差値わずか一つ上の学校がまさか父の母校だとは運命のいたずらだろうか。父の足跡を追って学校を選んだこともあった。父にとっても、その学校の入学金を入金するところにわざわざ私を呼んだ。「本当にいいんだな?」と僕に尋ねた。そのフォームは儀礼的であったかもしれないが、父にとってそれはそれは息子に賭けた最初で最後の大博打であったろう。

僕の人生にとって、かけがえのない時期を彩ったその時代を思いをめぐらせるときに、両親の多くの労力と血と汗が憑依する価値の詰まったその紙幣の束を握り、僕のように酷く出来の悪い息子のためキャッシュディスペンサーに投入するというある意味で人生を賭して息子の人生を思う両親の博打は、ごく普通に学校を卒業し、普通に就職し、たとえ家庭を築くことは叶わなくても自分ひとりくらいは誰にも迷惑をかけずにいっぱしになにがしかのプロフェッショナルとしてメシを食うに足る生活をするという両親の思いを遂げることすら叶わず、複雑怪奇な生物の様相を呈する経世済民の世の荒波を渡らなければならない命題を背負う一般的な社会人としては、周囲の鼻を鳴らされる程大いに軽蔑され、ときに噂話になり多くの人の失笑を買うほど大負けを喫させてしまった。

こうして誰にも卯建(うだつ)の上がらない僕は世間の苦労に胡座し飯を食わしてもらうという、真っ当な感覚を持つ人ならば「義務を果たさず権利を行使する生きづらさと他人に食わせてもらっているある種の世間体にたいする恥」を感じつつ、小さく縮こまりながら、その暮らしを申し訳無さ程度に最大限透明化しそのすがたを社会に晒して生きていくしかなくなったのである。

しかし私人として、僕の人生における”思考の大海への航海”の愉しさや豊かさを思いを巡らせたときにわたしの両親が与えてくれたものとしてはどこまでも大勝ちも大勝ちを現実のものとしたのである。僕にとって思考とは、夢や希望や目標の源泉であり、かつ両親の愛情の溢れた安息のオアシスである。もちろん身の丈に合わなければ、屁理屈の泥沼に足を取られることはあるけれど。

思考はときに現実的かつ建設的なイマジネーションとは乖離して、何の制約も感じなくて済む”はず”の未来に胸を暖かくした刹那、自縛させられている関係あるものから解き放たれて、浮世離れした理想やロマンを描くことがある。夢や目標の源泉としては、いささか脆弱で幼稚であるかもしれないが、誰もが持つ誰にも気兼ねせず自己を追求できる桃源郷である。イマジネーションの安息地ですら、現在の国難に思いを起こすとき、悪態を吐き、開き直る悪政と、あたかもどこか遠くの人々のための遊興と保養地の建設予定地として脳裏の想像の地ですら、徐々に現実に圧迫され続け窮屈を余儀なくしあたかも地上げされるような感覚に苛まれる。

しかし幸いとして、今はまだ思いを巡らせることに規制の網は来ていない。
そろそろ今までの軌跡から、出口を目指して潜行してもいいんじゃないかと思う今日このごろだ。

★✩今日の作業用BGM★✩
不器用な青春時代/槇原敬之

This YouTube Content Copylighhted by 槇原敬之 Offcial Channel
「不器用な青春時代」/作詞・作曲:槇原敬之
Original Perfomed by Noriyuki Makihara

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