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日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#38(2023/5/19)

..........・「入口があれば出口がある」というお話について。(入口編)

父と僕は親子の関係だけでなく、学校の先輩後輩の関係でもある。そのような運命に誘われたのは、父の影響ばかりではない。僕が大学進学を決めた時、地元高校から離れた学校を選択したのは、A高校にて中学からの不登校を拗らせ留年が決定したことから中退(それも家庭科のミシン実習でエプロンが作れなかったことで単位を取れなかったことがその学校での留年へのトドメになったというお話、笑)し、僕が1年遅れて入学したB高校時代のある先輩兼悪友M(悪友とも呼べないかも知れないが)の影響があった。

はじめのうちは仲良くしていたのだけれど、生活の次元がまるで違ったことに僕が違和感を覚えてしまったのだ。本来関係のないところでの比較であり、相手には大変失礼であったことは承知している。

もちろん、これから述べる経済的偏見にたいする僕の行動に非があるとすれば、確かに悪友Mには詫びなくてはならないが、今から20年以上前の話であり、彼にも僕が評価するなりの非があり僕にとっても迷惑もそれなりに被ったので、それでチャラ、ということにしておいてもらおう。だがのちに彼の素行如何に関わらず、ライバルのような存在で居続けてくれたことそのものに感謝することになる。

話を元に戻そう。ともだちとして接する分に経済レベルなど関係ないはずなのに、うちは何せビンボー。僕が中学の頃から大好きなドラマとして挙げている『お金がない!』の冒頭部分を思わせる我が家…

人が金持ちになっていく過程というのは大体が似たりよったりだが、ビンボーにはまっていく場合は、まさに人それぞれの過程がある。が、そのビンボーも大きく分ければふたつの種類に分類できる。ある日突然襲ってくる突発的なビンボーと、様々な要素が絡み合ってズルズルと続く慢性的なビンボーだ。そしてこの物語の主人公ー萩原健太郎のビンボーは、突発的なビンボーからそのまま慢性的なビンボーに突入していくという、もっともドラマチックな、いわばビンボーの王道を行くものだった。

両沢和幸著『お金がない!』(フジテレビ出版)より引用

このようなありさまとよく似ていた我が家に対し、
彼の一族はまさに成功者の家といった佇まいであった。

今はどういう境遇にいるかはわからないが、その当時僕が悪友Mの自宅に招かれたときに目撃したのは彼の家に警備会社を付けていることだったり、家の入口には悪友Mの父親の胸像が立っていたことが強烈な印象として残った。

彼の部屋に案内されたときにもさらにびっくりした。当時の最先端だったWindows95搭載のパソコンが1台30万円から50万円は下らないであろうパソコンが6台だったか8台ほど並んでいたことにも驚かされた。

彼は仕事を特段していなかったが、ビシッとスーツを着て車で高校へしてきていた。そんなそぶりだったから、何も注目していたのは僕だけではなく、学校全体が彼の動向や言動そのものが注目の的であった。僕と同じ年齢ではあったが、僕が中退組だったことから学年は1つ上だったから、そういう意味でもいつ何処で何を始めるかわからない彼の行動はいつも注目すべき点であった。

悪友Mにも進路の話が出る時期となり、彼は地元の学校へ進学することが決定していた。(どちらにしろ僕のような高校生活ではボーダーフリー前後の偏差値のところにしか進学できないにしても)後出しじゃんけんにはなるが、自分は今のうちに頑張れば、悪友Mよりも偏差値の高い学校に行けるのではないかと算段した。

それから1年後、B高校で進学の時を迎えた。
ここから、僕の汚いこころのうちを晒すことになる。

そこで思い出した。父の母校(のちに僕の母校になる)が卒業生に向けて同窓会のある半年ごとにハガキで卒業生の息子・娘である高校生を募っていることを。ここなら偏差値が僅かに悪友Mに勝てる。”この学校なら将来性も負けてはいないと見た”。ある教師にもっと偏差値の高い学校にいけるんじゃないかと言われたが、固辞した。1つめの目標が悪友Mを超えることであるならば、2つ目の目標は父が学んだことと同じ環境に身を置き、どう自分が変わるのかを知りたかったからであり、そこは揺らぎが無かった。

入学願書に同封された適当な文章を肉筆記入した入学志願書を担任に渡し、まさに「ほどほどに切り上げ悪態をついていた」ところ、担任にその姿勢を激怒された記憶が残った。ときおり今でもその傷を疼かせる。何故なら絶対に合格するのが見えていたからだったのだけれど、当時もよくよく考えたけれど、今考えてもあの姿勢は間違っていた。あんな態度で臨んじゃいけない試験だったんだ…と思っていた。

試験会場は某ホテルだったので、そこで一泊し気付けの缶ビールを飲み、担任に檄を飛ばされながら書き直した入学志願書を何度も読み返したり、
鏡に向かって自分の面接姿勢をチェックしながら、あまり寝られない一夜を過ごした。

夜が明け、面接会場に着くと、「早いけどもうそろそろやりますか!」という当時の教務部長と某准教授が現れ、「これあげるよ」まさかのかっぱえびせん紀州の梅味。「さては飲んでいたな?」と勘ぐらせるような感じではあった。

一通り面接が終わると、タクシーに乗り込んだ准教授が手を振った。「大学で待ってるよ!」僕は深々と一礼して一行を見送った。

「僕のできることは、やった」

これが、僕の入口のお話の顛末である。(出口編に続く)

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