日記エッセイ『便座って、消耗品ですか?』#3(2022/3/30)
3.ラブレターの行方
僕が決死の思いで書いた手紙は、彼女の誕生月である5月の雨の日に渡すことに決めた。鼓動を高鳴らせなながら決行の日を迎えた。
今でも雨上がりに反射するようなアスファルトの濡れた匂いが鼻を衝く学校の帰り際の道すがら、S子に手紙を渡すことに成功した。
ラブレターに対するS子の態度は芳しいものではなかった。
どうやら”S子には好きな人がいる”らしい…そんなことを噂で耳にした。
そんな中、ある夜更けに近所の大学のキャンパスにふと小学時代からの悪友Y一味に呼び出された。スケボーの練習がてらスクールカーストの底辺である僕と話でもしようとなったらしい。
悪友Yは決してお互いさまの関係で成り立つ”友達”と呼べるものではなかったが、つかず離れずの関係を続けていた。知り合いと友人のあいだとでも言おうか、悪友Yは学年の情報屋みたいな存在だった。
「おまえ、S子が好きらしいな。おまえ、フラれたんだよ。まだわかんねぇかなぁ。S子はS男の彼女だぜ。今頃ふたりはベッドの上で楽しんでいるだろうよ」
どこかはかなげで”清廉で純白な印象の彼女”に憧れていた僕。いささか純情すぎた自分には悪友Yのこの発言は中学生とは思えないような、どこか露骨で、その表現にあらわに描かれるS子は自分が連想していた身の丈よりかなり背伸びをしている、と感じた。
そんな悪友Yの発言が真実だと仮定して、健全な学生生活を送っていない自分にとって身分不相応なS子の実態についての告白を受け、こちらもS子と別な意味で幼稚な僕は相当な衝撃を以って映り、結局はこの現実を受け入れざるを得なかった。まるで鼓動を打つこの胸に豪速球が当たって心臓が振盪しまったかのような感覚に陥った。そう、まるで事故だった。
私のなかに描かれた”清廉で純白な彼女”は悪友Yが指摘しているように現実の存在であるS子とはたしかに乖離していた。あくまで自分の主義主張に着色された妄想に基づくフィクションの存在であり、自分の想像の産物に過ぎなかったのである。
私の脳裏では無意識に排除していたけれど、無論彼女だって生身の人間だから自分のように恋だってするだろう。ある種自分より余程大人で身体的にも精神的にも健全な恋をしている彼女のしあわせを”恋の敗者”である存在であることを並の人以上に痛切に感じてしまうために、素直に応援できない情けなさをかみしめていた。
事実、たしかに僕は傷ついたし、この瞬間にこころがまっぷたつに割れ恋の行く先を塞がれ再び人生の”マケイヌ”に成り下がった”のだと、生理的自意識の中でつよく感じた。
いじめの当事者であるか、傍観者だったか、平穏な学校生活を送りたいにしろ、恋の行く手の阻んでいることについても僕にとってS男は平穏な生活を脅かす脅威でしかなかった。なぜなら僕が認識している限りS男は僕をいじめていた一派のひとりだったからである。そしてS子はその手紙を渡したのも担任Wの指示で行ったことあることもその時に理解した。
僕はこのクラスの亡霊学級委員で、生徒会長になってこんなに学校は荒廃しているんだ、なにか変えなきゃいけないんじゃないのか、と自分の窮状をストレートに伝えるつもりでいた。しかし、担任Wは頑として生徒会長立候補の件を受け付けなかった。
学校には学校の都合があり、努力をコツコツ積み重ね、人気とコネと血をにじむような努力と才能とを兼ね合わせ、成績優秀品行方正で生徒と教職員らの信頼を勝ち取ったものにその評価として代表となる権利が与えられる栄誉らしい。それを何の努力もせず自堕落な生活をしていた僕がその権利を結果的に奪おうとした。
不名誉な形でさらけ出されては困るという担任W含む教職員側に立候補受付時間まで受理を伸ばされ、結局は不受理となったので、僕の中で消化しきれないしこりとなって残っていたのである。
このときから担任WとS子、S男の3人は僕にとって重い枷としてこころに蝕んでいった。悪友Yをボーっと眺めていると僕がショックを以てその事実を飲み込もうとしているさまを楽しんでいるように見えた。少なくとも僕の独善的でしかなかった幼い視野にはそのときはそう見えた。
ただこの先の人生でまさかあれだけ憎かった担任WとS子にこの先歩む道を導かれるとはそのときは予想だにもしていなかった。
…このようななりゆきで結局、初恋らしい初恋は木っ端微塵に粉砕されるのだけれど、その恋はその後の僕にゆっくりと、確実に影響を与えていった。今までに話したように、文章で自分を表現することが好きになったのも、吹奏楽部に所属していたS子の影響で今度は音楽が好きになっていったのも、結果として僕の中でどこか欠落していた社会性というファインダーというか眼力を授かり、あらたな人格として新しいいのちを吹き込まれた。この恋を通して、僕はずいぶんと大人にしてもらった。だからこの恋に破れても後悔はしていない。
いつか書いたラブレターは
もうとっくの昔に灰になっているだろうけれど
自分の中の文章表現の骨格になり
あるときはこころ踊らせるメロディになり
暗部を抱えながら僕の歩く術となっている。
なるほど。
だから文章表現が好きなんだ。
だから”あなたに分かってもらいたい”たかったんだ。
あのころ、ぼくはひとりじゃないって実感したかったんだ。
こころにたまった澱を伝えたかったのが
S子や悪友YでもS男でなくなった今でも
僕を衝動的に突き動かす
どこか自己顕示欲が過ぎることが
玉に瑕の自分だけれど、
確かに現在の自分を形成していることのおこりである。
(一旦完、また普通のエッセイにもどしますね~^^;)