プログラムの予習 ポーランド国立放送交響楽団 Marin Alsop指揮 角野隼斗pf.
待ちに待ったポーランド国立放送交響楽団(NOSPR; 彼らの来日履歴等についてはこちらを参照)の来日公演 (Marin Alsop指揮、角野隼斗ピアノ) がまもなく始まる (ヘッダーはドイツのBoppardのGedeonsEck(展望台)から撮影したライン川の大蛇行:2015年6月)
これに先立ち、プログラムの予習をしている。本noteは、自分の関心の向くままに調べて分かったこと、興味深く感じたことなどを書き綴っている。加えて、私のお気に入りの音源も紹介している。現在進行形だが、ある程度まとまった気がするので、公開し、どなたかの参考になれば・・・。Alsopの師匠のバーンスタインの104歳の誕生日8/25(米国時間)に間に合った!
【追記 8/28】Alsopについてはこちらのnoteにまとめた。
今回のプログラムの作曲家と出演者の生涯(誕生)を1枚の紙に書き出してみた(コンサートで貰ったプラスティック製の鉛筆で書いたのもあり、字が読みづらくてすみません)
バツェヴィチ/序曲
Grazyna Bacewicz (グラジナ・バツェヴィチ)
1909年2月5日-1969年1月17日
バツェヴィチは、ポーランドの女性ヴァイオリニストで同国を代表する女性作曲家としても活躍。ヴァイオリンの作品が多く、ヴァイオリン協奏曲は7曲、ヴァイオリンソナタは5曲作曲している(参考文献は、Musician Clippy; リンクにはバツェヴィチ自身が演奏するYouTubeリンクの掲載有り)。
Wikipediaでは、彼女は1930年代、NOSPR (の前身?)のコンサートミストレスを務めていたと記載がある。まずポーランドの交響楽団がポーランド人の作曲家の曲を演奏し、観衆をポーランドに誘ってくれるところからコンサートの幕が開けるとは!高揚感が増すことだろう。
序曲(Overture)については、BBCが演奏時のパートごとの留意点など纏めており、余裕がある時にこれらのパートの旋律などチラ見しながら聴いてみるのも楽しい(リンクはこちら;全文英語)。
また、Alsopが今年5月12日にNOSPRと共演した際、この曲を取り上げている。NOSPRとの対談(リンクはこちら;14‘30“あたりから)で、最近バツェヴィチの音楽に恋に落ちた、序曲(Overture)はCelebratoy(祝祭的)と感じる、といったことを話しており、Alsopは序曲をとても気に入っているようだ。
日本でもバツェヴィチ生誕100年の2009年には、彼女の弦楽四重奏等、複数の公演プログラムで積極的に取り上げられていたようだ(Googleでざっと調べた結果;詳細省略)。
以下はシンフォニア・ヴァルソヴィア(ポーランド・ワルシャワに本拠地があるオケ)による演奏。Alsopが言うように祝祭感があり、ホールが幸せな空気で満たされそうだ。
ショパン/ピアノ協奏曲第1番
私が世界一好きな曲(反田恭平さんも同じらしい笑)。これまでの人生で一番沢山聴いてきたピアノ協奏曲で、最後までハミングできる自信もある(笑)。
昨年8月に2回、角野さんの演奏を聞きに行った時の感想noteに、文献を参照してまとめた作曲の背景や曲解説、ショパンが知人たちにあてた手紙(協奏曲にまつわるもの)などを紹介しているため、ご関心があればそれらを参照願いたい。
●感想noteその1:2021年8月22日城陽ホール(こちらをクリック下さい)
●感想noteその2:2021年8月25日アプリコ
(こちらをクリック下さい)
また、厳選クラシックチャンネルでは30分に及ぶ長さでショパンの生涯と名曲について熱く語られている。
なお、お勧め音源は個人的に本当に色々あるのだが、巨匠ピアニストではなく、昨年の第18回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したブルース・リウの優勝者コンサートの演奏にしたい。百聞は一見にしかず。
あー、やっぱり言う!ラファウ・ブレハッチ、ツィメルマンの演奏が特別好き。グラモフォンのイエローレベルで聴くと、音がよりクリア。
ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」
アントニン・レオポルト・ドヴォルザーク
(チェコ語: Antonín Leopold Dvořák)
1841年9月8日 - 1904年5月1日
(Wikipediaより)
後期ロマン派のドヴォルザーク(チェコ生まれ)については、厳選クラシックチャンネルのnacoさんの動画(18分)が分かり易く面白かった。動画の概要を以下に少し紹介する。
ドヴォルザークは、1841年にチェコのある村で生まれ、苦学生として音楽家の人生をスタートさせた。居酒屋のある宿屋と肉屋を経営している家庭で育った。父はドヴォルザークに肉屋職人になるための修行をさせ、ドヴォルザークはビジネスの公用語であるドイツ語も学ぶ。偶然にもドイツ語教師が音楽家たちで、そこでオルガン等音楽全般を学ぶ機会を得る。ドイツ語教師兼音楽家たちとの出会い、彼らのドヴォルザークの父への働きかけ等がなければ、音楽家の道は簡単には開かれなかったことを知り、そんな中でも音楽を追求していたドヴォルザーク少年に胸が熱くなった。
16歳でプラハ・オルガン学校に入学、近くの教会の管弦楽団でヴィオラを弾くようにもなり、ワーグナーの音楽に惚れ込む。卒業後、チェコのコムバーク楽団のヴィオラ奏者になり、25歳の時にスメタナに出会った。スメタナが最重要視していたチェコ国民の精神を作曲に取り入れるようになった。器楽曲、オペラ、合唱の作曲を行うようになったが、お金にはずっと困っていた。
34歳の時にオーストリアの国家奨学金の受賞者に選ばれ、同奨学金の審査員だったブラームスと出会った。ブラームスはドヴォルザークの音楽を高く評価し、後に
我々の頭の中にあるメロディーとハーモニーを全て足し合わせても、ドヴォルザークの小指にも満たない
と評していた。その後、順調に活躍の機会を広げ、楽譜を出版したり、ロンドンに招聘されたり、口シアからプラハに来たチャイコフスキーとも知り合いになったり・・・。プラハ音楽院の教授に就任。
アメリカのサーバ夫人が設立したニューヨークナショナル音楽院にスカウトされたが、愛する故郷チェコを去りがたく最初は断っていたが、熟考の末、引き受けることに。同大学院の校長に就任したのは1892年。アメリカのネイティブ音楽である黒人霊歌に興味を持ち、チェコの民族音楽に似た点も見出した。翌年発表したのが、最も有名な交響曲第9番「新世界より」だった。このタイトルにはアメリカから故郷チェコを思ってつけられている。2楽章はドヴォルザークが故郷に想いを馳せており、ヨナ(4・7)抜き音階が使われている。第4楽章は、アメリカ音楽、チェコ民族音楽、古典音楽等、これまで影響を受けた音楽全てが融合されたものといえる。
nacoさんの解説が面白くて概要と言いながら書きすぎた(笑)アメリカからチェコに帰国した1895年以降の話は動画でどうぞ!
9番は、イエローレーベル含め数々の名盤が沢山ある。ここでお勧めしたい音源は、2022年5月12日、カトヴィチェのNOSPRコンサートホールで演奏されたAlsop指揮、NOSPRのものだ。カトヴィチェで開催されたフェスティバル(当時、NOSPRによるAlsopのインタビュー(20分弱、英語)はこちら;音楽は旅だというテーマでドヴォルザークの新世界についても8’30”あたりから話していて、非常に興味深い。以下に少し紹介する(逐語通訳ではなく、聞きながら書き留めた内容である点、ご留意頂きたい)。
現在、YouTubeには3分弱の演奏がUPされており、フルバージョンはmedici.tvで聴ける案内があるが、有料。1ヶ月1,500円を払って観る価値はある(個人の意見)。初めての方は1週間無料で視聴可能。
9月のコンサートに聴きに行けるから、有料コンテンツは・・・という方は2015年10月の動画で予習をどうぞ。
最後に気に入っているアルバムもグラモフォンのツイートと共に一応紹介したい。
ブラームス/交響曲第1番
ヨハネス・ブラームス (Johannes Brahms)
1833年〜1897年
ロマン派のブラームス(ドイツ・ハンブルク生まれ)については、厳選クラシックチャンネルのnacoさんの動画(13分)が網羅性あり分かりやすかった。
ブラームスは貧しい家庭に生まれ、音楽経験はヴァイオリンから始まり、7歳からはピアノも習い、才能を認められるが、家計を支えるためにダンスホールがある酒場で働くなどしていた、14歳の時にベートーヴェンに傾倒、翌年、ワルトシュタインを弾き高い評価を得た、20歳の時にシューマンの前でピアノを弾いたところ、絶賛され、音楽新報(雑誌)でシューマンはブラームスはベートーヴェンの偉業を引き継ぐ若者だと大絶賛、ブラームスがひどく恐縮したこと・・・若き時代のエピソード含め、端的に纏められていた。8’20“からは交響曲1番の紹介もある。
京都の混成合唱団Ensemble Voceのブラームスの生涯のまとめも、ブラームスが交遊関係があった音楽家のまとめ含め、興味深かった。他文献も当たったが、ショパンとの直接の交流はなかったようだ。それもそのはず、ショパンがパリで亡くなった時、ブラームスはまだ16歳。
交響曲第1番 ハ短調 Op.68は、1876年、ブラームスが43歳の時に完成。最初に交響曲を練ってから約20年、実際に作曲を開始してからは約6年の年月を経てやっと完成させた。指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューローは、ベートーベンの9曲に次ぐ傑作という意味で、この曲を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と絶賛。これは、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』と同じ調性で、ベートーヴェンを強く意識した内容だった(一部要約抜粋したHPは、こちら)。このHPには交響曲第1番の楽章ごとの解説もある。
以下のサイト(リンクはこちら)も、曲を巡るエピソードや名盤の紹介まで、網羅的で分かりやすかった。
お勧め音源は、個人的に好きなアルバムの一つであり、Alsopが師事したレオナルド・バーンスタイン指揮、ウィーンフィルのを上げておきたい(以下はAmazon music)。
私の父からの影響もあり、カラヤン指揮、ベルリンフィルも外せない。
サブスクを契約していない方向けに、YouTubeにUPされていたスタニスワフ・スクロヴァチェフスキ(ポーランドの指揮者;1923-2017)指揮、フランクフルト放送交響楽団の演奏動画(87万回再生)を貼っておく。
日本ツアーに向けて・・・
8/24付ABCクラシックガイドに、【角野隼斗さんコメント~ポーランド国立放送交響楽団との共演に向けて】というQ&Aがあり、角野さんの想いの一端を知ることができる。
全ての答えが、真面目な人柄、音楽にひたむきに取り組む角野さんらしかったが、私にはとりわけ以下が一番響いたので引用したい。
昨年10月の予選3次の結果が出た早朝の日のことが脳裏に浮かび、再び胸が痛んだ。昨年8月に日本で聴いたショパンピアノ協奏曲を、10月にはワルシャワからの配信で聴けると信じていたから。
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湿っぽくなることを書くのはやめよう。角野さんがポジティブな言葉を発しているんだから。
今年頭、全国ツアーでお披露目され、最近サブスクからリリースされた追憶には、バラード2番やマズルカ以外に、全国ツアー中に聞き取れなかったショパンピアノ協奏曲1番2楽章の一部も聞こえてきて・・・(もしかしたら、アップライトで録音する際にアレンジを変えたのか?)これまでショパンに向き合ってきた中で彼が感じたことや叫びが音に込められ、昇華された結晶みたいになっていた。
今年2月20日、東京フォーラムのステージに作られたお部屋のようなスペースに置かれたアップライトでショパンピアノ協奏曲第1番2楽章を弾く姿からは、ワルシャワでの日々に思いを馳せ、ショパンと静かに対話しているようにも見え、再び胸が締め付けられるような気持ちになった。一方で、全国ツアーで聴かせてくれた彼の音楽は、ショパコンを経てさらに磨きがかけられていた、新たな道を歩き始めた彼を応援しようと、私自身も色々考えさせられた時間となった。
この10日後の2月28日に、愛知でAlsopとNOSPRとショパンピアノ協奏曲を共演するいうビッグ・ニュース(当時の私のツイート)があり、まもなくそれはNOSPRの日本ツアーの一部と知る。角野さんがワルシャワで弾きたかったショパンピアノ協奏曲、ポーランドの交響楽団が来日して共演する、指揮者Alsopは、1980年代からジャズとクラシック音楽の融合を目指した活動を始めた方で角野さんとの相性ぴったり!と感極まったのが、昨日のことのように思い出される。
それから半年の歳月が経ち、この間に数えきれないほどのコンチェルトを弾くコンサートに出演、ジャズのライブでも飛び入り含め大活躍、ジブリツアーをこなし、海外での演奏機会も増え、YouTubeの登録者数100万人突破、フジロックでは「クラシックはカッコいい」を体現、10月以降は、シンガポールと台湾に遠征、BBC Proms Japan 2022のリーディングナビゲーターも務め、自身もGame & Cinemaというプログラムに出演、トリスターノと共演・・・全ての活動を書き出せない、追いきれないほどの目覚ましい活躍ぶりに、もう毎日、嬉しい悲鳴をあげている。
昨年ワルシャワで聴けたかもしれないコンチェルトより、色々な経験を積み、色々なコラボを経て、欧米各国を旅してインスピレーションを得た今の方がずっとずっと素敵に弾けるに違いない。たくさんの人が待ち望んだショパンピアノ協奏曲1番の生演奏が、ポーランドの名だたる交響楽団とバーンスタインの愛弟子のAlsopとの共演で聴けるなんて、いまだに夢のようだ。
素晴らしいドリームチームが来日してくれるから、ショパンピアノ協奏曲1番以外の曲目を色々聴いて、その作曲家たちの生涯にも改めて目を向けたくて、暇を見つけて勉強してきた。私の夏の宿題は、終わりが見えないところに入り込みそうなため、一旦ここで終え、今後は加筆修正する形で対応したい。
(終わり)