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鶴見線・国道駅とベイエリア散歩(その1)
僕の散歩カメラの方法は、なんとなく行ってみたい場所や地域をGoogle Map で大雑把に調べて、なんとなくのルートを決めて現地に向かって、それからは、その時の気分に任せてあまり事前に調べたルート通りには歩かず、マップもそんなに確認せずに多少迷いながら歩くという方法で散歩をするのですが、猛暑の夏場にこういう風に歩くと、流石に熱中症の危険があります。
必然的に、夏場の散歩はピンポイントになるという事で、行ってみたい場所を普段よりはきちんと決めて出かけるという事になります。そんな訳で、7月の散歩カメラは、以前から行ってみたいと思っていた、神奈川県川崎市を走る、JR鶴見線の国道駅という、戦前に建設されてから今もその風貌を残しているという、鉄道ファンや古い建築ファンには有名な駅に行ってみる事にしました。
また、JR鶴見線は、「都心のローカル線」とも呼ばれる、全線が無人駅の路線で、そういう面でもあわよくば都心のローカル線を味わい尽くすべく、全駅踏破したいなぁなどと考えながら出かけてみました。
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鶴見線の始発駅の鶴見駅は、京浜東北線のホームとは直接並んではおらず、別路線が併設される形のホームになっています。これは、鶴見線が元々はJR(旧国鉄)の路線ではない鶴見臨港鉄道という路線だった為です。
鶴見線は、主に京浜工業地帯への通勤や物資の運搬の路線という事もあって、駅のホームも改装されたりはしておらず、昔のまんまの佇まいです。
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乗車ホームの対岸の4番線ホームに、目に付く古い時計がありました。
時計の下のプレートを見れば、この時計がただの時計ではない事が分かります。1960年代〜1980年代にかけて行われた、朝鮮半島にルーツを持つ方々とその縁者の帰国事業に際して、鶴見地区に住んでいた在日朝鮮人が残した記念碑です。
この note で政治的な事柄を書くつもりは無いので、多くは語りませんが、鶴見は川崎のすぐ隣の街で、京浜工業地帯に面している街ですから、かつては多くの出稼ぎ労働者が暮らしていた事は想像に難くないです。その中には朝鮮半島にルーツを持つ人々も多くいたと言う事は、少し歴史を振り返ると想像できます。
そういった人々が地上の楽園と謳われた北朝鮮に渡っていったという事には様々な事情があった事だと思いますし、その人々を取り巻く側の人間にも様々な思惑があった事だと思います。今も動き続けているこの時計を見た時に、気楽に散歩をしに来た所で思わぬ歴史の痕跡を見つけてしまったという思いがしました。
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目的地の国道駅に到着しました。
鶴見駅もかなり年季が入っていましたが、国道駅は、戦前に建設された状態がほぼ残っているとの事で、以前から興味がありました。国道駅は、高架線の駅で、戦前の建築物の雰囲気を残しているのは、その高架下になります。
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高架下に階段を降りてみると、アーチ型の柱や、コンクリートの質感などが、現代の建築とは雰囲気が異なる感じです。
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改札口は、無人でタッチ式の改札機が設置されています。国道駅の名前は、京浜国道、現在の第一京浜(国道15号線)と面している事に由来するそうです。
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第一京浜に面している出口に向かってみると、いつの時代からあるんだろう?という不動産業の看板が目に入ります。
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第一京浜側の出口を出てみると、いわく付きの壁面があります。戦時中のアメリカ軍機による機銃掃射の弾痕だそうです。
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今度は、反対側の出口の方に向かって高架下を歩いてみます。写真の様に特徴的なアーチ状の柱の下をくぐる感じのトンネルが続きます。昔は、この通りに沿って商業施設が入っていた事もあるそうです。
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休業中の焼き鳥屋さん。
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しばらく進んだ所から、第一京浜側の出口を見てみます。商業施設が高架下に軒を連ねていたという写真は残っていない様ですが、なんとなく想像できる気もします。
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路地につながる隙間の様な出口がありました。現代の駅ではまずこういった隙間はありませんよね(笑)
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扇町方面側の出口を出てみます。戦前の高架下の建築に、後から補強された陸橋の支柱の雰囲気がどことなくスチームパンクの世界っぽさを感じさせます。
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国道駅の写真の最後の一枚は、上り線と下り線の乗り換え橋の位置から、第一京浜側の出口を撮った写真です。昼間の時間帯に国道駅で電車に乗車、下車する人は少ないんですが、この高架下の道は、地元の人の通り道になっている様でした。
ここに上げた写真以外にも沢山写真は撮ったんですが、確かに戦前の雰囲気が残った独特の駅でした。目的が達成できたので、都会のローカル線と言われる鶴見線の駅を全駅踏破できるかな?と思いきや、工業地帯への通勤の為の路線なので、昼間の電車の数がすごく少ない事にここに来て気付かされました。
しかし、せっかく来たので、鶴見線のもう一つの名物駅の海芝浦には行ってみたいという事で、しばらく電車を待つ事になります。海芝浦駅の写真と、その後の散歩カメラの写真はまた次回という事で、今回はここで筆を置きます。
では、また次回!