見出し画像

川合大祐を読む―ドラえもんは来なかった世代の句―/飯島章友

川合大祐の川柳には定型を題材にした次の句がある。

中八がそんなに憎いかさあ殺せ
字余りになって言えない愛している

一句目は中八を議論するとき俎上に載せられることが多い川合の代表句。二句目も字余りが詠まれており、どちらも定型が題材になっている。ところが川合の他の句群を眺めてみると、これらは彼の根底にあるもっと大きな主題が中八や字余りに託されて表されていると気づく。ではその大きな主題とは何か。それは「世界への懼れ」である。彼の川柳では「世界への懼れ」が諧謔とペーソスを帯びて示唆される。

夜のなか一人はヒトリ国元首
(目を)(ひらけ)(世界は)たぶん(うつくしい)

一句目、主体は「ヒトリ国元首」として世界との間に国境が引かれた場所に住している。他者と交わることができない「ヒトリ国元首」に諧謔とペーソスが見て取れる。二句目、主体は「たぶん」で初めて丸括弧を取り払い、世界と対峙しようとする。だがその直後、ふたたび丸括弧で自分を保護しなおし、世界は「(うつくしい)」はずだという。世界への信頼と不信の狭間に揺れる主体は、丸括弧による保護を抜け出せないのだ。以上、二句ともに「世界への懼れ」が主題になっている所以である。これに鑑みたとき、先の中八の句も字余りの句も「定型との不一致=世界との不一致」を詠んではいるが、それは「世界への懼れ」が基になっていると推測できる。

ところで「世界への懼れ」といっても、ふつうは技術革新や家族が閉塞を打開してくれたり避難場所になってくれたりする。では川合の川柳ではどうなのだろうか。

自動ドア誰も救ってやれないよ
ドラえもん待ちつつパパの年越える
祖母というムー大陸があった海

一句目、「自動ドア」は人間を検知したら平等に通してくれる。閉塞感に苛まれた人物にもドアは開かれる。しかし誰にでも平等だからこそ平等に誰も救ってくれない。つまり差し引きゼロである。二句目、ドラえもんは未来のひみつ道具で危機を救ってくれるネコ型ロボット。ある世代の人間なら自分のところにもドラえもんがやって来てくれるのでは、と期待したことがあると思う。だが三十六歳(のび太のパパの年齢)を越えた主体に、いまだドラえもんは現れない。三句目、ムー大陸は約一万二千年前の南太平洋に存在し、高度な文明を築いていたという伝説の大陸。だがムー大陸は一夜にして沈んでしまったのだという。祖母という大きな存在を亡くした今、主体は島影の一片すら見当たらない絶海を漂流するしかない。以上のように、川合の川柳には「世界への懼れ」を救ってくれる存在が登場しない。孤立無援だ。

高度経済成長、所得倍増、日本列島改造、世界第二位の経済大国、といったスローガンを大人で経験した世代から見ると、川合の川柳はどのように映るのだろうか。
川合大祐は筆者と同じく第二次ベビーブーム世代(一九七一年〜一九七四年生)。この世代は、いい大学さえ出ればそれに見合った将来が約束されていると大人から言い聞かされ、夥しい受験者数と競争率のなか進学していった。無論、親の期待にこたえられない人数も夥しかった。またいい大学に進学できた人間でさえも、バブル崩壊後に到来した就職氷河期の影響を受けないではいられなかった。そう、この世代は「ドラえもんは必ず来る」と大人たちから言われ続けたにもかかわらず、「ドラえもんは来なかった」世代なのである。「ドラえもん待ちつつパパの年越える」にはこの世代特有の事情が感じられ、それが筆者に文学的共感をもたらす。
しかし最近の川合の川柳にはこれまでと趣の違う句が出てきた。最後にそれを紹介して終わりとしよう。

ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む
ドラえもん右半身が青色の
ルビをふるここにルビなどふらぬよう


初出 2016年3月「川柳カード」11号
================================
まだ川柳界全般に名前が知られる前の川合大祐さんを取り上げています。
第一句集に収録されていない川柳も引用。
川合さんの短歌連作への評はこれ以前に書いていましたが(かばん新人特集号)、川柳の評を書いたのはこれがはじめてだったと思います。