A place to come back
「またおいで」
店を出る際に、かけられた言葉を今も忘れない。正直、フランス語だから聞き取れない。でも彼女がそう言っていることだけは確かにわかった。私はうなずき、ぎゅっと彼女の手を握る。気持ちが伝われば、言葉なんて何だっていい。
ラグビーの街、南仏トゥールーズ。地下鉄A線Saint Cyprien-Republique駅を降りて徒歩1分、駅前と言っても大きな建物はなく、よく言えば落ち着いた雰囲気、悪く言えば少し寂れた表通りにそのバーはある。
「Club Des Supporters Le Rouge & Noir」、Le Rouge & Noirは赤と黒の意味で、トゥールーズを地元ととするフランスラグビーの強豪クラブ「スタッド・トゥールーザン」のカラーを表す。トゥールーズのラグビーファンなら誰もが知る有名なラグビーバーだ。
昨年11月の日本代表欧州遠征で初めてバーを訪れた。正直、最初は怖かった。知らない土地、フランス語も話せない、酔っ払いに絡まれたらどうしよう…、年季の入った店構えからも余所者を受け付けないような雰囲気を感じた。
意を決して開いたガラス戸、店内には人の良さそうふくよかなおばちゃんがグラスを片手に笑っていた。あいさつを済ませ「写真を撮りたい」「話を聞きたい」とお願いすると、快く何度もポージングしてくれた。彼女の名はユゲット、このバーの店主でありスタッド・トゥールーザンのサポータークラブの会長でもある。
ラグビーのこと、お店のこと、たくさんの質問をスマートフォンのメモにフランス語で記したが、何も役には立たなかった。正確には、そんな心配はいらなかった。ユゲットが何から何まで話してくれた。自然な会話の流れの中でこそ、その人の本音が聞ける。向かい合い、語り合う中で自分の中で心が解けていくような安らぎを感じた。
W杯本番での再会を約束し、店を出ようと会計をお願いすると「いいのよあんたは。そのかわり必ずまたこの店においで」とユゲットは笑った。あの夜から約10ヶ月、私は再びトゥールーズに帰ってきた。バーのガラス戸を開けると、あの日と変わらないユゲットの姿があった。カウンター越しに抱擁を交わし、ビールで乾杯。常連客たちとともに再会を喜びあった。
広い広いこの世界に、こんな風に帰れる場所がいくつあるだろう。仕事のこと、家族のこと、そしてW杯のこと。尽きることのない楽しい会話が続いていく。会話といってもフランス語は聞き取れない。便利なスマートフォンの翻訳機能と英語の話せる常連客を挟んで語り合う。伝えたいことが言葉にできないもどかしさはもちろんあるが、伝えたい気持ちはちゃんと伝わっていることは実感できた。
翌日は早朝にパリへと移動だった。再会を約束し、お会計をお願いすると「あんたはいいのよ。また来るんでしょ」と、ユゲットが笑った。それでは申し訳ないと伝えると。
「この店には歴代の優勝国のジャージーはあるけど、日本のジャージーはないの。日本が優勝したらプレゼントしてくれる?」とニヤリと笑った。
お安いご用。その時には必ず桜のジャージーを持ってトゥールーズへ飛んでいく。絶対に叶えたい新たな約束ができた。
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