7月12日(金)

夜になってからのほうが過ごしやすい。夜にひとりで家にいるのは自然な感じがする。それに対して昼は、なにかをしなくてはならないような気がして落ち着かない。とくに家にいると。

今日は休日。日中は畳の上で座布団を半分に折って枕にして寝ていた。単純に眠かったということもある。でもそれ以上になにもやる気がしなかった。べつに家にいたいわけでもなかったのだけれど、外に出る気さえ湧かなかった。

なんというかこう、せめて休日くらいは、やらなければならないことや、やる予定になっていることに追い立てられずに過ごしたい。ひとりで過ごすのが特別に好きというわけでもないのだけれど、ひとりでいられる場所と時間があることは今の自分にとってすごく大事だ。そうじゃないと、とてもやっていられない。

他人と話をすること、もっと言うと、愚痴や弱音を吐くことも、心の健康を保つためには必要なことなんだと思う。でもそうは言っても、他人の愚痴や不満を好んで聞きたがる人なんて基本的にはいない。というか、それらはあくまでも何かのストレスに対する一時的な反応のようなものでしかなくて、その人自身の持っているもともとの思いや考えとは違う。私は他人と話をするなら後者の話をしたいし、聞きたいと思う。

冷蔵庫にいつから入っていたか分からない梅酒があった。サイダーで割って飲む。うまい。でもすぐになくなってしまった。仕方がないので余っていたワインを飲む。夏に赤ワインってどうなんだろう。寒いときに体を温めるようなつもりでちびちび飲むことが多かったから、もしかしたら夏に飲んだことってなかったかもしれない。氷を入れて飲む。めっちゃうまい。めっちゃ飲みやすくてゴクゴク飲める。

うわーすげー酔った。どうしよう。

やっと酔いが引いてきた。急に酔っ払うと逃げ場がない感じになる。明らかにアルコールのせいで自分の状態が変わっているのは分かるのだけれど、だからといってどうしようもない。意識の状態を強制的に変化させられているという意味ではサウナ後の水風呂とも似ている。

お酒を飲むことも、サウナと水風呂に交互に入ることも、身体に良いことでは決してない。それなのに求めるのは、ある意味では、擬似的に死を経験しようとしているからなのかもしれない。生を実感するには死に近付かなければならない、ということなのか。でもべつにおれはいま、生を実感しようとさえしていないような気がする。

あれだけ寝たはずなのに眠気がまたどこからともなく湧いてきて、頭の芯の方から重たくなってくる。