コミュ障が治ってきた感じがする
自分のnoteの記事、実はけっこう読み返している。
自分の心情を正直に書いているので、思い出しながらうんうんと共感しながら読んでいる。(自分のことだから当たり前だけど)
共感もするけど、過去の自分に対してそんなに考える必要なくない?と思うこともある。
noteを始めてた頃は人生迷子になっていて、とにかく不安だった。
自信もなさすぎて他人と関わるときの雑談とかも内心はおびえたような、そんな感じだったと思う。
今考えたら、あのときは対人恐怖症とかそんな状態だったかもしれない。
あのときはどころか思春期からずーっと。
最近は人との雑談とかも特に何も考えないでできるようになった感じがする。いつのまにか。
人と関わるのがめんどくさいとかも薄れてきた。
今までは人との会話、特に苦手な人との会話は極力秒で終わらせる勢いだったけど、今はそこそこ楽しめている。というか以前は自分の存在が悪みたいに思っていて、会話以前に目を合わせるとかもかなり苦手だった。
人って案外目の動きとかでどんな人か想像ついたりしませんか?
目以外にも姿勢とか歩き方とか・・・。あ、この人こっち側だ(笑)みたいな。
だから自分も目を見られることで自分がしょうもない人間だというのがバレるんじゃないかという不安が本能レベルであったんだと思います。
こんな世界で生きていくのが嫌だ、まじで人間辞めたいな😭ってずっと思ってました。
でもnoteを始めてから自分と同じような人がけっこうたくさんいるんだなということを知ってけっこう気が楽になったというか。
だからnoteは自分の存在を肯定できる場所になってたかもしれません。
コメント欄とか見ててもみんな優しくて、自分が思ってたより世の中嫌な世界じゃないかもな、もっと自然な自分を現実で出してもいいんじゃないかと思って今出しているところです笑
noteでも最初はコメントすることにかなり勇気が必要だったけど、コメント返しもしてくれるし、案外楽しくて一回やってしまえばもう顔見知りみたいな顔して気軽にコメントできてしまいます。
内省だけでは得られない他者との意見交換、共感することの大事さに気づけました。何の解決にならなくても、他者の意見を聞けるというだけで価値があると私は思っています。
私の記事はときどき愚痴が入るので、怖い人と思ってる人もいるかもしれませんが、そんなことはないです。
嫌なことがあったらイライラするのが当たり前だし、そういう負の感情が自分の中にあるということを認めるのは大事なことだと思っています。
以前なら『こんなことで怒るなんて自分は心が狭くて嫌な奴』とか感情に対して自分自身まで否定しちゃってたけど、それはいきすぎてました。
今は全然思いません。むしろ嫌な思いをさせたやつが悪いに決まってると思っています。あ、もちろん少しは内省するよ?
それと大事なことがもう一つ。
その日の気分で意見なんてコロコロ変わるということ。
以前は無理だったものが大丈夫になったり、逆に無理になったり・・・。
昨日一大決心したはずなのに今日は違う考えになったり・・・。
日によって考え(意見)が変わるとなんか矛盾してるじゃん、自分ってほんと芯がないなって思うけど、勝手に脳がそうなっちゃうことないですか?
勝手にそうなるってことはもうどうしようもないってこと。
矛盾していることを自分自身でつついても仕方がないです。これはもはや生理現象です。(私だけかな?)
一番大事なことは考えすぎないことです。
いろんな人が考えすぎは害悪って書いてるけど、本当にそう。
この意見だけは日によって変わらない、絶対悪。
では、「考えすぎないようにするにはどうしたらいいか」についての私なりの答えは『いろんな人とコミュニケーションをとる』です。
自分の意見だけでなく、他者の意見を聞くとなぜか脳が満足するんです。少なくとも私は。
最近調子よくすごせているのは前よりコミュニケーションを積極的にとるようになったからです。
今日の記事は途中からですます調にかわったり急に人に読んでもらう前提の文になっちゃいました。これもコミュニケーションを今私がとりたがっているというサイン?なのかもしれません。