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欲界における最下層!「地獄」についての見解を解説するよ。


はい。今回は「地獄」について。

よく「悪いことしたら地獄に落ちるよ」とか言われますが、別に悪いことしなくても地獄には落ちるんですね。

この記事では、仏教におる「地獄」というよりは僕自身の見解、あるいは「地獄」に対する個人の意見を、ばぁーっと羅列していこうと思います。

さっき「悪いことしなくても地獄には落ちる」と言いましたが、どういうことかと言うと、この世界にだって地獄はあるでしょう?

生き地獄ね。

別にその人は、悪いことした訳じゃない。悪いことはしてないのに、何故か現実の世界でこんな苦しいことになっちゃってる。

これは、多かれ少なかれ、みんな経験することだと思う。

「うわぁー、地獄だぁ!」とか、苦しい境遇のときそう思うでしょ?

これは比喩的、または精神的にそう思っているだけで、実際に地獄に落ちている訳じゃない。と、みんな思うでしょ?

でもね、この時、実際に心は地獄に落ちているんです。裏を返せば、心が地獄に落ちていなかったら、そんな苦しい境遇にはならない。

つまり、地獄はあるんです。この世界にね。

そして悪いことしなくても、地獄には落ちるんです。

じゃあ、落ちた原因はなんなのか、と。

仏教の世界ではよく「因果応報」だとか「カルマの法則」とか言われますが、必ず原因はあるんです。

で、現世の人たち、今の時代の人たちが陥りやすいものとして、

「逃げられる状況だったのにもかかわらず、逃げずに戦ってしまった」

あのね。逃げずに戦うっていうのは、必ずしも称賛されることばかりとは限らない。

時には、戦っちゃいけない場面ってのがあるんですね。

そして、早めに逃げたほうがいい場面っていうのはたくさんある。

これは重要なことなんですが「チャンス」とか「タイミング」っていうのは、なかなか来ません。

「逃げられる状況、タイミング」っていうのは、稀だし貴重なことなんだよね。

その千載一遇の貴重なチャンスは、決して棒に振ってはいけない。

でも現代の人々は、なぜか「逃げずに戦う」ことを美学と思っているのか、なぜか逃げずに戦ってしまう。

この「逃げられる状態で、逃げたほうが良いと分かっていたにも関わらず、逃げなかった」

これが地獄に落ちた原因なんですね。だから原因は明確なんです。

以上。

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