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どん詰まりのとき、とにかく手を動かしたら、果たしてどこまで行けるか。


実は僕は、いまちょっとしたスランプみたいなヤツで、作品作りも瞑想も、このnoteの更新もうまくいっていない。

どん詰まりのスランプ状態だ。

何が正しいのかも分からないし、何が本当の幸せかも分からない。目の前に暗黙が広がって、無知と無明のオンパレードだ。

僕は中学の頃から、そういうスピリチュアル的な感覚が何となくあって、

高校の頃には

《「在る」「無い」の概念すら無い。》

《自分の意識と宇宙が同一》

という二つの絶妙な境地を理解した。自分では高い境地に到達したと思っていたんだ。

でもダメだ。そこから先が全く分からない。

単純な「幸せ」というのも、何か分からなくなってしまったみたいなんだ。

学べば学ぶほど分からなくなって、このnoteにも何を書いたらいいか分からない。

でも、そういうスランプ的な状態のとき、何でもいいから、何が何でも手を動かしたら、果たしてどこまで行けるのか、試して見たくなったんだ。

とにかく僕は、書き続けるよ。

作品を生み出し続けることに、どんな価値があるのかも、もう、分からない。けれども、たとえ価値がなくて、無意味でバカなことを、いま僕はやり続けていたのだとしても、僕は作品を作り続けてしまうのだろう。

真理を求め続けてしまうだろう。

どこまで書ける?

どこまで到達できる?

ありきたりな、ありきたりな文章。才能もなく凡庸で無意味な言の葉の羅列。

そこに何の意味もない。

悔しくても、とにかくアイデアが降りなくても、書き続け、手を動かした先に何が待っているのか。

虚無かに虚栄心か、

結末を越えた結末を、垣間見ることができるのかもしれない。





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