Finsternis暗闇。伝わらないという、いくつかの事。
店の脇を通り抜け『職人の出入り口』へ向かう。
青い車が一台止まっている。周りの家と同様に大きな木が植わっている。緑の濃い各家庭の木たちが、ドイツの高級住宅街をさらに“らしく”させる。
個人店の場合このように店の脇、駐車場ではない肉屋のプライベートゾーンに車が止まっている場合があるが、自宅兼店舗故、社長家族の車であると想像できる。ワーゲンブス(ドイツ語のバス)などの商業車が止まっていることもある。石畳ではなくコンクリートで舗装された緩い傾斜をステフィの後姿を見ながら上がる。
『職人の出入り口』といえば大きなステンレスの扉だ。
この店も例外ではない。大きなステンレスの扉が私たちを待っていた。職人の国ドイツと言われるがステンレス一つとっても頑丈、重厚でそして錆びない。ステンレスは錆びない、と思われる方もいるだろうが、日本のステンレス製品には2通りあることが多い。簡単に言えば安いステンレス、高いステンレス。価格を見ても、何故これほどまでに価格差があるのか?驚く方もいるのではないだろうか。これは残念ながら家庭用に限らず業務用に至っても言える。本当にステンレス?と使用していて感じる方も中にはいるだろう。
私が創業する際、工房を施工してくれた建築会社の社長が、工房に到着したドイツ製の食肉加工機械を見てとても驚いていた。小さな一つ一つのパーツも見た目以上に重厚で、実際に目視で想像する重量よりもはるかに重い。機械の大きなパーツも、繋ぎ合わせるのではなく一つの素材から切り出して作っている、と感嘆していた。
その時、私は親方の言葉で印象的な言葉を思い出していた。
『もし壊れたら機械が悪い。』
以前、写真にも出したカッターと言われるソーセージの絹引き生地を作る機械を、使用目的には無い用途で『悪用』して使用しているときに私が、
『大丈夫なの!?』
と言った言葉に対する返答だ。
何をしていたか詳細は書かないが・・・とにかくとても固いものを粉砕していたのだ。親方の言葉通り、勿論壊れない。同じ機械でもイタリア製やフランス製そのほかの国のものよりも断然高価だがドイツ製を選べ、一生壊れない、と言われる由縁だ。2019年10月で創業10年になるが錆び一つない。
『出入口』でステフィが立ち止まり私と目が合う。慣れた手つきでその大きな扉をステフィが開けた。
中には職人がひとり立っていた。
このように何故入り口が大きいのかというと、歴史のある店ならば自分たちで屠畜をしていて、そこから家畜を中に入れるためだ。牛、豚、羊は週の始まりに早朝から屠畜し昼頃、獣医が来て個体の検査をする。食肉として合格の印を押してもらい一連の作業は完結する。そのように職人たちは最初の段階、つまり屠畜から責任を持つことに高い誇りを持って仕事をしていた。誇りとは、新鮮な肉を提供するという事であり、その肉から加工品を作り上げるという唯一無二の情熱だ。この熱は中々客には伝わらない、時には理解できない自己満足のようなものである。
単純な判断材料の旨いとか不味いを超越したエゴとも言えるかもしれない。
時代の流れでEUという共同体が出来て法律もまとめられてきた。タイムラグは数年あったが食肉加工分野でも共通の法律が整備され個人店で屠畜する事が法的に厳しくなった。このEU-Verfassungにより多くの個人店が屠畜を諦めることとなる。
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※Verfassung 憲法、法、きまり
※肉屋で屠畜を断念した、という場合まずEU-Verfassungというワードを出すと話は盛り上がる。
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面白いことに完全に移行する前はドイツの法律とEUの法律が共存する状況にあった。丁度私が修行していた2000年初頭はその時期に当たる。屠畜場の環境整備以外に限ってはドイツの食肉加工の法律の方が厳しく、EUの法律の方が緩いという状況が続いていた。どうとらえれば良いのか現場は暫く混乱していたのは言うまでもない。EUの法律ではOKで(今まで通りの自国の)ドイツの法律ではダメ、というように・・・。この場合、結局自国であるドイツの法律が遵守された。
中にひとり立っていたステフィと職人が挨拶を交わす。
・・・妙に親しい。
直ぐに察することが出来たがステフィの御主人が迎えてくれた。
3人の立っている場所、まさにこの場所が屠畜場でその部屋の状態から、『屠畜を諦めた』のは容易に想像できた。衛生面からも必ず『出入口』と直結している。
屠畜を諦めたと言えば思い出すことがもうひとつある。
私の修行時代、Berufsschule(ベルーフスシューレ、修業中同時進行で通う職業訓練校)の最終年の時の事。ローゼンハイム(バイエルン州の中核都市)にあるBerufsschule始まって以来、初となる試みで同級生と共にフランスへの卒業旅行が企画された。実際には実習という形で現地の職業訓練校訪問や食肉加工店シャルキュトリー見学など、フランスの食肉加工の現場を見てきた。
実際に現場を見て感じたのはただ一つ。
脱骨作業など基本的な仕事が雑。もし私の修行場でこのような仕事をしたなら親方の怒号が響くだろうし、ドイツで働ける場所はないだろう。
フランスでは、大きな屠畜場が(不確かではあるが)国内で2つあるのみで、肉の供給源はそこからと、ほとんどの肉はドイツからの輸入と隣国に頼っている状態、と現地で説明を受けた。花の都は汚れる仕事はドイツに押し付けいかにも優雅である。こうした皮肉も、派手ではない日頃の僅かな積み重ねからくる熱いプライドから生まれることで、仕方ない事と理解していただきたい。
Berufsschuleに通っていた時の我々の先生は自ずと肉のマイスター取得者になるわけだが、長年地域の職人を現場(修行先)ではなく学校で理論とともに指導してきた。名前はブルグハルト。我が親方も修行先クンツの息子ミヒャエルも教え子に当たる。
彼は生徒に色々な経験をさせたいという熱意のある教師で日本でもお馴染みで有名なドイツのコンテストにも出場させてくれる。(例えばDLGデーエルゲーやSUFFAズーファ・・・)
※DLG Deutsche Landwirtschafts-Gesellschaft ドイツ農業協会
※SUFFA ドイツ国際食肉見本市
ちなみに日本ではコンテストでメダルを取ることが店側・客側のステータスになっているが、日本からの出場者が非常に多い。メダル獲得とかキーワードで検索してみるのも面白いがモンドセレクション同様、どれだけのメーカーが各賞を受賞しているか驚かされるだろう。
日本人が賞が好きで賞に弱いのが伺える。
そのコンテストにBerufsschuleの生徒たちは、1年生から各学年毎年出品する。結果は色は違えど毎年何かしらメダルを貰う。貰えなかったことは一度もない。マイスターでも職人でもない弟子たちで挑んで・・・である。
受賞の内訳は、各メダル一人ずつではない。絶対評価で採点され、得点によりメダルの色が決まる。ただそれだけのコンテストである。それ故に同賞が多く存在する。
ブルグハルト先生もそんなことは分かっていて、生徒の『思い出作り』をしてくれた、だけである。私の親方も『単なる遊び。』と一蹴・一笑した。
※このことについては度々日本でお伝えしているが中々伝わらないのが残念。
ステフィの御主人が中を案内してくれた。忙しなく皆が働いている。涼しい作業場だが熱気に溢れかえっていた。突き進むと一人で肉の成型作業をしている50代半ばの男性が居た。追われるように額に汗をかいて作業している。ふと顔を上げステフィに気付いた。
ドイツ人男性は女性に非常に優しい。羨ましく感じるのは嫌味など微塵も感じられないこと。そういった事に慣れない私がそんな優しさを見せれば、悲しいかな、間違いなく何かヒンターグルンド(Hintergrund 背景・裏)があると思われるだろう。『自分不器用ですから』的な男が、極まれにそんな優しさを見せようものなら、全く意図せず『オレ・・・スキ・・・オマエ』のような印象を与えてしまうという悪循環に陥るのだ。
魅力的な透き通った青い目をした、見つめれば吸い込まれそうなステフィだから、というよりは彼女が以前この場所で、非常に良く働いてくれた、助けられたという評価が社長の表情と言葉から感じられた。ステフィは間違いなく一人の職人として愛されているし、リスペクトされている。
今回の旅には、お土産に妙香園の緑茶と茶葉入れを持ってきた。外国人受けしそうな可愛らしい小さなパックと和柄の茶葉入れにとても感激してくれ
『隅々まで見ていってくれ!』
作業の手は止めない。少しでも止めれば今日の仕事は永遠に終わらないかのように。
私にとってもその方が気が楽だった。初めて会う外人の為に忙しい仕事の邪魔は出来ない。
続けて写真を撮っても良いか聞いた。目が合いながら少しだけ沈黙し、公開しないという条件付きで許可を受けた。
ステフィーとの再会の流れから社長と話し込んだので握手をするのを忘れていた。お互いに思い出したかのように握手をする。
この場合の握手は(相手の手が肉を触っているため。)こちらが相手の手首を掴んで握手する。
他にも彼の息子、弟子含め職人が5人ほどいた。人数を見ても繁盛店というのが伺える。通常この規模だと3人で十分で4人居れば時間に余裕を持って仕事が出来る状態に持っていける。5人がマックスでフル稼働していた。
ステフィと同年代のジュニアと挨拶を交わす。腕のタトゥーが印象的でその上を掴んで握手した。少し眠たそうな表情のぽってりとした弟子も機敏に動いていた。
ひととおり挨拶を終えたところでステフィの御主人が細かく案内を始めてくれた。
元来た部屋を戻り、3人が会った元屠畜場の向こうに大きな部屋型の冷蔵庫がある。その扉を開けると左側にたくさんの豚腿肉が塩漬けにされていた。香りと見た目からジュニパーベリーやキャラウェイが使われているのが分かる。約1か月塩漬けにするのだという。
※生ハム作りで塩漬けにする工程は主に乾塩法。言葉の通り乾燥した塩やスパイスを擦り込んで寝かせる。加熱タイプのハムではスパイスを加えた塩水(ピックル液やソミュール液と言われる。)に漬け込むのが主体。但し、非常に簡易的に加熱タイプのハムを作る場合、乾塩法を使ったり、塩水を注射する方法もある。
右側には塩漬けが終わった腿肉と、メットヴルストが吊り下げられていた。これは燻製部屋に移る前の段階で、Durchbrennen(ドゥルヒブレネン)と呼ばれる作業。言葉から、熱を最後まで通しきるとか最後まで火を通すなどが、想像できるが、塩漬け状態から上げて落ち着かせる、芯まで均一に塩分をまわす、中心部まで発色させる、とかそんな意味合いを持って行われる作業で、重要な工程のひとつ。
その冷蔵庫の隣の部屋。奥の方にまた大きなステンレスの扉があった。その扉の手前部分の部屋は真っ黒にすすけていて、その扉の向こうが燻製部屋であるのを部屋自ら強く主張していた。
いよいよ扉が開いた。
暗闇で目を瞑った時の黒。
黒の上に何重にも黒を塗りつぶした黒。
何も見えない漆黒の闇の中を目を凝らして必死に見ている自分が居た。
Finsternis 闇 暗黒 (霊的・精神的な意味でも)暗闇
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