能登半島視察を通して
2024.08.29 ゆめみ
こんにちは。大学1年のゆめみです。株式会社なんで・なんでが主催した、三日間(8月26日~8月28日)の能登半島の視察に参加しました。秋田市を出発し初日に七尾市、二日目に珠洲市、輪島市を訪れました。この三日間に感じたことをお伝えしたいと思います。
参加した経緯
まず私が能登半島の視察に参加しようと思った理由は、ニュースなどで見る被災地の映像で報道されているのは一部の被害のみであると考え、実際に自分の目で現場を見て、直接、被災された方や現地で活動している方からお話を聞きたいと思ったからです。
能登半島というところ
車で移動する際、窓から見る景色には広大な山、海といった、豊かな自然に囲まれた美しい姿がありました。1日目に七尾市の飲食店でいただいたお刺身や白エビの唐揚げは素材の味が濃厚でのびのびと育ってきたからこその味の深みを感じました。
被災地を見て
1日目に七尾市を歩いて回ると道に亀裂が入っていたり、床のタイルが剥がれていたり、「危険」と書かれた張り紙があり、今にも崩れそうな家を柱や紐で固定している様子を目にしました。応急処置をしている段階で半年以上たった今でもこのような状態であることは衝撃でした。もしまた地震が起こってしまったら、と考えると危険な場所がたくさんありました。2日目に珠洲市、輪島市で全壊した家屋、横倒しになったビルなどを見たときに、自分で受け止めきれないほど胸が痛くなりました。テレビの映像で見たことのある風景をいざ目の前にすると、感じるつらさの重みがより強く、濃かったです。映像で感じられないものを感じました。被害を受けた家屋を見ると子どもが遊んだままのおもちゃが玄関の前に転がったままだったり、台所の机にコップと瓶が置かれたままだったり、そこにはそれぞれの生活があって思い出があったいつもの風景、帰る場所であったことを実感して、被災者の気持ちの重さを想像すると悲しくて苦しくて、うまく言葉で表せない感情になりました。今現在でも避難生活を余儀なくされている方々がいる中で見慣れた風景や帰れる場所を失うことの傷への心のケアは重要であると考えました。そのために日頃から相談できる人との関係の幅や種類を広げていく必要があります。七尾市と珠洲市、輪島市をつなげる道路には亀裂が入っていたり、土砂崩れによって作り直していたり、凹凸が激しくなっていたりする箇所が多くあり、車の中から見るとブルーシートがかかったままの建物が多くあって、災害が起こったそのときのかたちで残っていると思われるものを目にし、人手不足といった問題も発生していて、災害発生時から半年以上が経過しても復興が自分の想像よりも進んでいないことがわかりました。なぜ進んでいないのか突き詰めていくことで制度のあり方、地域性の特徴など環境や社会の仕組みなど複数の複雑な要因が絡まり合っていることを知っていくことにもつながっていくと考えました。また、復興は一致団結していくものであるというイメージがありましたが、実際には行政と民間では重視するものへのズレが生じていてより強い連携が必要とされているというのを聞いて現実をつきつけられた驚きがありました。被災者が求めていることと今の支援状況のギャップはどのくらいなのだろうかと疑問に思いました。災害によって様々な問題が派生していてそれらをどのように優先順位をつけて解決していくか、誰がどのような方法でやっていくのかなど問題の根本的な解決への道は長くて険しいと感じました。復興に進んでいくためには認識、未来に思い描いているものの違いを小さくしてすり寄せていくために、被災者の気持ちを直接聞いて対話していくこと、過去に同じ災害を経験した人の視点からも見て必要な支援について生の声を聞くことが大切であると考えました。
現地でボランティアをしている人との対話から
ボランティア活動をしている人たちのお話を聞いて印象的だったのは明るい表情で一人一人が強い思いをもって活動をしていることです。特に自分と近い年代の方が、明確な理由をもってインターンシップに参加していたり、牽引する存在として活躍していたり主体的に動いている姿を見て、まだ自分が受け身になって生きていることとの差を感じた。行動に移すことへの勇気がみなぎっていて刺激を受けました。未来を見て前向きに行動していることがわかりました。OKNO to Bridgeを訪問した際に出会った、実際にインターンシップをしている大学生が、「地震があったからこそ注目度が高まり、人が集まったりしていて、新たな人とのつながりなど地震があったからこそ生まれたものがある」と話していたのが自分にとって新たな考え方で、自分がどれほど能登半島地震に対して無関心で他人事として考えていた自分の情けなさを痛感し、自分ができることは何だろうと次の行動へ考えるきっかけになりました。能登で活動する人たちのお話を聞いて、それぞれの人がそれぞれの理由をもって自分ができることは何か考え行動し続けている姿勢に感銘を受けました。ボランティア活動には瓦礫撤去という力仕事だけでなく、農業、子どもへの学習支援など多様な形があることも新たな発見でした。
現地の人のお話から
2日目の夜訪れた飲食店の店員さんが「復興は進んでいない」と言っていました。どのような順番で瓦礫撤去が行われているのか、どのように復興が進んでいくのか不透明な現状と先の見えない不安を感じながら日々を送っていることがわかりました。ニュースではあまり報道されなくなり、世間の注目度が薄れてきている中で、当事者との認識のズレを感じ、被災者が心に抱えるものの大きさを垣間見た瞬間でした。
3日間を通して
能登半島の視察を通して、実際に現場を訪れたからこそ初めて知ったことや初めて感じた気持ちがありました。実際に被災した方にお話を聞きたいと思っていましたが、被災者の立場になると、被災者にしかわからない気持ちがあり、思い出したくない、繰り返したくない経験で、辛さに向き合って話しても誰が解決してくれるのか、復興は進むのか、気持ちを受け止めてくれるのか、といった葛藤もあり、本当の気持ちを言える場所や人は限られているのではないかと考えるようになりました。私自身にそれらを受け止められる覚悟はあるのか、なんという言葉で返すべきなのかと自問自答を繰り返しました。課題は山積みのままであり、なぜ復興が進んでいかないのか、自分ができることは何か、考え続ける3日間でした。自分の地域でもし地震が起こったら、どのようなことが問題になり、どうやって復興に近づけていくか、学んだことを踏まえて考えたいです。