しゃべるピアノ
「……暗いな」
部屋に入った男が呟いた。
煤けた灯りの下で、古ぼけたピアノが寂しげに佇んでいる。うっすらと埃を被った蓋に触れると、弱々しい囁きが聴こえた。
――待ってたわ。私を助けてくれるのは、あなたしかいない。
「出来るだけのことはしてみる」
男は音叉を取り出すとその精緻な音に耳を傾けながら、慎重にラ音の音色を確かめた。レ…ソ…ド…ファ……男は黙々と彼女の音を合わせていく。
世に数多いる調律師の中で、ピアノの声が聴こえる選ばれし者。そう、彼は「聴律師」なのだ。
――違う、少しきつい。そんな高い声、すぐに枯れてしまう……そう、そのぐらい。
鍵盤に指を這わせては、手にしたハンマーで弦を調える。時に締め、また緩めながら、二人だけの濃密な時間が流れていく。
やがて男が大きく息をついて顔を上げた。
――歌わせて。
頷いた男がそっと鍵盤に触れると、がらんとした部屋に歓喜に満ちた彼女の歌声が、長く朗々と響きわたった。
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