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【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第1章 ② 火事

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時は1999年に遡る。
2000年という大きな節目を前に、浮足立つ年の瀬に起きた火災が原因で、沙和子は5歳で母を失った。折しもクリスマスイブのその日、たまたま父は出張で家を空けており、四つ違いの姉は友達の家で開かれる泊りがけのクリスマスパーティに招かれていた。
家にいた母と沙和子が夜中に目ざめた時には、すでに家の中は火の海だった。

「沙和子! さわこっ!! 起きて!!!」

半狂乱の母に腕を掴まれ、引きずられるようにして階段を駆け上る。一階はすでに火が回っていて、逃げることは不可能だった。母は幼い沙和子を抱きかかえるようにして窓際に駆け寄ると、ガラスが割れるほどの勢いで窓を引き開けた。その瞬間風が流れて、廊下の炎と煙が一気に部屋の中へなだれ込んでくる。喉を焼く煙と熱気に、沙和子は激しく咳き込んだ。

「奥さん、その子を!」
「さわちゃん! 美里さん!」
「投げろ! 早く!!」

炎の唸る中で、なぜか外の声が沙和子の耳にくっきりとこだました。母に抱かれた肩越しに迫りくる炎と煙が視界を塞ぐ。思わず母に強くしがみつこうとした瞬間――体が宙を舞った。母の美里が、渾身の力で沙和子を窓から放り投げたのだ。あの華奢でなよやかな、優しかった母が。

「来るぞ! 外すなっ」
「――よし! 沙和子ちゃんは無事だ!」

近所の男性たちが取り囲むようにして受け止めた沙和子を、近くの女性たちに押し付けるように手渡す。

「奥さん、早く……!」

再び男性陣が固まって腕を伸ばした。だがいくら小柄とは言え、二階から飛び降りる成人女性を素手で受け止めるには危険が大きい。

「誰か布団を持ってこい!」
「だめだ、間に合わんっ」
「構わん! 奧さん、飛べっ。俺たちがっ……!」

突如、すべての声を呑みこむような轟音が響き渡った。凄まじい熱風と粉塵に、庭に集まっていた人垣が慌てて一斉に退避する。

「みさとさんっっ!!!」

悲鳴にも似た女性の絶叫が走る。
沙和子の生まれ育った古く温かな家は、その瞬間、無残にも崩れ落ちた。


――不審火。
後からそう聞かされた。全焼した家を検証したところ、家の中が火元とされる証拠は見つからなかったという。玄関付近が最もよく燃えていることから、翌日の廃品回収に向けて置いてあった新聞紙の束に、誰かが火を点けたのではという疑いが持たれた。当時その地域では、同様の放火事件が散見されていたのだ。

そうして沙和子の家は父子家庭となった。

「可哀想になあ、娘さん二人残して……」
「でも不幸中の幸いかもしれんぞ。ご主人が残ったからな」
「ああ、女の人だと稼ぎがなあ……そのかわり男手だけだと、家のことは大変だけどよう」
「それが、あのお姉ちゃんがしっかりしてるのよ。まだ三年生って聞いたけど朝ごはんもちゃんと作って、妹さんの面倒も見てるんだって」
「大したもんだ、さすが女の子だなあ」

だが世間の同情は、やがて口さがない噂話と詮索に変わっていく。ご主人も早く新しい人もらわないと、という世話焼きが現れるまでに大して時間はかからなかった。

「沙和子ちゃんも、新しいお母さんが欲しいでしょう」

ご機嫌を取るような笑顔の裏に隠された “そのはずだ” とばかりの決めつけが重くて、沙和子はいつも無言で頑なに首を振った。すると決まって大人は諭すような口調で言うのだ。

「あんたはよくても、お父さんが可哀想でしょう。それにお姉ちゃんもあんなに小さいのに、お家のこと引き受けて頑張ってるんだし。自分のことばっかり考えてちゃいけないよ。もっとお姉ちゃんを見習わなきゃ」

そして巷で大人気のアニメ映画に出てくる姉妹を例えに持ち出すのだった。
最初は沙和子も、その映画の主人公である妹に自分の姿を重ねたものだ。そして映画同様、その物語に出てくる不思議な森のもののけに会ってみたいと願ったが、まわりの大人はそんな空想よりも、しっかり者の姉を褒めたたえる一方だった。

「ちゃんとお姉ちゃんの言うこと聞くのよ。メイちゃんみたいに我儘言って、お姉ちゃんを困らせたらいけないよ」

判で押したように同じ言葉で締めくくる大人たちに囲まれるうちに、次第に沙和子はその映画が嫌いになっていった。


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