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【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第1章 ③ 海還葬

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「――だから私は小さい頃から火葬が怖かったの。でも日本だとそれしかないからしょうがないって、若い時からずっと思ってて……映画やニュースで見る外国の土葬が羨ましいぐらいだったの。でもけっこうな歳になってから、今のこの、水火葬って言うの? それが出た時には『ああ、こんな方法があるんだ』って思ったら、すごく嬉しくなって。まあこんな話で嬉しいっていうのも、おかしいかもしれないけれど」

口ごもりながらも沙和子が言うと、晃雄は困ったような笑顔を浮かべた。

「うーん、君が火を怖がるっていうのは僕もよく知ってるし、その理由を考えたら無理もないとは思うけどね。でも世間ではあんまり知られてないけど、やっぱり水火葬は水火葬で、いろいろ問題があるんだよ」
「問題?」

晃雄は難しい顔で腕を組んだ。

「そうだよ。政府は一生懸命推してるけど、実際には揉め事も多いんだ。たとえば水火葬は、処理後の水を海に流すだろう?」

沙和子は不得要領に頷いた。仕組みはよく判らないが、薬品を使って融解したあとに残る液体は、ほぼ無色透明の無害なものになると聞いている。
その沙和子の内心を読み取ったかのように、晃雄が言葉を続けた。

「それはあくまで化学的な話でさ。実際にはそういう水を海に流すっていうのを快く思わない人も多いんだよ。まず漁業関係者だよね。それから沿岸部に住む人たちとかさ。沙和子も考えれば判るだろ? 自分たちが食べる魚を獲ったりレジャーで入る海に、そういうものが流されるのを嫌がるっていうのは」
「でも、実際に流すのはずいぶん沖の方なんでしょう? 昔の散骨なんかと同じで」

沙和子や晃雄が若かった頃、散骨というものが流行った時代もある。ただそれも海に撒く場合は、漁業や近隣住民に配慮が必要とされていた。もっとも骨まですべて溶かしてしまう水火葬が主流になりつつある現代では、もう散骨という風習もかなり廃れつつあったのだが。
晃雄はまさに、という顔で頷いた。

「そうだよ。だから逆に天候が悪いと船が出せなくて、せっかく遺族が日を合わせても急遽キャンセルになったりとかするんだ。でも何より、ご遺体を溶かすっていうことに抵抗がある人も少なくないんだよ。僕も嫌だね、はっきり言って」

水火葬に抵抗を持つ晃雄の考えは、沙和子にも理解できる。ただ火葬に怯える沙和子にとっては、薬品で溶かすことに抵抗があるというより、ただ単に馴染みのないことから来る不安という方が近かった。
だが晃雄は大きなため息をつくと、ソファへどっかともたれかかった。

「国はいいことばかり謳ってるけどさ。実際には環境問題とかいろいろうるさいもんだから、かなり強引にそっちへ振ろうとしてるんだよ。『海に還る』だなんて聞こえのいいフレーズがその典型だね。単なる目眩ましだよ、あんなの」

かなり辛辣ではあるものの、晃雄の言うことも一理あると沙和子は思った。
当初は単に『水火葬』と発表されたものの、世間の抵抗の強さに懲りたのだろう。次第にその手法よりも『生命の源である海へ完全に還ることができる』という趣旨を強調するようになり、その流れから『海還葬』という言葉ができた経緯は、沙和子の記憶にも強く残っていた。

「でも実のところ、“自然に還る”という意味では水火葬がいちばん近いんじゃないの? 土葬は結局お棺の中のままだし、火葬でお墓に納骨しても骨壺のままだったら同じだし」

晃雄はにわかに顔をしかめると、不快げにため息をついた。

「何だか縁起の悪い話だな。まだ僕たちもそこまでの歳じゃないんだから、あんまりお墓とか遺骨とか言わないでくれないか。それこそ、まるでうちの親父たちの話をしてるみたいだし」

沙和子は慌てて口をつぐんだ。とは言え晃雄は現在62歳、沙和子自身もあと2年で還暦だ。平均寿命から言えばまだまだかもしれないが、60歳と言えば初老の域だ。何があってもおかしくはない。まして晃雄の両親はともに90歳近い超高齢者なのだ。歳のわりには達者で今もこの家に同居しているが、義母の芳江にそろそろ怪しげな言動が出始めていることも、沙和子の気がかりではあった。
晃雄はソファにもたれまま、顔だけを沙和子の方へ向けた。

「さっきも言ったけど、今時昔ながらのやり方で葬儀ができる家っていうのは、国民の中でもすごく恵まれた層なんだよ。今は墓のある家自体がもう希少価値的存在なんだからね。僕としては、この先もそれを守っていく義務があるんだ。そこはちゃんと理解してくれよ」

この話は終わりとばかりに、晃雄がソファから立ち上がる。

「正直、親父たちもいい歳だし、そろそろそういう話が出てくるのもやむを得ないとは思ってるよ。でも沙和子が悩むことは何もないんだ。親父たちは昔ながらのやり方で送ってやりたいし、向こうもまたそれを望んでるんだからね」

義父である和正とその妻の芳江が同様の志向であることは、今さら考えるまでもない。特に和正は、時に晃雄以上の優越意識の持ち主でもあった。平凡なサラリーマン家庭に生まれ、自分の頭脳と才覚だけで大蔵省、ひいては財務省の幹部まで昇りつめた和正の中に、“人とは違う自分”という認識がごく普通の感覚として存在しているのを、沙和子は結婚当初からはっきり感じ取っていた。

「ああ、でもさ。うちは沙和子が家の中のことを万事うまく仕切ってくれるから助かるよ。仕事なら滅多なことでは人に負けない自信があるけど、家の中のこととなると、僕はからっきし気が回らないからね」

沙和子の表情が曇っているのを気にしたのか、晃雄が宥めるように沙和子の肩を両手で優しくさする。

「沙和子もたまには気晴らしに出かけるといいよ。通販ばっかりじゃなくて、買い物がてら街に出てみるとかさ。親父たちがいるって言っても、四六時中、沙和子がついてなきゃいけないわけじゃないんだから――あ、着替え出しといてくれるかい?」

晃雄はぽんと沙和子の肩を叩くと、ちょうどチャイムの鳴った風呂場へと向かっていった。夫の姿が見えなくなると、沙和子は堪えていたものを吐き出すように深いため息をついた。


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秋田柴子
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