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おとしもの【#2000字のホラー応募作品②】

「今日はお会いできて本当に嬉しいです。桜木さんのプロフィールを拝見してぜひにと思ったけど、競争率が高そうで半ば諦めてたので……」

桜木美緒は信じられない思いで目の前の男性、榊優一を見つめた。
三十六歳だというが、実際には三十過ぎぐらいにしか見えない。仕立てのいいスーツをきちんと着こなし、落ち着いた物腰と穏やかな笑顔はなかなかの好印象だ。

お決まりのホテルの喫茶店で、榊は手際よく自己紹介をした。
だが婚活市場の男性に多い"自分語りオートリピート"の気配は微塵もなく、むしろ美緒の話を好んで聞きたがった。そして時に声をあげて笑ったり、優しく思いやりのある言葉を返す。
初回のデートとしては、ほぼ満点と言ってよかった。

「今日はありがとうございました。本当に楽しかったです。ご迷惑でなければ、近いうちにぜひもう一度会って頂けませんか」

別れ際のありきたりの台詞にも強い熱意と真実味が感じられる。ボロの出がちな会計もスマートで非の打ちどころがない。
これは相当のアタリを引いたかと、美緒の胸は高鳴った。

二人の交際は順調に進んだ。
年齢のせいもあってか、榊の話しぶりは落ち着いていて心地よい。五つ年下の美緒の質問にも、ゆっくり考えてから丁寧に答えてくれる。これまで婚活センターから紹介された男性の中でも抜群の好感触だった。

そして瞬く間に三か月が過ぎた。

その日は榊の車で珍しく少し遠出をしていた。
どこまでも広がる海。人の少ない広い砂浜。空と海を茜色に染めて沈む夕日。まさにプロポーズには最高の舞台だ。

「美緒さん。今日は美緒さんに話があって……」

顔を赤らめて口ごもる榊に、美緒は温かい笑顔で応じた。
男性が言い出しやすい雰囲気を作るのも、婚活には大事なポイントだ。

「あの、美緒さんさえよければ、僕と……うわあっ!」

突如榊の体がぐらりと揺れた。そのまま勢い余って地面に倒れ込む。

「まあ、ごめんなさ……待ちなさい、悟!」

どうやら近くにいた子供がはしゃぎ回り、榊の後ろから激しくぶつかったようだ。母親は謝罪もそこそこに、走り去る子供を追いかけていく。

「ああ、びっくりした……優一さん?どうしたの!?」

親子の姿から目を戻した美緒は仰天した。
転んだ榊は、立ち上がるどころか地面に膝をついたまま、一心不乱に何かを探しているではないか。

「何か落としたの?私も一緒に……」
「動くな!!」

しゃがみかけた美緒は、榊の大声に竦み上がった。呆然と立ち尽くす美緒にも構わず、榊はなおも狂ったように地面を這いずり回る。

「ねえ、コンタクトか何か落としたの?」
「うるさい!動かないでくれ!」

だが虚しく時が過ぎ、空がインクを流したような群青色に変わり始めた頃になって、ようやく榊は諦めたように立ち上がった。その口から忌々しげな舌打ちが洩れる。

「――帰ろう。遅くなった」

それだけ言うと榊は別人のような仏頂面で、さっさと車の方に歩いていく。美緒は慌てて後を追った。

結局プロポーズどころか怪しげな暗雲が立ち込めたまま、その日のデートは終わった。別れ際もそっけない「じゃあ」の一言のみだ。
――運転ができるなら、落としたのはコンタクトレンズではないのだろうか。それにしても……
美緒は怒りも通り越して、狐につままれたような心境だった。

翌週、再び榊から会いたいと連絡を受けた美緒はひどく悩んだ。
あの豹変ぶりは確かに異常だった。だがこれだけのことで手切れにするには、あまりにもったいない相手であることも事実だ。

「この前はごめんね、美緒さん」

美緒の前に現れた榊の表情は、以前と変わらず穏やかだった。

「あの、この前の落とし物は……」
「ああ、それは気にしないで。それより今日は山の方に出かけてみないか?どうも僕は海とは相性が悪いみたいだ。ははは」

冗談めかした物言いに、美緒もひとまず安堵する。
山もまた景色のいい場所には違いない。そこでプロポーズの仕切り直しということもあるだろう。誰しも多少の裏表はあることだ……



「お帰りなさい、優ちゃん。大変だったわね」

夜遅くに帰宅した榊を、母親が飛びつくようにして出迎えた。

「まあ前回のミスの後始末ともなるとさすがにね」

榊はやれやれとばかりに、リビングのソファにどっかと座り込んだ。

「――そうねえ、確かにこの前イヤホンを落としたのは失敗だったわね」

「まったくあのガキ、思いきりぶつかりやがって。あれさえなければちゃんとプロポーズの言葉が言えたのにさ。それまではママの指示がリアルタイムに聞けてたんだから。あのイヤホンのおかげでね」

憤懣やるかたない息子を宥めるように、母親が何度も頷いてみせた。

「それに今回はカメラも新しく買い替えたものね。だから前よりあなたたちの会話がはっきり聞こえて、ママもよかったわ。でも女性にあんな大声出しちゃだめよ。まだ結婚前なんだし」

「判ってるよ。でもいつもと違ってママの声が聞けないから焦ってさ。おかげですっかり調子が狂って……でもその話も今日でおしまいだ。狙いどおりの手頃な崖があってよかった。もちろん警察にはママの言うとおりに説明したよ。『蜂に驚いた彼女がバランスを崩して……』ってね」

「お手柄ね、優ちゃん。じゃあしばらくしたら、また次のお相手を探さなきゃ。それまでもう少しママとデートの練習もしましょうね」

母親は満足げな笑顔で頷くと、嬉しそうな息子の顔を細い指の先でねっとりと撫で上げた。

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