あいきゃん爆誕祭でディレゾとキセキヒカルが歌われたことについて
まずは結論と要約
10/23に開催された小林愛香 爆誕祭「Happy ∞ Birthday」
その場でセルフカバー2曲が披露された意味
それは小林愛香の中にある
「感謝」「自身の生き方の振り返りと主張」
それらを彼女特有のまっすぐさで、過不足なく、「歌」で伝えたいという強い意志
だと感じたっていう話
そしてそんな手段を選んだ彼女はなにより
「歌うことの力」を真摯に信じているんだな
って痛感した話
※話が発散しすぎるのもよろしくないし、自分がいわゆる典型的な「Aqoursからあいきゃんを知った」ファンであるためどうしても今回のセルフカバー2曲に重点を置いたライブ振り返り文章になっていますが、後述するようにあいきゃん自身のメッセージがくっきりはっきり描かれた個人楽曲もどれもめっちゃいいんです!……という御託が必要ないほどに彼女の歌はほんとシンプルに「人生を楽しもう!」が詰め込まれたものばかりなので是非そっちもたくさん聞いてみてほしいな…きっとそれがアーティスト小林愛香が一番望んでいることじゃないかなと思っているので。。。※
※相変わらず引用や出典などは記憶便りな部分もあるのでざっくりです。色んな資料、日本に置いて来ちゃってるから…※
以下、一人の小林愛香オタク(Liand)の感想文です。。。
あいきゃんの魅力って?
まず大前提としてあいきゃんは「エネルギーの塊」で「楽しむことの天才」だと思っている。
個人活動の場でもAqoursとしてでも、どんなに多忙に見えるときであっても、一人のパフォーマーとしてステージ以外の場所であっても誰より笑って跳ねて全身で「楽しい!」を表現している。
ただそのスタイルを、彼女の天性(の要素も幾分あるとは思うが)のみで成し遂げているものだと言ってしまのは流石に不誠実だと感じてしまう。
これは比較的最近にあいきゃん自身から発せられたもので個人的に非常に心に刺さったコメントの1つ。
彼女それを簡単なことでないとわかっていながらも、常に自覚的に「楽しい!」を作り出して周囲に見せようとしているしそれをまっすぐに届けようとしているという意思の証拠だと思ったから。
そもそも自身があいきゃんのファンになったきっかけも、まだはっきりといわゆる“推し”が決まっていない状態でAqours 1stライブを見ていたときだった。
1曲目、青ジャンの間奏で誰よりも笑顔で高くたくさん跳ねまわって「楽しい!」を表現している姿を見てから目が釘付けになったことをはっきりと覚えている。
あのときあの瞬間に感じた彼女の魅力は同ライブが進む中でも全く変わることなく……というか、6年以上が経った今でも全く変わっていない。むしろAqoursとしてソロアーティストとしてマルチな経験を重ねることで、またその過程で彼女の「楽しい!」にたくさんの人を巻き込むことで年々加速度的にパワーを増しているようすら感じる。
それも全て、どんなことに対しても彼女が意図的に努力し続けて「楽しい!」を体現し発信し続けてきたからだと1ファンとしては信じてやまない。
そして、そんな彼女の「楽しい!」のエネルギーはいつだって決まった方向をさし続けている。
たとえ小さくても夢をもつこと
そして人生を自由に楽しむこと
まだメジャーデビューを果たして本格的にアーティスト活動をするより前、2018年春にMy.Girlにて初の巻頭インタビューを飾ったときから今日まで、どんな媒体のインタビューにおいても彼女のこのスタンス・ポリシーはあまりに一貫性をもって表現され続けている。
・ブレない芯を貫き通し続ける強さ
・「楽しい!」を通して誰よりも先に自身が信じるポリシーを体現し続ける有言実行力
これが小林愛香という表現者の魅力だと思う。
あいきゃんのライブの魅力って?
そんな風に一貫したポリシーを持ち続けているあいきゃんの歌やライブステージの魅力は実体験としてもとてもシンプルだ。
「楽しい!」
この一言に尽きるしそれこそが彼女が目指しているもののように感じる。
ただここで特徴的だと感じるのは
「あいきゃん自身が一番楽しそう」
というところだと思う。
もちろん一人のパフォーマーとして我々ファンを楽しまそうとしてくれているのは随所に感じられる。が、そんなことよりもなによりファンからの目線で見てもどう考えても「あいきゃん自身が一番楽しそう」なのだ。
人生を自由に楽しむこと
一度でも、一曲でもいいから小林愛香のステージパフォーマンスを見てほしくて仕方がない。ソロアーティストしてのものでもいいしAqoursとしてのものでも構わない。場合によってはライブでなくても各種生配信でトークをしている姿でもいいかも。
「なんでこの子はこんなに楽しそうなんだろう?」
きっとそんな感想が頭をよぎる瞬間があると思う。6年間以上彼女を推して追い続けている自分ですら今でもしょっちゅうよぎる。
それは大好きな歌やステージ上でのパフォーマンスを通して「楽しい!」を誰よりも先頭に立って表現することで、彼女の信じるポリシーをどんな千の言葉よりもわかりやすく教えてくれているのだと感じる。
それゆえか、彼女はライブ中のMCなどでもあまり多くは語らない。
誰よりも今を楽しむこと。その感情を全身で体現すること。
大好きな歌やステージを通せばきっとそれだけで十分なメッセージを誰かに届けられると真摯に信じているから。
だから小林愛香のライブステージの魅力は「楽しい!」
ないよりその一言で表してしまっていいのだと思う。
それがある意味で過不足のない全てといってもいいのかもしれない。
爆誕祭の特別さ
あいきゃんのライブの魅力は「楽しい!」
とてもシンプルだが、まずはそう感じることが全てでいいのだと思っている。
ゆえに、
小林愛香のライブや楽曲を必要以上に読み解こうとすることはしてこない部分もあった。
だって繰り返しになるが、小林愛香のライブはいつだってシンプルに楽しくて、誰よりもそれを理解して楽しそうにしている小林愛香がステージで眩しく輝いていて、あまりにもメッセージ性がまっすぐで一貫しているから。
その歌や声と表情でいつも明確かつシンプルに表現し続けてくれているから。
なら自分はそれをまっすぐに受け止めるのがいい。
それが彼女の本懐でもあるのではないか。
出過ぎた考察をすればするほど、真にあいきゃんが伝えたいメッセージから離れてしまうかもしれない……
そんな風にも思っていた。
しかし
小林愛香 爆誕祭「Happy ∞ Birthday」
個人アーティスト活動の起点やAqoursとしてのある意味非常に重要な時期の予定がコロナ禍によって大きく曲げられてしまった経緯をもつ彼女にとって、コロナ禍が一区切りした状況で迎えられた生誕30周年というメモリアルライブ
その中にあったパフォーマンスに、既存のライブとの大きな差別化ともいえる要素があった
初めてのセルフカバーの披露
もっと端的に言えばAqours楽曲の歌唱
結果としてセルフカバーされたその2曲は
全く別、見方によれば真逆の意義をもってセトリに組み込まれていたと思う。
ただいずれにしても感じられたことは、
今日この場で「歌いたかった」という強い意志と意味が添えられていた、ということ。
個人活動内でのセルフカバーについて
※業界に詳しいわけではないので若干以上想像で話します
2つの真逆の意味で披露された(詳細は後述)セルフカバー。
そもそも個人活動内で版権作品に関連したセルフカバーを行う意味とはなんだろう
セルフカバーによるメリットとデメリット
メリット
・お祭り感醸成。ライブセットリストのボリューム/バリエーションUP
・版権作品から参入したファンへのサービス
デメリット
・権利問題から発生する弊害(金銭面やパッケージ化の制限など)
・音楽性の統一感の欠如
しかし、こうした面から今回の爆誕祭でセルフカバーを採用したのがどういった打算のものなのか……と考えるといまいち腑に落ちない。
なぜならセルフカバーの披露のされ方として、上記のメリットは最小化、デメリットは最大化していたように見えたからだ。
メリットに対して、
あいきゃん自身は既にワンマン未発表含め数多くの楽曲を持っており、その数は一度のワンマンライブでは全てを消化できないほどだ。そしてセルフカバーすることは事前告知もまるで明言されていなかったため集客……という意味でもあまりメリットを生かしていない。(ライブ中にも「お祭りみたいなライブにしたかった」と口にはしていたが…)
またデメリット対して、
コロナ禍只中以外の既存の有観客ライブでは実施していなかった生配信・アーカイブ化に踏み出している点で、デメリットとして生まれる障壁をより大きくしているとまで感じられた。ワンマンライブの配信は昨今の他声優アーティストを見ても稀なケースであるのに、さらに海外向けストリーミングまで手配をしている始末だ。音楽性の統一感に関してもだ。セルフカバー2曲は両者ともライブセットリストの中でも非常に印象的なパートに配置されていた(後述)。
メリットの最小化とデメリットの最大化
そう考えると逆説的にもなるが本ライブでのセルフカバーは、どちらもこのメモリアルライブでなにがしかの必要性があって行われたものだと察することができる。
そしてよりによってセルフカバーのデメリットを抱える本ライブで配信に踏み切ったことも、
彼女を応援するファン全てへ、古くからのファンにも新しいファンへ、
場所や時間を越えてでも一人も取りこぼさずに特別伝えたいことがある
という強い意思と感じ取れた
今回のライブが単純なワンマンライブではなくメモリアルライブであり、それゆえの特別なメッセージがあったから。
そのためにそれを嘘偽り…というか過不足なく伝えるためにセルフカバーを行うことが必要だと考えたから。
そうした強い意思があって、セルフカバーの2曲はセトリに組み込まれたのだと思う。
セルフカバー2曲の位置づけと意味
今回のセットリストは以下の通りだった。
1. Happy∞Birthday
MC
2. Easy Fizzy
3. Holiday!!
4. Please! Please! Please!
5. 君を守りたい Naked ver
MC
6. Sunset Bicycle
7. マコトピリオド
8. Night Camp
幕間映像
9. NO LIFE CODE
MC
10. Deep Resonance
11. AMBITIOUS GOAL
12. Crazy Easy Mode(バンド紹介)
13. Border Rain
MC
14. グミチュウ
15. Original My Life
アンコール
16. キセキヒカル
MC
17. Lorem Ipsum
18. Can you sing along?
自分としては今回のライブセットリストはざっくり4つのブロックに分けられて構成されていたのじゃないかと感じた。
ブロック1(1~5曲目)…お誕生日会の開会の辞~自己紹介
ブロック2(6~8曲目)…歌手小林愛香の『真骨頂』とも自称しているロー~ミディアムテンポの“聞かせる”楽曲
ブロック3(9~16曲目)…出会い~コロナ禍を乗り越えた今日まで振り返り・共有
ブロック4(17~18曲目)…従来に小林愛香のライブの魅力を前面に打ち出した「楽しい!」での大団円
セルフカバー2曲が披露されたのはブロック3の序盤と最後。
より具体的にどのような流れで、意図と想いをもって披露されたのか感じるまま・受け取ったままに考えてみた。
Deep Resonance
ブロック3にてNO LIFE CODEに続きMCを挟んで披露されたセルフカバー1曲目
「みんなと出会えたことで色がいっぱいつきました」
「みなさんあってのわたし」
「こんな場所に連れてきてもらえた」
「みなさんと出会ったきっかけがある」
「それはきっとこの子に導かれたから」
直前のMCから“ヨハネ”楽曲がくることが想像はできたが正直なところを言うと少し意外な選曲に驚いたことを覚えている。それは当日の客入れBGMでヨハネソロ曲が多く使われていたという経緯もあったため、てっきりソロ曲からのセルフカバーを想定していたからだと思う。
ただあらためて当時の余韻に浸りながら考えるとセットリストの『この位置』で『Deep Resonance』が歌われたことには強い想いがあったからじゃないか、そしてその想いとは「感謝」に他ならないのではないかと感じた。
歌手としての小林愛香の歩みは決してすべてが順風満帆なものではなかった。
18歳でアニメタイアップとして同ライブでも披露した「君を守りたい」をリリースするに至ったものの、そのあとはなかなかステージで歌う機会に恵まれなかったという経緯がある。
その過程で
歌手と保育士という二つの夢を持つことへの苦難
周囲からの評価への葛藤
叶いかけた歌手へ夢に対する不安
それらに苦しんでいた時期があるというのは今なお彼女が残し続けている当時のブログやツイートの数々から察することができる。
そんなたくさんの葛藤の中でも夢を諦めずに邁進した結果、彼女は二度目のデビュー=初のメジャーデビューを果たす。
それがDeep Resonanceの直前に歌われたNO LIFE CODE
この曲で明確に叫ばれるメッセージは
「人生にドレスコードなんてない」
「どんな色の生き方をしたっていい」
そんなメッセージの端的な表現として繰り返し語られる
『グラデーション』の概念
そんな概念を最大限に主張するように本ライブでの衣装も色とりどりの自由なスタイルのものであった。
「みんなと出会えたことで色がいっぱいつきました」
本来のアーティスト小林愛香としての原点は「君を守りたい」なのだろう。
ただ同楽曲は本ライブでも序盤、『生まれたてをイメージしました』と言われた純白の衣装で披露された。
これはつまり「君を守りたい」という生まれたてだった純白の原点に自由な色をつけられた結果が「NO LIFE CODE」であり、彼女のMCの言葉から考えるとその「自由な色づき」はたくさんのファンとの出会いによってはじめて表現することができるようになったということなのかもしれない。そして「出会い」「色づき」のきっかけをくれた「この子」に対しての感謝をはっきりと述べたいがために『この位置』でセルフカバーを披露したのではというように感じられた。
ではなぜ『Deep Resonance』だったのか?
それはもちろん『ヨハネセンター曲』だからに他ならないわけだが。
もちろんバックバンド付きのライブ映え……という側面もあったかもしれない。
ただ、自分にはそこにそれ以上の想いと『感謝』があったように感じる。
Deep Resonance 津島善子唯一の明確なセンター曲
しかし、このセンター曲についても長い期間多くの悔しさがあった。
幾度のナンバリングシングルセンター総選挙でひときわ精力的に活動してきてもなかなか最終的な結果には結びつかなかったこと。
ナンバリングとは別の形でようやく手にしたセンター曲であったが、その後のコロナ禍の影響でなかなか有観客での披露にすらこぎつけられなかったこと。
そしてLOST WORLD→ギスキスユニット2nd→6th WINDYステージと様々な形で披露される機会が増えてはきたが未だに「有観客&声出し」での披露には至っていないこと。
奇妙なめぐりあわせにも思えるが、コロナ禍の直前にリリースされ、たった一度の小さなお披露目ライブ以降は長らく有観客で披露することすらかなわなかったNO LIFE CODEとは似たような悔しさを携えた楽曲という側面もあるのだ。
「きみとのResonance 感じてる」
だから、もしかしたらではあるが、
ヨハネ楽曲のセルフカバーとして今この場でDeep Resonanceを歌うことで、
この歌に歓声を浴びさせることでのヨハネへの感謝の気持ちを最大限に昇華させたかったんじゃないのかな、などと感じた。
(妄想も多いだろうが)そんな想いもあったかもしれない中で披露されたDeep Resonance
そもそもの楽曲の出自が外部コンテンツとのコラボ楽曲ということもあり、Aqoursとしても珍しいほどダークでクールな曲調であることもあって、本来は9人のメンバーでキメキメの動きや表情で歌われがちな本楽曲。
けれど今回のライブ中では、そんなクールな曲の歌唱中であっても「あの子」に想いを馳せるような笑顔が時折見られるのが印象的だった。
また、その歌唱パフォーマンス自体においても本来のスクールアイドル=女子高生としての歌い方とは全く違う、歌手小林愛香としてのスキルとパワーをまっすぐにぶつけるような歌い方だった。
それは本楽曲を歌う目的が“津島善子”役としてのファンサービス的なセルフカバーではなく、
生まれてから少し燻ってしまっていた自分に「自由な色づき」のきっかけをくれた存在へ“小林愛香”から捧げるパフォーマンス、『感謝』の表現に他ならない証拠のように受け取れた。
そして楽曲のラスト
ラスサビを終えてのシャウト後に本来訪れるはずのアウトロをばっさり省略しての暗転~笑顔~この日一番の深く大きな一礼
本来の歌われ方ではかなり印象的なアウトロ部分を大幅にカット・変更した意味。
それは“津島善子”ではなく“小林愛香”としてこの楽曲を歌ったことの意思表示であると同時に本来のパフォーマンスや楽曲、そして「あの子」へのリスペクトに他ならないと感じた。
総じてこのDeep Resonanceが披露された意味と意図は
夢を追いかけることに幾度も悩み苦しみ燻っていた生まれたての歌手としての自分に色をつけてくれたターニングポイントといえる存在への『感謝』
同じ不遇さを経験した楽曲を精一杯歌唱することでの恩返し
だったのではないかと思う。
キセキヒカル
正直な気持ちを言えば、リアルタイムな感情としてあまりに意外であり驚きだった。
ヨハネへの『感謝』の表現、あるいはファンサービスをいう意味合いでのセルフカバーは既にDeep Resonanceで十分以上に果たされていたから。
しかもアンコール後一曲目という、ライブ全編においても非常に重要な位置での披露だったのだ。
Deep ResonanceのようなMCでの前振りもなかったのもあり、歌いだし後も客席からは歓声ではなく、1フレーズ以上の間を空けて(自身の口からも)驚き&戸惑いのどよめきが上がったことをよく覚えているしアーカイブ映像からもはっきりと確認できる。
あいきゃんの半生における大きなターニングポイントとそこへの感謝の表現として連続して歌われたNO LIFE CODEとDeep Resonance
同ブロック(と勝手に自分が定義づけてるだけだけど…)では他にもBorder Rain、グミチュウやOriginal my lifeも披露された。
Border Rainは、コロナ禍で人と人とが触れ合えないことの苦しさやもどかしさを乗り越える勇気を歌の力で届けたいという願いから作られた渾身のメッセージソングである。
また、Original my lifeは本ライブ時点での最新曲であり、シンプルにアッパーなライブナンバーであるだけでなく「ゼロよりちょっと上ならOK」「ランダムにもっと自由でOK」「Life is so wonderful」といったフレーズや繰り返し使われる「オリジナル」という単語など、メジャーデビュー曲であり今なおアーティスト小林愛香の原点であり続けるNO LIFE CODEの再構築を連想させるような自由な人生への賛歌であり、ザ・小林愛香といえるような楽曲である。
そしてグミチュウはその出自からして、「楽しい!」を表現し続けて周囲をポジティブな渦に巻き込むあいきゃん自身の魅力が詰まった楽曲だ。
つまりはアーティスト小林愛香の特徴と歩みを最新の今日まで足早に追っていくようなブロックとなっていた。
そして、そうした流れを包括するようにキセキヒカルは披露された。
曲終わりに
「キセキヒカルはわたしの人生ソングなので歌わないと」
その一言だけを添えて。
本ライブで披露されたキセキヒカル
それは歌手小林愛香としてライブ披露されたこれまでのどんな楽曲と比べても最もドラマティックな演出であると感じる一方で、
Aqoursとして披露されたかつてのキセキヒカルを含めても最も飾らないパフォーマンス
であったと感じた。
ダメージジーンズに少々のアレンジを施したライブTシャツというシンプルな装い
自分の記憶ではライブ中はおろか、あいきゃんとしては日常のオフショットでも稀な恰好だったように思う。
そして歌唱中も飛んだり跳ねたりはもちろん、特別なダンスや振り付けもなし。
ただステージの上から観客席までも何気なく歩きながら歌う。
繰り返しになるがあまりにも飾らないパフォーマンスだと思った。
そして同時に感じたこと。それは
カバーソングにも関わらずAqoursのイメージが全くちらつかなかったということ
キセキヒカルと言えば数多いAqoursの楽曲の中でも随一といっていいほど「ラブライブ!サンシャイン!」のテーマと概念が詰まりに詰まった楽曲である。
ここでサンシャイン!の話に移るのはあまりにも話が逸れてしまうので割愛せざるを得ないが、ライブで披露されたのがアニメをなぞった3rdツアーの集大成となる福岡公演、初の東京ドーム公演となった4thでの船上、そして約束を果たした二度目の東京公演であった6th WINDYステージ……と、Aqoursの歴史において重要な場面ばかりということからもその存在の大きさは計り知れる。
また。そもそもメインの劇伴に歌詞をつけて作成した楽曲という出自含め、Aqoursファン目線としても随一の特別感をもつ楽曲だ。
そのはずなのに
Aqoursのイメージが全くちらつかず、小林愛香の歌として驚くほどすんなりと心に沁み込んできた。
それはきっと、
あいきゃん自身が様々な場所でこの曲への「好き」を公言し続けてきたからだけでなく、
Aqoursの物語から独立した「小林愛香の人生」を表現しうる楽曲として彼女の中で完全に消化されて歌われていた
からなのだと思う。
ローテンポアレンジ+最低限の演奏のほぼアカペラで進む1番
その1番の終わり「見上げれば熱い 太陽」までを歌いきるとなにか眩しいものを見つけられたようなはにかんだ笑顔を一瞬だけ見せてゆっくりと自然体で歩き出しそのまま観客席へ
「1人から2人へ」
保育士と歌手。二つの夢を追いかけることに葛藤がありながらも決して諦めなかった過去。
駆け出しの歌手の1人としてもがいていたときに出会えた存在=次のステージに導いてくれた2人目、というのが誰のことであるかは既にこのライブの中ではっきり示されていたあの子のことだろう。
「2人からみんなの中に」
その導きをきっかけに広がった出会い。ここでいう「みんな」というのはもしかしたら、このライブの観客席にいたり配信の先で応援している自分たちファンを意識して指してくれているのかもしれない。
「ああ 伝わってくれた 夢の鼓動」
飾り気のない衣装で、観客との距離数十センチという全くの誤魔化しきかない場所から全身全霊で語りかけるように歌い続けるあいきゃん。
「諦めないことが夢への手がかりだと」
「今だから言ってもいいかな 言いたいね」
偶然にもあいきゃんの定番ナンバーであるCan you sing along?内のフレーズ
“今日くらいは言っていいでしょ?”と似たようなフレーズ。
きっとこのキセキヒカルという歌を通した自分の生き方の主張のようなパフォーマンスは、今日のようなメモリアルライブだからこそファンに見せてくれたのだろうなという予感。
「動いてないと探せない 休んでも止まらないで 夜が明けた空には 太陽」
これまでのインタビューや配信などで少なからずあいきゃんの経歴や半生を知っていれば知っているほど、あまりにもキセキヒカルは彼女の生き方そのものの歌だと感じた。
歌い終わった後は一言だけ
「キセキヒカルはわたしの人生ソングなので歌わないと」
Deep Resonanceのときとは違いヨハネの名前を出すこともなく、
ただ自身の人生ソングだから歌った、と彼女は言い残した。
それは、
ディレゾが楽曲の背景やそれを歌うヨハネ・Aqoursの存在に意味を持たせて感謝をささげた選曲であるのに対し、
キセキヒカルは楽曲そのものの力と思入れの強さから選曲されたものだということ。
キセキヒカルはAqoursの歌だ。それは間違いようのない事実だ。
小林愛香は“津島善子役として”彼女たちの人生を描く一環としてキセキヒカルを歌ってきたにすぎない。
ただ彼女は活動初期から各種媒体で津島善子との関係をこう述べている
彼女はヨハネを通してだけではなく、その一番近くに立つ対等な存在としてこの楽曲を歌ってきたのだ。その結果、人一倍に歌の力を信じる彼女は、小林愛香個人としてもキセキヒカルという楽曲に向き合い、それを自身の人生ソングとして昇華できたのだと思う。
歌い終わったあと、
「この世界にうまれてほんとうによかった」
大好きなステージで大好きな曲を歌い切りちょっぴり涙を流しながら、
「エモ泣きしちゃった」と恥じらいつつも屈託ない笑顔でこう語れる彼女はやっぱりどこまでもまっすぐで晴れやなで、何より楽しそうだった。
セルフカバーとしてのキセキヒカルの披露
それは、
迷いながらも夢を目指し続け、ヨハネに導かれることでたどり着いた今日この日までの自身の生き方を知ってほしいという想い
大好きな歌の力であればそれを一番うまく伝えられる
そうした強い意志からなされたものだったのだと思う。
まとめ
もちろん小林愛香 爆誕祭「Happy ∞ Birthday」で披露されたのはこのセルフカバー曲だけではない。
キセキヒカルの後で歌われた
「歌詞に特別意味がない」という特徴を最大限に生かして「誰でも楽しめる」をコンセプトとし、フェス参加時などでも定番となっているLorem Ipsum
初見でも分かりやすく「全部最高!!」と声を出しながら拳を上げることが出来る小林愛香楽曲の中でも随一のライブ盛り上げトラックのCan you sing along?
またライブ序盤でも、
乾杯ソングとして歌われたEasy Fizzyからシームレスにご機嫌なアップテンポ曲Holiday!、そしてPlease! Please! Please!に繋げるなど随所に感覚的に「楽しい!」と感じられるライブ構成がなされているだけでなく、誕生日パーティーらしいバズーカでのプレゼント射出、Crazy Easy Modeのサングラスなど小物を利用した茶目っ気、はては開演前にあいきゃん本人がパンダの着ぐるみで物販列を闊歩するなどなど…
とにかく「楽しい!」を追求したライブイベントになっているのはまさにあいきゃんらしいライブイベントと言えるものだった。
そんな中でも敢えて、この10/23に開催された小林愛香 爆誕祭「Happy ∞ Birthday」というメモリアルイベントでセルフカバー2曲を披露した意味
それは小林愛香の中にある
「感謝」「自身の生き方の振り返りと主張」
それらを彼女特有のまっすぐさで過不足なく「歌」で伝えたいという強い意志
の表れだったのだと思うし、
そんな手段を選んだ彼女はなにより「歌うことの力」を真摯に信じているんだな
と痛感した。
小林愛香、あいきゃんはそんなまっすぐな気持ちでいつだって人生を最大限に謳歌しているし、その生き方を歌にのせてまっすぐに届けようとしてくれている。
でもそれは彼女の人生が素晴らしいから謳歌できているのでは決してなく、
「自由に人生を楽しもう!」という生き方とポリシーをブレなく心にもち、体現し続けようとしているから謳歌出来ているのだと思う。
そして彼女はそんな自身の生き方・ポリシーを100点満点だと信じ、それが少しでも誰かの助けになればと、その助けができるのはきっと歌の力だと信じてきっとこれからも元気な姿と声を発信し続けていくのだろう。
「わたしはみんなのために歌うね」
今回のライブの終わりに直筆で伝えられたメッセージは
「みんなのためにわたしは歌うよ」
約3年半前にメジャーデビューをした時に歌詞カードを通して直筆で伝えられた言葉と何も変わっていない。
それはもしかしたら、たくさんの出会いで色づく以前から彼女がずっと秘めて大切にしていた考え方なのかもしれない。
この芯のブレなさとそれを「楽しい!」のポジティブさで発信し続けられるエネルギー
そんな魅力でいっぱいのあいきゃんをこれからも追いかけること、
年を増す毎に大きく勢いのついたその「楽しい!」の渦に飛び込んでいくこと、
そこでどんな景色が見えるのかがますます楽しみなのは間違いない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?