好きな〇〇 カナダ留学日記 6/13(Thu)バンクーバー生活残り152日
みなさんは好きなものはありますか?
今日はそんな好きなものに対する仮説について。
僕はバンクーバーが大好きである。
ダウンタウンは都会ながら、そこから車で10分も行けば豊かな自然が楽しめる大きな公園があるし、夜の九時になっても日は落ちずに活動できる。あと人がみんな親切で、英語が上手くない人の話も心をこめて聞いてくれる。あとは...
とあげていくとキリがないのでこの辺にしておくが、とにかく僕はこの街のことが好きだ。
そんな中、昨日ふとあることが頭に浮かんだ。
それは、実は俺がバンクーバーが好きなんじゃなくて、バンクーバーで"生活している自分"が好きなんじゃないかっていうこと。
どういうことか。
このノートでは何度か話しているが、僕は去年大きな挫折を経験して、それまでの自分の価値観が壊された。
そのことに気づいても、なかなか日本にいたときは、それまでの自分から脱却することが出来なかった。
だからこそ、この留学で自分が理想とする自分を手に入れたいと考えた。
僕の留学に対する目的意識は相当強かったと思う。
そのおかげもあり、この留学では理想の自分に近づけている実感がある。
もちろん、バンクーバーの街は素晴らしい。
でも、僕が素晴らしいと感じるのは、素晴らしい面だけを見ているからだと思う。
街にはホームレスがあふれているし、雨はたくさん降るし、街を歩けば大麻くさい場所も至るところにある。
それでも僕が自信を持ってバンクーバーが大好きだといえるのは、この街に今の自分を投影していてその姿が好きだからである。
もし、僕がこの留学生活の自分に対して不満や後悔を抱えていたら同じ景色でも、同じ人達でも僕の目に映るそれらは美しくも、優しくも見えないはずだ。
それと同じように考えると、例えば趣味。
趣味が絵を描くことだとする。
この場合、本当に好きなのは絵を描くという行為自体ではなく、絵を描くことで誰かに褒められたり、こんな絵を描けたすごい自分と思ったりすることで自分に対する肯定感が高まることが好きなんじゃないかなって思う。
極端な話をすると、好きな人っていうのも、結局はその人といるときの自分が好きだから好きになるっていう面もあると思う。
美人がモテるのはもちろん生物学的な要素が大きいんだけど、それだけではなく、美人と付き合っていると周りからは羨ましがられるし俺はすげえと自分のことを肯定させてあげられるしという社会的な要素もあるはずだ。
まだ考えきれてなくて仮説の段階だけど、好きな〇〇っていうのは結局〇〇に自分を重ね合わせてるだけなのかなっていう考え。
嫌いな〇〇も同様。
今日はこんな感じ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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