年末年始に風邪をひいたとき考えていたこと
大晦日前日、咽頭痛と気怠さに包まれて起床した。
事実と印象を即座に切り分けてみる。
わたしはどうやら風邪をひいたらしい。
ルーティンは崩さずカーテンと窓を開け放ち澱んだ空気を真冬の朝の冷気で浄化させる。
ベッドメイキングというほどでもないがベッド上の乱れたシーツと転がり落ちていた枕を整える。ろくでもない日々の中でも最低限、何か一つやり遂げたと実感する為の儀式。
2階の自室から階下の居間へと行く。
母親は居間にある安楽椅子の上で日本ハムファイターズの勝利試合を録画したものを鑑賞していた。
母親に尋ねる。
「熱はなさそうだけど風邪っぽいので風邪薬はないかい?」と
母親は謎の小箱をがさこそことまさぐりはじめ、頓服と数種類の錠剤を渡してくれた。
本来であれば家で安静にしているべきなのだが、わたしの仕事はホワイトカラーとブルーカラーの汽水域に浮かんでいる。
この仕事と地方部署の常だが営業と現業の境界線があやふやなのだ。
家のローンと妻子を養う責務を人質に取られ北の大地へ虜囚として送り込まれた管理職の男たちは帰省している。
職場の現業部門は365日24時間稼働しており常に業者も出入りしている。
何かあった時に責任を取る為だけに出社せねばならない。
出社後、商談室に内側から鍵をかけて立てこもる。
現場用防寒着を丸め枕をこしらえ家から持ち込んだシュラフに潜り込み目を閉じる。
辺境の砦でいつか来る敵を待ち続け時間と若さを無為に磨り減らしたあの青年を思い出す。
思考は下へ下へ中へ中へと落ちていく。
体調が悪いとこんなものだ。
(自分がろくでもないことを考え続けている)
ろくでもない思考にラベルを貼り付けている内に眠りに落ちた。
夕刻。
夜間責任者が来るまであと1時間ほど。
最近持ち歩いている手帳にあれこれと書きつけていく。
書きつけている内にも思考は方々へと飛ぶ。
これになんの意味があるのだろうかとか、意味を求めるのは暇人や満たされていない人間の常だとか、こんな考えも現象に過ぎないんだよだとか。
それはそう。
本当にそう思う。
とどのつまり暇に尽きる。
暇というのは時間の余白ではなく、魂が暇なのだろう。清教徒的な職務への情熱は皆無で地位や金銭への執着もない。
表現したい自己も他者とわかり合いたいという思いもない。
それから目を逸らす為だけに肉体を動かすという趣味に身を投じてきたけど、風邪をひいてそれもままならぬ。体を動かせないとろくなことを考えない。
風邪なんて引くものじゃないけど、引いてしまったものは仕方がない。
シュラフを頭までかぶり直し目を瞑る。
そして思考は振り出しに戻りやるべきこととその意味を考え出す。
みなに等しく訪れる終わりの日まで、やるべき事をやって行くしかないのにね。