秋簾
死にぞこないのおばさんが、失敗ばかりの人生を皆様に笑い飛ばして頂きたくて書き始めました。真実は小説より奇なりって、本当だと思います。すべてノンフィクションですっ!!
下町に住んでいた私の遊び場は山田公園だった。 昭和真っ盛り、山田公園は子供の楽園だった。平成令和と、もうふた昔の昭和の公園では、今の子供達が体験できない、沢山のイベントで溢れていた。 今では伝統芸能になってしまった飴細工は、おじさんが自転車に飴細工の材料を乗せて、公園で実演販売していた。 当時、駄菓子屋に20円も持っていけは、10円でライスチョコを買って、5円で紐飴のクジがひけ、さらに5円で何が当たるかわからない、ハズレは一口ガムのワクワクするようなクジがひけた。 飴
元々、産まれた時から私は死んでいた。 難産で逆子で、産まれ落ちた時には泣きもせず、産湯をつかっても泣きもせず。 お産婆さんは仕方ないから、赤ん坊の私をパンパン、何回も叩いたそうだ。 諦めかけた時、私は弱々しく息を吹き返し、今に至る。今では免疫力の塊みたいに丈夫だけど、幼い時は身体が弱かった。 身体が弱いせいか、おとなしくて、幼稚園ではつねられたりして、いじめられていた。 幼稚園児の私は単純に、つねられて自分が痛くて嫌だから、やり返すのは相手がかわいそうと考えていた