所詮は人
RGBのバランスを極端にしたような鮮やかなパンジーの花を見ると、とある考えが自動的に浮かんで頭の中を占領してしまう。僕はそんな持病を抱えている。
おかげでどんな悩みも小さなことのように思えるから役には立つが、いささか無粋であることは否めない。というのも、それが花びらの色の鮮やかさについての解釈だからだ。
あれは人間を楽しませるための鮮やかさではなく、飛び交う蜂たちに向けた信号。虫の目を持って初めて花の意図を受け取ることが出来るのであって、人間の紡錘体はそのやり取りを傍から盗み見ているに過ぎない。それも、紫外線に満たない不完全な形で、だ。
例えるなら他人の交換日記の中身を覗いて一喜一憂するようなもの。なんだかゴシップみたいで、バカバカしく思えてしまう。
それに何より、人間の限界を教わっているように感じられる。
いまもどこかで、知らない人同士がやり取りをしている。どんなやり取りなのかはわからないけれど、その内容なんて知ったこっちゃない。各々の関係性は当人の中にあるのであって、第三者に理解しうるものではない。
同じ人間のやり取りですらそうなのだから、別の生物種同士のやり取りを、その意図を理解できる余地なんてあるだろうか?
紫外線が見えない人間には、理解しようがない世界がある。どれだけ繫栄したとしても、宇宙と同じ未開の事柄はすぐ身近に存在している。
「所詮は人間。」
鮮やかなパンジーを見ると、ふと、そう聞こえてくる。
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