小さく始めて、時間を増やす
去年、祖父を一人亡くした。
それからというもの、自分の人生を後ろから振り返って考えることが増えた。
メメントモリという言葉を聞いたことはあったけれど、どこか遠い印象があったこの言葉が近づいてきた。近親者の死を経験すると、自分に与えられた時間には限りがあることを実感できるらしい。
自分に与えられた時間には、間違いなく限りがある。なら、その時間を満足いくものにするにはどうすればいいのだろう?
時間の質を高めたい
色んな方法を考えたけれど、方針としては「小さく始めて観察しながら、意図をもって長く続けること」だろう、という考えに至った。
結局のところ、人生で楽しみは何かに集中することに帰結すると思う。集中して作る、書く、食べる、動く、休む。それなら、その時々の満足感が最大になるようにすればいい。例えるなら、人生はマラソンとしてでなく、短距離走の連続として捉えるようなもの。
手の届く問題に取り組んで、確実に成果を積み上げていくこと。多分、それが大事なんだろう。振り返ってみると僕は、手の届かない大きな問題に時間を割きすぎていた。
習慣の目的
例えば、習慣という言葉がある。
「毎日かかさずに行っていること」、「意識しなくてもできること」など人によって定義が色々あるけれど、何のために習慣を作るのかといえば、それが将来役に立つ見込みがあるから、であるべきだろう。習慣は習熟の為の手段であり、それ自体が目的ではない。
でも、そのことを理解できていなかった。
調べてみると、いわゆる新年の目標として「○○する習慣を作る」を掲げた人のほとんどが挫折してしまう原因は、「”習慣を作るため”に習慣を作っていたこと」なのだそう。たしかに、どこに行きたいかわからずただ歩き続けているのなら、どこにたどり着いても文句は言えないのかもしれない。
時間あたりの成果を計量化すること
編集中
1日をテトリスとして捉えてみる
朝いいことがあれば1日を良い気分で過ごせるし、逆も然り。
どこからかタスクが降りてきて、それが関わりあって連鎖していく。1日をテトリスの盤面になぞらえて想像するのは実用的かもしれない。
いびつなタスクを減らして、整理していくにはどうすればいいだろう?
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