それはただの移動か旅なのか?
目的と目標と行動指針について。非日常を味わうために日本一周をしてみたい。この場合「非日常を味わうため」が目的で、「日本一周をしてみたい」が目標だ。なんだいきなり、と思われるかもしれませんが書き始めちゃったので続けます。
今すぐじゃないけどぼんやりと、いつか本当にしてみたい。どうせだったらのんびり行く、各駅停車で旅したい。だいたいどこへ行こうか朝決めて、心のままに途中下車。電車に揺られながら地図広げ、今日はここまで行けそうだ、と思う場所に宿をとり。毎日それを繰り返す。
数年前に東北一周ひとり旅をした時がそんな感じで、今思い出しても本当に良い思い出です。まぁそれはそれとして、話が脱線しそうなので元に戻します。
僕の場合「のんびり行く」が旅の行動指針で、そのための具体的な行動が、各駅停車で旅をするとか、だいたいどこへ行こうか朝決めるとか、心のままに途中下車をすることです。
そんな面倒なことはしたくない。とにかくガイドブックで見たあの場所へ行きたい。だから手っ取り早くパッケージツアーで旅をする、という人もいるでしょう。この場合「ガイドブックで見たあの場所へ行きたい」が目的で、「パッケージツアーで旅をする」が目標で、「面倒なことはしたくない」が行動指針になるわけです。
「のんびり沖縄でリフレッシュしたい」と思ったなら、「のんびり(=行動指針)沖縄で(=目標)リフレッシュしたい(=目的)」という感じです。旅をしようと思う人の多くのが、目的と目標と行動指針を無意識に決めてるんじゃないかなぁと、僕は勝手に思ってます。
疲れると癒しの旅に行きたくなったり、モヤモヤしてる時は新たな刺激を旅に求めたり。この旅する時の感覚、心と体の動きが伴う行いを、日々の仕事や生活に活かすことはできないか?
そんなことを思いつつ、のんびりしたことは言ってられない、数字と期日に追われてる、と僕の左脳が叫んでる。そりゃそうだ。具体的な数字や期日が迫っている場合、のんびりなんてしてられない。各駅停車よりも新幹線や飛行機で移動する方が精神的にも安定する。
だけど具体的な数字や期日を自分でコントロールできる場合はどうだろう。心と体の動きが伴わないまま無理して先を急ぐより、目的地までの景色や出会いも楽しもう、という行動指針があっても良いはずだ。
すこし立ち止まって考えれば、頭を冷やして考えれば、そんな分かりきったことですら、僕はずいぶん長いこと忘れてしまっていた。
まだまだやりたいこと、見たい景色は確かにある。でも自分で決めた目的地なら、そこへ辿り着くまでの道のりや景色だって楽しまないともったいない。
だから無理せず、降りれる時間は自分で見つけて、心のままに途中下車。見たい景色をいっぱい見て、会いたい人に会いに行き、美味しいものをたらふく食べ、あぁ楽しかったと床に就く。朝起きて走りたくなったら走るもよし。
本当は違うと思ってることはやらない。
やりたいと思ってることは早めにやる。
その延長線上にある目的地、もちろん当然行くつもり。だけど例え辿り着けなくても、悔しさよりも面白さ。あぁ楽しかった、お疲れ様って、納得できる道を歩きたい。