震災のこと。言えなかったこと
一昨日の夜に大きな揺れがきた時、
目の前が一気に黄色くなるくらい
激しい動悸に襲われたことがきっかけで
この記事を残しておこうと思いました。
自分のことになってしまいますが
お付き合いいただけたら嬉しいです。
10年前の震災時
既に上京していた私は
海辺にある実家や実家の周辺が
津波にのまれる映像を
ニュース速報で目にして
家族とも数日間連絡も取れずに
津波に襲われた実家近くまで行く術も無く
「自分が出来る事」を探していました。
実家が大変なのに冷静だと
言ってくださった方もいらっしゃいましたが
多分その時は
自分より大変な人が大勢いる中で
自分の地元より大変な地域が
沢山ある状況の中で
狼狽えてしまうのはいけない事だと
考えていたんだと思います。
私を育ててくれた最愛の家族が
大好きだった地元や実家が
今現在どうなっているのか?
最悪の結果と未来を
考えないわけはありませんでしたが、
とにかく今、なにができる?を探し続けて
涙ひとつ出ないまま何日も過ごし
やっと母と電話が繋がった日
母の口から
家族が生きているということ
一階部分が壊滅した家のこと、
近所で子供の頃からお世話になった方が
目の前で亡くなったということを聞きました。
しばらく月日が経って
やっと帰れた地元の様子は
今もまだ、どう言葉にしていいのか
わかりません。
家は半分、瓦礫になっていました。
後に、東北の被災者の皆さんを思う方から
「瓦礫と言ってはいけないよ」と
注意されたこともありましたが
私の家に積み上がった
かつて門だったもの、
近所の子と背比べをした柱だったものは
二度と元には戻らず
片付けなければ先にも進めない
これから家族みんなで力を合わせて
廃棄しなければいけない瓦礫でした。
瓦礫の呼び方で注意を受けたのと同じ日、
私の地元よりも
もっと大きな津波被害のあった地域の
当時の津波映像も
「忘れてはいけない」と
見せていただく機会があったのですが
あの日、ニュース映像で目にした
実家が波にのまれる映像と
母が水に落ちてしまって
危うく流されるところだったという
後に聞いた話を思い出して
息が止まるような
表現し難い思いが溢れてきたのを
鮮明に覚えています。
きっとその注意も行動も
君より大変な人が頑張っているんだよ
だから君も頑張ってね。
応援しているよ。
という
悪気の無いエールだったのだと思います。
震災や災害に関する言葉
悲しい出来事に関する言葉を
私はうまく紡ぎ出すことができません。
良かれと思って言ったことが
だれかを傷つけたり苦しめたり
行き違いを生んでしまうことだって
少なくないというのが大きな理由で
今まであまり
自分自身の想いや感情を
こうして綴ることはありませんでした。
10年経った今
少しずつ、自分なりの不安が
表に出てきてしまったのでしょうか
一昨日の地震の後
ずっと手指の震えが止まらず、
大事な家族や仲間に
何事もないようにと願いながら
とんでもない焦燥感に襲われていました。
震源地の東北には
大切な仲間や、
お世話になった方、
今現在お世話になっている方々の
ご実家やご家族がいらっしゃって
どうか悲しい事が
再び起こらないようにと
実家に連絡をしている最中も
ぐるぐると、そんなことばかりで
頭の中がいっぱいでした。
年齢的にも強がれなくなってきたのか
自分に素直になってきたのか
そのあたりは私自身もわかりませんが、
折角自分の記録として登録したnoteなので
これからもできるだけ
素直な想いや考えを
綴っていこうと思います。