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「怒り出すと止まらない人」
「Numberの竹田高剣道部主将“死亡事件”を読んで追記」(2021/9/16)
昨日夕方ごろかな。
— 菅野彰∮『色悪作家と校正者の別れ話』発売中 (@akirasugano) September 16, 2021
今お気に入りに入れたnumberの記事を読んで。
夜眠れなくなってしまった。
とても意味のある記事。
だからこそ読む時は自分のメンタルと相談してください。
休み休み何日もかけて読めばよかったかなと、夜思いました。
トレンドにも長く上がっていたかもしれませんが、今から読む方には注意喚起したい。
中小路徹氏の記事でした。伝えたいという思いと筆力と事実が、わたしは壮絶に届いて昨夜病室の様子を想像してしまった。とても大切な記事ですが、読む場合は自分とよく相談しながら読んでください。
以前はこういう記事を読むと加害者に対して、
「何故? そんなことができる? どうしてそこまで?」
の、何故の先が全くわからなかったのですが、一つの想像としてこのnoteの中に書いた心理士さんの、
「何よりその激高しているときは、脳内にアドレナリンやドーパミンといった快楽物質がどばーっと出ているのでそれは謝れば終わるのではなく、今後も繰り返されるし下手をすると酷くなっていく可能性が高いです」
こういう加害性の強い人物なんだろうと、今は納得するものの。納得したからと言って許容できるわけもない。
まず一つに、「こうした加害者が逆らえない相手(教師、上司、親)だった場合何ができる?」ということを考えました。名案はないです。
・まず逃げて。
・今はスマホがあるので、可能なら本人または周囲が証拠を残して。ただし危険なら逃げることがマスト。
それ以上のことはわたしには思いつかない。証拠が取れたなら警察、弁護士(無料相談があります)、NPO等に持ち込んで専門家に頼る。だろうか。
もう一つ反対側のことを考えました。自分がその「怒ることで楽しくなっちゃう恐怖」
大なり小なりあり得ることだし、わたしは自分のことも疑います。
精神医学や脳神経学、心理学的な検証や理屈は置いておいて、この危険性を知ってる人々はたくさんいます。羅列していきます。
・ある運動部のパワハラ事件があった時に、病院勤務の友人が話していて納得した言葉。「たとえば格闘技を仕事としている人は、殴る蹴るという暴力への通路が仕事としてできている。普通その通路はできてない。試合後に通路が繋がったまま肩がぶつかったから殴るみたいなことは、その人だけをせめられない。仕事で普段繋がらない連絡通路を繋げているから」なるほどと思いました。
・ある劇団のワークショップの話。経験のない人は簡単に怒鳴ったり殴ったりできない。だから怒りながら何かを殴る蹴るというような感情の吐き出し方の訓練を、ワークショップでするという話を聞きました。大事なのはこの後で、その「カーッ」となった状態をおさめる方法までをきちんとワークショップでやるそうです。とても大切です。
・そこに今9月13日の「伊集院光の深夜の馬鹿力」を聞いていたら最後の「空脳」のコーナーで、ボクシングをお父様とやっていた方からのとても興味深いお便りが読まれました。「父親が闘う時に『豹のお面をつけろ』という。いくつもその闘うためのお面ができていく。父は『そのお面をしまう箱を造れ(すべて脳内の話)』という。なので闘いが終わるとその箱にお面をしまった」お父様はとても大事なことを教えたのではないかと思って、聞いていました。
わたしの場合、たとえば相手がカーッとなってまくし立てている時に「無」になって聴くようにしていますが(シャッターを下ろしたり、逆に変なお面をつける)、あまりに理不尽で長く続いた時は「大きな声を出さないと終わらないな」と判断してたまにですが大きな声を出すことがあります。その時は心の中で「大きな声を出す時なのかどうか」をよく考えて判断して(判断は間違えることももちろんあります)、「わたしは今から演技として大きな声を出す」と意識して、「やめていただけますか!」と言います。それで止まったら、「絶対にその大きな声を出した自分に酔わない」ためにすぐ切り替えます。「今の演技なので素に戻ります」と戻るイメージ。アイスバケツ被るとか、いろいろあるかもしれません。
自分が加害者にならないためのあれこれでした。
もう一つ。二つの映画を思い出しました。どちらもネタバレになります。
ホロコーストの実行犯として処刑された、アドルフ・アイヒマンの裁判を巡る映画です。この映画は、「アイヒマンはモンスターではない。人のはずだ。人であるならきっと人に止められるはずだ」ということを問うているのではないかとわたしは思っていますが。今回の記事を読んで、「人なのだけれど人知の及ばないところに一線を越えていく人」というのはいるのだろうし、やはりそのときはむしろモンスターだと思って逃げることでしか助からない、助けられないのかもしれないと思いもしました。
映画の主題とは違いますが主人公の回顧録をもとにしているので、父親から娘への暴力的な虐待の思い出が語られます。「泣かないし謝らないと決めていた。何故ならそうすると彼を満足させてしまうから」彼女は言います。ところが彼女の発信した報道の状況が悪くなって、その父親がテレビで彼女への誹謗中傷を始めました。彼女は事態を収束させないといけない。夫が彼女の父親に電話で「やめろ!」と言っているのを見つけて、「電話を私に」と言います。泣きながら「パパやめて」と彼女は言う。父親は「おまえがそういうならやめよう」と、愛しそうに満足そうに言いました。虐待による支配。この父親のような人物は珍しくないと、覚えておいてほしい。向き合うことがあったら逃げて。そう思いました。
(ここまでが2021/9/16の追記です。以下は過去の記事です)
「怒り出すと止まらない人」
さっきこちらをリツイートしたので、ちょっと書いてみる。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/dv-child_abuse/index.html
わたし自身も怒りっぽいところあるので、怒りには本当に気をつけたい。
こちらは怒りというよりは、ハラスメントやいじめの話です。
怒鳴ったり、理不尽なことを罵ったり、いわゆるハラスメントが止まらない人の脳内はこうなんじゃないかという想像の説明を先日受けて、
「それは無理だ。退避するしかない」
と思ったので、あなたが向き合っている人はそういう人かもしれないからそのときはあきらめようという話。
わたしはものすごくおっちょこちょいです。性質由来もあると知ったのは近年ですが、あきらかな自分のミステイクをたくさんやらかすので、言い訳のしようもないので即座に謝ります。
去年一昨年と、気持ちを囚われるストレスを抱えていたので、多分注意力がなくなってこのミステイクが圧倒的に増えた。
仕事先ではなかったですが、通りすがりのお店の人とか公共機関の人とか、何かやらかしてしまってはこの二年たくさん謝った。
そのたくさん謝っている中である時ふと気づいたんだけど、
「怒り出すとどんどんヒートアップしていって、謝罪すればするほど激高する」
という人が一定数いることに気づいた。性差で語ると怒られますが、わたしの場合は男性ばかりでした。
謝罪するべきことはしたしそこまで激高されるのは不当だと気づいて、
「そこまで罵倒なさる意味がわかりません。責任者と話します」
と言ったらびっくりして慌てる。
そのとき思ったのは、
「平身低頭謝罪したことで、わたしは弱い相手としてこの人のターゲットになったんだな」
ということで、以来、相手をよく見て考えるようになった。謝るけど、「これ以上はおかしい」と思ったらやめる。
この時期、普段は比較的温厚なのだけれど怒り出すと止まらない男性が、身近にいました。突然スイッチが入る。
わたしからすると全く不当なことで(相手には相手の言い分があるだろうけれど、こちらの視点です)、
「とにかく謝れ」
が一度謝っても止まらない。終わらない。
でも所謂「普段はいい人」なので、どうして突然そのスイッチが入るのかはわたしには謎でしかなかった。わたしはこういう男性が近くにいたのは初めての経験で、理解できなかった。
先日心理士さんに、この人について訊いてみた。具体的にあった出来事をいくつか話して、どうして彼がそんなことになるのか訊いた。
で、この心理士さんはもちろんその男性を知らないしわたしの経験として聴いているので、
「彼のことは知らないし、想像の一例だけれど」
と前置きしての、説明を受けました。
「幼少期、学生時代、または日頃の仕事や対人関係のストレスを心に貯め込んで普段は我慢している。ところがはけ口を見つけると、噴き出して止まらない」
「理不尽なことをしたという、後悔や反省や自己嫌悪はないんですか?」
「ないと思う。怒らせる相手が悪いと思っているし、自分を正当化してる」
これは想像の範囲というか、自分も気をつけないと陥りかねないことです。
問題はこの後。
「何よりその激高しているときは、脳内にアドレナリンやドーパミンといった快楽物質がどばーっと出ているのでそれは謝れば終わるのではなく、今後も繰り返されるし下手をすると酷くなっていく可能性が高いです」
呆然として聞きましたか、だとしたらそれはもうどうにもならない話だなと思った。謝ったら、快楽や多幸感の成功体験のパートナーに選ばれてしまう。本人は無自覚かもしれないけど、そのとき幸せなんですよ。彼は。
そして初めて納得したのが、いじめや虐殺の心理状態。
最近でも実際に教員間のひどいいじめが報道されたし、もっとひどい事件も日本でもたくさんありますよね。
戦争映画の中にも止まらない虐待や虐殺みたいな描写があって、それは戦争という非日常だからなんだろうけれど、
「なんでそんなことできるのか。そんなことが楽しいのか全くわからない」
という感覚の人もたくさんいると思います。
わたしはやれと言われたら、実行することの方が圧倒的に困難。これは比較的一般的な感覚かなと思う。
でもそういうときに、脳内に快楽物質がどばーっと出ちゃう人がやってますと説明されたら、初めて「何故それをできるのか」は理解したし、「止めようがない」とも納得した。
というわけで、家庭、職場、学校でこういう目に遭っている方は、とりあえずはやはり全力退避だと思います。
学校は特に、「何故やられた方が逃げなきゃならない」と言う人がいるけど、逃げないと殺されるからだよ。
最近では、メールやLINEに証拠が残ったり、残そうと意図すれば録音もスマホでできるので、対処したければそれは逃げた後でもできるかもしれない。
立ち向かってはならない相手です。
怒り出したら止まらない人は、それが幸せで楽しい人なのかもしれないんですよ。
主な相談窓口はこちら。
http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/dv-child_abuse/index.html#soudan
当事者感情としてわたしは相当しんどかったのは、たとえば芸能人への告発とか、パートナーを知る人物への相談なんかで、
「あの人がそんなことするとは思えない。そんなことするわけない」
と言い出す人いますが。パートナーや自分が強く出られる弱い相手にしか見せない側面を持っている人というのがいるので、知らない「あの人」を擁護するのはやめた方がいい。
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