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『口火』(2022)/小野晃太朗作

『口火』 小野晃太朗作
<キャスト>
毛利悟巳/桂川明日哥/金定和沙(青年団)/堀 夏子(青年団)
劇場・アトリエ春風舎

 観劇した夜、わたしは眠れなくなった。久しぶりの、不安感からくる睡眠障害だ。
「そんな結末だったんですか?」
 小野晃太朗の芝居を観てきたとある演劇人に話していて、眠れなかったと言ったらそう問われた。
「ううん。結末とかは多分ないし、わかったかと言われたらわたしはわからなかったと答える」
 わたしには、誰かに説明できる舞台ではない。
「それはわかります」
 小野晃太朗作品を知っているその演劇人は理解してくれた。
 四人の人物による対話が、九十分淡々と続く芝居だった。役割も入れ替わる。
 小野晃太朗の芝居を劇場で観るのは二度目だが、一度目の時と同じ感覚があった。
 わたしもそこにいる。
 そこにいて、友としてなのか、仲間としてなのか、連帯してなのか、傍観者としてなのか、対話に、参加している。
 あるいは敵対する者としてなのかもしれない。
 自分の話になるが、個人的に散々な一年だった。けれど世界は今だいたい散々なので、その世界を構成する一人であるわたしが散々なのは、世の理のようにも思える。
 疲弊して、「散々の方角」から目を逸らして、目を伏せているのが最近のわたしだ。
 それでいいのだろうかと問うてくるのは、「口火」ではない。
「口火」を観ているわたしだ。わたしがわたしを責め始める。
 四人の対話に参加しながら、ぼんやりとわたしはわたしの考えと向き合っていた。
「世界に起こる散々なこと」を、今までわたしは特定の誰か、特定の団体、特定の集団が起こしていると考えていた。
 けれど実際世界が散々になってくると、それは誰でもないのではないかと考えるようになった。実態がないように思えてきた。
 一人一人が、利己的に動く。それが次の一人に伝わる。利己の動きが大きくなりすぎると、将棋倒しのように「世界は散々」な方向に一気に動き始めるのではないだろうか。
 わたしもその利己の一人だ。倒れていくのを見ているか、または倒れるしかないのではないだろうかと考え始めていた。
 それを「あきらめ」という。
 小野晃太朗はもしかしたら、あきらめてはいないのかもしれない。
 劇場で貰った案内に、小野晃太朗がこの上演にたどり着くまでの時間が書かれていた。
 最近わたしは泣くことを自分に禁じているのだけれど、それを読んだら胸が詰まった。
 舞台は終演しても、対話は終わっていない。
 舞台は終演しても、世界の終焉はまだ訪れていない。
 放棄していた「考える」というおこないが、わたしの中で再開する。
 考えることはとても、怖いことでもある。今は特に。
 それでその夜、口火を切られたわたしは眠れなくなった。
 揺り起こされたことを感謝するのか、それともまた眠るのか。
 この先のことは、わたしがわたしの責任で選択する。
 それを『口火』が、望むと望まざるとにかかわらず。

 <スタッフ>
戯曲:小野晃太朗
ドラマトゥルク:松岡大貴
演出助手:村田千尋

舞台監督:鐘築 隼
照明:井坂 浩
音響:太田智子
宣伝美術:トモカネアヤカ
制作:イサカライティング
協力;青年団・レトル・Tanpopo・シニフィエ・一般社団法人COs

主催:イサカライティング
協賛:有限会社SEZONO
助成:ARTS for the future!2

  
 

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菅野彰
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