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『結まつり』/西会津国際芸術村


 禍のわたしにとっての最大の功罪の功は、西会津町と西会津町の人々との出会いだと思ってる。
 西会津町に初めて足を踏み入れたのは、『注文の多い料理店』だった。

 2020年。禍に最も揺れ、騒ぎ、なんなら荒れ果てて萎んでしまいそうになっていた心を、手当してもらった。

 その『注文の多い料理店』でかわいい白い犬の役割を果たしていた西道紗恵さんと、わたしが新居のリフォームをお願いした建築士の佐藤雄太さんが、2023年の五月に西会津国際芸術村の校庭で『結まつり』という結婚のお祝いの宴を開いた。
 紗恵ちゃんと初めて出会ったのはもう四年近く前。白い犬の役割を演じた紗恵ちゃんは地域おこし協力隊として西会津に移住したばかりで、わけもわからずその時は『注文の多い料理店』に参加したという。
 雄太くんも時を同じくして地域おこし協力隊として西会津に移住し、二人は出会って2022年に籍を入れた。
 結まつりを前に、二人は地域おこし協力隊を卒業した。

西会津国際芸術、校庭(写真はすべて結まつり当日)

「ここで結婚式やりたいんです」
 紗恵ちゃんから聞いたのは、入籍の前だった。
「芸術村で、ノミヤさんに言葉を書いてもらって、ノミヤさんの言葉大好きだから。それからナオさんに音楽奏でてもらって」
 ノミヤユウキさん中澤ナオさんは、芸術村に関わっているアーティストたち。紗恵ちゃんと雄太くんはシェアハウスをやっていて、そのシェアハウスにアーティストたちが住んでいることも多い。
 紗恵ちゃんの話を聞いた時わたしは、「素敵な結婚式だな」と思ったけど、紗恵ちゃん、雄太くん、芸術村のみなさんをまだまだわかっていなかった。

ノミヤユウキさん
中澤ナオさん

 新居に素晴らしく居心地のいい書斎を作ってくれている雄太くんに、
「あ、菅野さんに招待状渡してなかった」
 と、その場でメッセンジャーで招待状を貰う。
 テーマは「FOLK(民俗・文化)」で、ドレスコードは「あなたにとってテーマに即したものなら正解はないので!」と書いてあった。
「めっちゃ楽しそう」
「紗恵が張り切ってます」
 新婦が張り切るのは世の常だ。

 当日、みんなの念が雲を吹っ飛ばして快晴となった。
 西会津国際芸術村は、廃校になった木造の中学校だ。その校庭に、草木を纏った美しい『結まつり』の場が仕上がっていた。

結う二人、佐藤雄太さん、西道紗恵さん



 木々、草、花、火、夜に灯るのだろう少しの灯り。
 受付には白い衣装に草木をまとった、雄太くん、紗恵ちゃん。
「なんかしらの神話だね」
「雄太くん、みんなにキリストかピーターパンって言われてます」
 かわいいとしか言い様のない紗恵ちゃんが笑った。
「わたしは古事記に出てくる誰かみたいだと思う」
 白い衣装に草木なので、みんな自分がイメージしている雄太くんと紗恵ちゃんをそこに乗せているような気がした。

「FOLK(民俗・文化)」をテーマにしたドレスコードは、本当に楽しかった。
 着物の方あり、サリーの方あり。更には成人してるけど学生服、コンサートのおっかけの扮装の三人の女性がいて、「だってそれがアイデンティティだもんね」とハーブティーを出してくれている方が言っててなんだか心に残った。
 がっちりスーツの議員さん方もいた。そのスーツは場違いなのではなく、彼らのアイデンティティなのだと腑に落ちて溶け込んで見えた。
 わたしは和で無難にまとめちゃったななんてみんなを見ながら思ったけど、ネイルは太宰治をイメージしたもの。指先に文学が私のアイデンティティなんだと、みんなを見て自分を改めて知ったりもした。

 雄太くんと仕事をしている、『あしたのアーキテクツ』の宮戸さん、最近入った健吾くん、他設営チームは昨日からずっとこれを設営していたそうでよろよろしていた。
 いつもおいしいものしか出てこない芸術村の調理室と料理の場には、新潟から時々やってきてくれるルコトのちひろさんたちがいた。
 パフォーマンスチームは「酒呑みたい!」と言いながら一応控えていたりいなかったり。

 一言で言えば自由な場だ。
 でも自由ってものすごく難しいもの。
 自由との距離を、それぞれが「こんな感じかな」と持ってる。しっかり持っていたり、ふわっと持っていたり、緊張して持っていたり、それも自由に様々。

 久しぶりの友人、会いたかった人と、土地のもののお酒、ハーブティー、ノンアルカクテル、コーヒーを飲みながら語らう。
 時間がきて紗恵ちゃんと雄太くんが設営されたステージの上に立った。
 朗らかで明るい紗恵ちゃんの言葉。
「自分の大好きな人たちの縁を結う場でもあるので、知らない人とも話してみたりしてほしい」
 そんなことを言ってたと思う。
 実際、結う場になっていた。

 詩人で演劇人のノミヤユウキさんが綴った言葉を、二人は交互に読んだ。 別々の命、別々の人間、わたしたちは別々の人間であることを知っていて一緒に生きていくけれど、別々の人間であることを尊重し続ける。
 そういう風にわたしは受け取った。
 二人をよく知っているノミヤさんが綴った言葉は、とても二人らしい愛情だ。

 フラ歴六年の少女が息を呑みような美しいフラダンスを踊る。
『草木をまとって山の神様』の時に白い鹿を舞った地域おこし協力隊の都竹くんが、踊った。

 わたしは彼のダンスが好きだ。きれいだ。
 しかしその時、宮戸さんから聞いた話の「?」のままにしていた部分を知ることになっておもしろくもなってしまった。
 会場の設営や恐らくは膨大だったのだろう準備の時間の中で、何人かで都竹くんと踊る予定で設営の合間に振り移しをしていたけれどいろいろ間に合わなくてとん挫した、という話だったとやっとダンスを見ながら理解する。
「無茶すんなよ……」
 きれきれのダンスとよろよろの人々を見て、「盛って盛っていくつかは取りこぼす」それがイベントの完成だとしみじみしたりした。

 二人の大好きな日本酒での鏡割り、餅つき、おいしすぎる料理。

 三年前にこの町にやってきた時には二人とも想像しなかっただろう出会い、繋がり、それが結われて、晴れ渡る五月の空の下参加したわたしたちもそれぞれの糸と糸を結んでいく。

矢部佳宏さん


 途中、楽しく呑んでらっしゃる議員さんたちと少し話した。
「こんなに素敵なことやってんのに、発信が下手だよ」
 それは実は常々、西会津国際芸術村の矢部さんにわたしが思っていることだった。
 矢部さんはすごい。
「西会津は、西道さんがいきたいアイルランドみたいなとこだから」
 と紗恵ちゃんをその気にさせた。
 施工にきていた雄太くんに、
「いいねいいね君いいね西会津こない?」
 とその気にさせた。
 雄太くんからは、
「矢部さんがいなかったら僕ここにいないです」
 と聴いたことがある。
 基礎を作り、人を寄せ、立ち上げ、素晴らしい場を作って、そして矢部さんは全速力で明日に駆けていく。
 今日が立ち上がったら、もう明日を見ている。
 それがわたしには矢部さんで、矢部さんはすごいと思ってるけど、「今日」のことを発信しないのはもったいないよ! ってわたしは勝手にじたじたしてる。

 おいしいおいしいタルトを出してくれた、ルコトのちひろさんと最後の方で長く話せた。
「うちの方でも言われる。でもわたしは発信が上手じゃなくて」
 困ったように、ちひろさんは笑った。
「この場は、詩を紡ぐ人、音楽を奏でる人、踊れる人、おいしいものが作れる人、みんなが持ってる表現を持ち寄って思い切りそれができて。本当にいい場!」
 見ているわたしも高揚するとても明るい表情を、ちひろさんは見せてくれた。もう夜だったのに、内側から光を放つようなちひろさんの顔を見て、なんだかすごく幸せになれた。

 そういえば西会津国際芸術村関連の何かにいくと、スーツを着た議員さん方がいることはままある。ちゃんと見てくれてる。わたしは当事者じゃないのでここはいいとこだけ見て、よきことだと思ったりする。やり取りする立場に自分がなったら簡単には言えない言葉だけど、無関心じゃないんだなって思って見てる。人が生きていく上で場やお金のことはとっても大事。

星善之さん


 西会津出身の演劇人である星善之くんの振り付けと音頭で、みんなで会津磐梯山を踊った。
「振りがわからなくなったら静香さんを見てください!」
 盆踊りのペースカーは芸術村スタッフの清野静香さん。
 わからなくなって静香さんを見ると、キレッキレの上にアドリブが入ってて全然参考にならないからまた楽しくなってしまう。
 音楽は昨夜にわかに結成されたという、芸術村の矢部さんや佳織さん、引きずり込まれたアーティストたちが奏でた。「結バンド」とその場で名づけていた。いい名前だね。

 最後の挨拶で紗恵ちゃんがちょっと泣いたけど、嬉しさと感慨と、それから疲れてたんじゃないかな。ウエットな涙じゃない。紗恵ちゃんはいつもと変わらす朗らかにテキパキと、司会進行だって自分でやっていたんだから。

 本当に気持ちにいいリフォームをしてもらっていることを伝えたいなと、雄太くんのご両親に話しかけた。お二人はスーツとお着物で、披露宴仕様。それも、新郎の両親のアイデンティティなんだなと勝手に思ったりする。
 とても居心地のいい家を、わたしは今雄太くんに作ってもらっています。
 雄太が、そんな。本当ですか?
 ご両親にとって雄太くんは、もしかしたらまだ小学生くらいの記憶の中の子なのかもしれない。
 雄太くんはあまり前に出る子どもではなかったそうだ。それは今も割と変わってはいないかもしれない。けれどしっかりしていて、彼がどれだけ頼れる力を持っている人かということはわたしは今実感中だし、この場にいた人々の多くが知っていることだ。

 そんな雄太くんが、別々の人間である紗恵ちゃんと手を取り合って、たくさんの信頼する人に祝われながら、自分の言葉も綴る。

 雄太くんと紗恵ちゃんのご両親がこの場にいてくれたことはよかったと、それもわたしは勝手に思った。
 二人で生きていく時間の中で、それは生きていれば「どうしよう」ってことだって普通に起こる。禍福は糾える縄の如し。
 もしそんなことが起きた時この場にいる人々は、少しずつでも二人に手を伸ばすだろう。わたしもそうする。一人一人の手は大きくなくても、きっとみんな二人の幸いのために手を伸ばす。
 義務でここにいる人は、多分いない。
 多分、二人のご両親は見ていてそれを知ることができたのではないだろうか。それは安堵を、もたらしたのではないだろうか。
 きっとそうだと祈る。

 いいことばっかりじゃないのは、どこも同じ。晴れを結った二人さえ、曇る日もあるでしょう。
「ここでは挨拶できなかったら死ぬんです。じいちゃんばあちゃんは、命にかかわることを言ってくれている時があるので。『雪下ろししねとしぬぞ』とか、『雪囲いしねとしぬぞ』とか言ってくれてるんですよ」
 これはわたしか初めて雄太くんに会った日に、雄太くんから聴いた言葉。
 心に残った。

 地方で暮らすのは簡単ではないです。
 気候や地盤が比較的穏やかな土地に中央都市が作られるのは、有事のためでもあるはず。離れるほど気候はおだやかとは言えなくなるのは当たり前で、相手は空や風や水や大地なので、一人では立ち向かえない。
 住んでいるうちにそれを覚えて、手を携え、それからついでに言うと「古き、今となっては悪しき」は段々と役割を終えていっているのをわたしはこの土地で感じています。段々とだけれど、終わっていくのを感じている。

 土地を知って、愛し、地に足をしっかりとつけた人々を結った二人が、別々の人間だけれど二人でこれからを歩いていく。
 その場に居合わせることができて、わたしはまたこの土地が好きになった。

 あなたがふと訪ねて覗いてみてくれる明日があったらいいなと思いながら、ちょっと書いてみた。

 克明には書かない。
 きれいに明文化してしまうと、書かなかったこと、わたしが見ていなかったこと、聴けなかった言葉が、文章の外側に出てないことのようになってしまう。
 それはとってももったいないから、ちょっと書いた。

 結われた糸を、丁寧に手繰りながら。

西会津国際芸術村
https://nishiaizu-artvillage.com/

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菅野彰
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