「注文の多い料理店」会場・西会津国際芸術村/「非常灯は消灯中」(2020.06.30)
わたしは最近、心が止まっていたみたいだ。
それからたくさん、嘘をついていたようだ。
作家なので嘘をつくのは仕事のようなもの。だけどつきたくない嘘というのがある。
二十歳の時から、舞台を観ていた。三十年という時間。最近は舞台を観る時間は更に増えて、仕事として関わることもある。
三月の後半から、舞台を観ていない。この先も舞台のチケットは一枚も持ってない。
誰のせいでもない。いつまで続くのかわからない。三十年も大好きだった時間が止まって、そっちを見るのを無理やりやめてた。
「だってあのぶどうは酸っぱい」
いろんな理由を心で並べて、考えないようにしてた。
「注文の多い料理店」
原作 / 宮沢賢治
出演 / お客さま
主催 / 西会津国際芸術村
公演時間:各日四回公演 ※完全予約制(各公演限定六名)
そんなとき、友達が誘ってくれた。いろいろ考えていろいろ相談して、かなりためらいながら申し込んだ。演劇なのか、食事なのか、よくはわからなかった。あんまり期待しないようにも、無理にしていたみたいだ。
(撮影・友人)
「招待状が届いた」
友達がLINEをくれた。
なんてきれいな封筒。山猫の手形。マスクが入っていた。招待状に、たくさんの「注文」が書いてあった。
村には早く来ないこと。村人と接触しないこと。
賢治先生の文体で、旧かなで書いてあった。
もしかしたらまたいつか機会が巡るかもしれないから、「そのときは行きたい」と途中で思ったら読むのをぱたんとやめてみてください。
着いたその時から、なんて「注文」が多いんだろう。
「ねえ、わたしたち食べられちゃうのかな」
宮沢賢治先生の、
「注文の多い料理店」
の中に入り込んで、もうワクワクして楽しくて仕方がない。
バラバラで来ている男性たちもワクワクしていた。
「怖い」
「怖いですね」
マスクをして距離を取って、つい言葉がでてしまう。
六人が振り分けられた席も、立つ場所も、常に離れている。
「そのお水を呑んでください」
アナウンスが流れる。
山猫軒のキャストたち、お面とマスクをした猫たちはずっと無言だ。
距離があってマスクをしていても、わたしたちもお喋りしちゃいけないと自然と無言になる。
途中、写真を撮らなかった。だって、ここは「注文の多い料理店」の舞台の上だから。舞台を観ながら写真を撮るのは、わたしにはご法度。
でも、残したい、見せたい、ここを知ってほしいと思って、写真を撮り始めた。
山猫たちを撮っていいのかは、わからない。
でも、
「写真を撮っていいですか?」
なんて訊いたら、山猫軒じゃなくなっちゃうかもしれない。
そこに立っている山猫に、身振り手振りで訊いてみた。
わたしのことを食材だと思っている山猫が、クールにドライに、
「OK」
と、手で答えてくれた。
距離を保っていないと、山猫に身振り手振りで叱られる。
突然体重計に乗せられた。
ひどい。
だけどわたしたちは食材だからね。
教室の中の黒板に、今日のお惣菜一覧がチョークで書かれているのが見えた。わたしたち六人の名前がカタカナで書いてある。
食べられちゃう。
こんなわたしを許してほしいということを書く。最初、高まっていく気持ちの理由を疑っていた。
わたしはたくさんたくさん舞台を観てる。こんなに気持ちが高揚するのは、久しぶりだからなんじゃないかな? ちょっと疑った。
疑った自分は、親方に食べられちゃったらいいと思う。
食材になる前に、山猫たちはいろんなものを見せてくれて、わたしの心を肥やしてくれた。
きれい。
座ってギターを弾いてくれたのは誰だったんだろう。
いつでも親方がわたしを食べられるように、わたしの心が潤って養われていく。
手の洗い方も、山猫たちにすっごく「注文」される。
紙芝居でやり方を読ませてくれて、山猫が見本を見せる。
「ハッピバースデーを二度歌う」
ハミングする。
間違えたら山猫に叱られる。山猫は厳しい。
山猫の真似をして盆踊りを踊りながら、暗い暗い教室に入ると、一人一人の名前が大きく書かれたテントが人数分あった。
その中に入る。なんだかすごく躊躇った。
終わっちゃう。
一つ一つのテントを、山猫が一つ一つ閉じていく。
テントの中で、一人きりになる。
悲しいのじゃなくて、涙が出た。
食事は一人でする。でも一人なのが悲しいんじゃない。
なんてきれい。
今できるせいいっぱいなんて言葉じゃ、足りない。
今だから生まれた、本当に素敵な、なんてきれいな空間なんだろう。
なんて「注文」が多いんだろう。
自然と笑顔になって、これから食べられちゃうのに自分に塩をかける。
「いただきます」
と言って、一段目の料理をいただく。
突然ですがわたしは、自分で言っちゃうけど結構料理上手。ビーフストロガノフとか作っちゃう。
「結構料理上手な気がしてたけど、自分の料理に飽きるもんだな」
最近ずっとそう思ってた。
四月からこっちの間に、外食は一度した。楽しかったと思う。
でも味はよく覚えていない。
「こんなにたくさん、食べられるかな」
きれいなごはんを、一口口に入れた。
おいしくて、びっくりした。
おいしいおいしいと、惜しみながら全部食べた。
なんだか、「おいしい」もわたしは止まっていたみたい。いろいろ感じるのを止めてたみたい。
つまんないとか、楽しくないとか、おいしいとかおいしくないとか、言っちゃいけない。
大変なことがたくさんたくさんある。もっと苦しいことがあって、本当に辛い人はたくさんいる。
つまんないなんてそんなこと、我慢しなくちゃいけない。
何かしたいとか何処かに行きたいとか、そんなこと言っちゃいけない。言葉にしない。
それを三か月続けてたら、楽しいもおいしいも、しにかけてたみたい。
「おいしい」
おいしいを忘れてた。楽しいを忘れてた。きれいを忘れてた。
二段目を見るために、ワクワクしてお重を開けた。
きっと鏡か、油か粉が入っているんじゃないかって思った。
「やっぱり食べられるんだ」
そんな風に驚かされるんだって、ワクワクしてた。
『わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。』
宮沢賢治先生からの、手紙が入っていた。
「注文の多い料理店」の序文が、古びた紙に書かれていた。原文のままだと思う。
心が止まってるのを知らないでいた。
動き出して、涙があふれてどうしようもなかった。
(撮影・友人)
親方には食べられずに、山猫軒とさよならした。
山猫たちに大きな声で、
「ありがとう」
って言いたかった。
だけどわたしたちは、「注文の多い料理店」の登場人物。
そんなことをしたら、ここは山猫軒じゃなくなっちゃう。
頭を下げた山猫たちに、
「ごちそうさまでした」
そう小さく言った。
白い犬たちが、わたしたちを助けてくれる。
それが「注文の多い料理店」。
助けてくれてありがとう。
わたし心が止まってるのに気づかなかった。
「この状況になってわたし初めて、楽しいと思えました。今日」
ありがとうを言おうとしたら、声が震えた。
友達に何度も「ありがとう」を言った。
山猫軒は去りがたかったけど、いつまでもいたら親方の今日のごはんにされちゃうから村を去った。
「このピアス、『銀河鉄道の夜』なの。鞄は猫にしたの。山猫じゃないけど」
心の底で知らないうちに本当はすごく楽しみにしてたと、友達に伝えた。
観客として、作り手のはしくれとして。
いろんなことを考えて考えて考えて、わたしはくたくたに疲れて考えるのもやめてた。
「いらない」
そんな言葉もあった。わたしは「いらない」と言う人に怒ったり悲しんだり全然してない。
だってわたしは「もっと大変な人がいるのに言えない」って、自分の大切なものなのに心を育ててくれたものなのに、「いらなくない」って言わなかった。
嘘をついてるわたしがくたくたに疲れて止まってた間に、山猫軒は開店していた。
ありがとう山猫軒。
肥やしてくれて食べないでくれたから、動いた心でわたしは今日や明日を生きてくね。
本当にありがとう。
「注文の多い料理店」
原作 / 宮沢賢治
総合ディレクション / 野宮有姫( シックスペース )
舞台監督 / 星善之(ほしぷろ)
演出助手 / 名古屋愛
料理監修 / 木村正晃
出演 / お客さま
主催 / 西会津国際芸術村