被虐待児童と関わる方との会話から
「硬い爪、切り裂く指に明日」(河出書房新社)
自著・一般小説
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027432/
物語の核心部分と、近いようで遠い話です。
この記事はわたしの主観で書いているので、登場する現場の人物に思うところを書いてもいいですかとお伝えはしていますが、この方が実際思われていることと完全に同じではないと思います。
あくまでわたしがこう思ったという、わたしの話です。
この本を読んでくださった被虐待児童を助ける立場のお仕事の方から、
「鵺(ぬえ)に共感しました」
というようなお言葉をいただきました。
自著のネタバレになってしまいますが、この物語に登場する「鵺」は、むしろ悪、愉快犯に近い存在になっています。
鵺の登場シーンも多くはないです。
この鵺への共感というお言葉をくださった方が、被虐待児童を救う公的な立場の方だとは知っていたつもりでいたので最初とても驚きました。
受け入れられないというより、意味がわからなかったのです。
けれど時間を経て、腑に落ちた気がしています。
俯瞰で記事を追ったり時々少し関わる程度のわたしと、現場感覚は全く違うのだろうと改めて知った気がしました。
この方は2018年12月14日のサイン会にも来てくださって、初めて対面してお話ししました。
「ああ、鵺の!」
現場の方が何故という印象が強く残っていたので、わたしが現場のことを聞きたかったので様々その場で短い時間ですが尋ねさせていただきました。
「救える児童は●%で……」
この時とても少ない数字を聞いて衝撃を覚えた記憶で、今資料を検索してみましたが正確なところは確認できなかったので数値は伏せます。
「目黒の件があって人員が増えたのではないのですか?」
わたしから尋ねました。
「その件があって闇雲に増えて現在では混乱中です」
「そうですか……。でもとにかく児童相談所関連は、人が足りないとは関わっている法律家の方からも聞いています。今は混乱しているかもしれないけれど、その大きな出来事を経て増えた人材を育てると前向きに捉えられては」
当事者ではないわたしに言える精一杯をお伝えしましたが、現場感覚は不明のままです。
児童相談所について、批判する言説をたまに見かけます。
それは実際の部分もあるとは思います。
物事の側面は、どんなことも一つや二つではないから。批判的に感じた当事者感情も、存在するのは否定できないことです。
なので、わたしに見えている側面は、こうですという話として受け止めてくださいね。
現場は規則や法律でがんじがらめです。
更には人員も圧倒的に少ない。
その中で毎日一人でも子どもの命を救おうと必死で、苦情やクレームを気にかける時間に一人でも子どもの命を助けたい。
しかし被虐待児童当事者からも、虐待者が親の場合特に、一時預かりに対する苦痛の声が上がっています。
ここはとても難しいと、わたし自身思います。どんな親だとしても子どもは離れたくないかもしれないし、また一時預かり先に不安や不満があるのも理解できます。
具体的にわたしが思うのは、全員が納得できるだけのケアがされる予算もなければ、規則も司法もそうはなっていないというのが現実だということです。
わたし自身今現在、福祉課の職員さんに相談している問題があります(心配しないでね。わたし自身のことではないです)。
二人の現場担当者と話しましたが、
「そこは世帯の中から声を上げてくださらないと介入できないんです」
で、止まることがたくさんあります。わたしが世帯当事者ではない立場で、とある世帯を助けてほしいというお願いをしているのです。世帯。とある家族ね。
介入できないという言葉は逃げなのかというと、規則で現場職員は手が出せない。規則違反になってしまいます。
わたしは今自分が相談する当事者としてやり取りする中で、思いがけずですがここまで培ってきた知識や経験が役立ち、
「ならこういう方法で介入できませんか?」
と、介入方法を提案できている現状です。
「ああ! それなら助けられます!」
規則を破らない介入方法を提案すると、福祉課の方は「ならできる」と勢いを上げてくださり、手間を惜しんだりしないです。ご自身がわからないことも、資料や専門家と繋がっているのが福祉課なのでわずか1日でかなり調べてご連絡くださったりします。わたしの担当者の場合ですが。そうではない方もいるかもしれません。理由としては、役所の中は癒着防止で2、3年で部署移動があるので、知識と経験が身についた頃には部署が移動ということもあり現場職員も知識が追いついていない場合も、わたしの相談中実際ありました。
相談の仕方自体についてはわたしからは、いつかのためにみんな知識という武器を身につけておいてとしか言いようがないです。親戚や友人ならついて行って交渉してあげられるけど、たとえば福祉課では、
「死ねって言うのか!」
と怒鳴っている方を見かけたりします。
気持ちはすごくわかるんだけど福祉課の言いたいことはそうではなくて、
「規則の中でこれ以上できることがないんです」
ということが、多分ほとんどです。
なので別のアプローチがこちらから提案できるように、知識という武器を身につけてほしい。自分を守るために。
少し本題から逸れてしまいました。
そういう自分の相談当事者としての時間も経てようやく、現場の方が、
「鵺に共感します」
と言った意味がわかった気がしました。
「善人であることなんか求めない。悪だろうが絶対悪だろうが、この規則の中では自分たちに救えない子どもを、超法規的措置で助けてくれたら誰だって構わない」
鵺に共感するというより、鵺がいたなら助けられたのに助けられなかった子どもたちを、見てきたから出たお言葉なのかもしれない。
わたしがそう思った。
という話です。
実際の現場の声も、友人から聞くこともあります。
「世間に叩かれてることなんか気にする間に一人でも助けたい」
そういう気持ちの方が多いと、聞きます。
そうでなければできない仕事だともわたしは思っています。
様々、ニュースや記事、SNSに飛び交う言葉の中から、衝撃的なものを拾って印象に残してしまうことは多いかもしれません。
今読んでいただいているわたしの言葉も同じです。
どの件も鵜呑みにはせず、様々な角度から言葉を探して聴いてみてほしい。
現場の方も、現場に対して大きく批判する方も、多分目的は同じだと思うんです。
一人でも多くの子どもを、安全な環境で過ごさせたい。
目的が同じなら、双方否定だけし合わず、それぞれできることを探していけたらと願っています。
そういう一助になることを願って、この記事を書きました。
様々違うお気持ちやご意見、経験もあるかと思います。
それはわたしも知りたいと思うので、寄せていただけたら読ませていただきます。
お返事はできないかもしれませんが、このコメントに書いてくださったら読みますね。
わたし以外の方もコメントを読めたら読んでみて。
それぞれできる範囲でがんばっていきましょい。
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