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『ダンケルク』(2017)感想。(ネタバレ)

『ダンケルク』(2017)


1940年、第2次世界大戦下のフランス北端の街ダンケルク。イギリスとフランスの連合軍40万人が、ドイツ軍に追い詰められる。やがて、英仏側は民間船の協力のもと決死の大救出作戦を決行。若き兵士たちが生存をかけて戦う。

生きようとする二等兵、トミーが生き抜いたという映画かもしれない。

戦時称賛映画でも高揚映画でもない。と、受け取った。

実際の撤退作戦の成功に向かって、たくさんの命が失われる。
もったいない。
そう思った。
命はもちろん、技術、資源。

「戦争放棄」
「そういう高揚はいらない」
という感情が、後半驚異的な高低差でやってくる。

イギリスの視界だと思うと、高揚で終わっても仕方ないのかという映画への失意に覆われたラスト。

撤退に顔を埋める「イギリス兵士」が、列車の外にいる少年から新聞を受け取る。
その新聞によって「凱旋」だと知った「イギリス兵士」は高揚する。

生き延びた二等兵、トミーがその「イギリス兵士」にかわって新聞を音読する。
演説の書き起こしのようだ。
「我々は戦い続ける。決して降伏しない」
ここまでの命の散りようを観て、なんのために? と観客のわたしは思う。
「新世界の大きな力が、旧世界を救済し解放する時まで」
そうかナチス・ドイツ、またはそこには日本も入るのかもしれない。
ナチスには確かに屈服するわけにはいかない。
けれど最後トミーは「イギリス兵士」を見た。
とわたしは思った。

「イギリス兵士」は撤退の際、一人の若い兵士をスパイだと言い危険な船の外に出そうとして銃を突きつけた。
無口だった彼をナチスだと疑ったが、彼、ギブソンはイギリス兵に紛れ込んだフランス兵だった。
同盟国のフランス兵士だと知っても、「イギリス兵士」はギブソンを犠牲にしようとする。
ギブソンは助からなかった。
トミーは、「イギリス兵士」を恐ろしい者を見るように見上げた。
「新世界?」
そんな風に。
と、わたしは受け取った。
ここは個々に預けられている視線なのかもしれない。

キリアン・マーフィー映画祭をやっている。
わたしが一人で家で。
なのでこんな目に遭っている。

『ハイドリヒを撃て!』
(2016)

『ハイドリヒを撃て!』(2016)

これもナチスの侵略の実話を描いている。
「このくらい投げ出さないと勝てない相手で、ここでナチスに立ち向かう者たちが力を尽くしてくれなかったら世界はどうなっていたのか」
とは思う。
このくらいの弾圧と排除を受けたらわたしもやるだろうと、
『ハイドリヒを撃て!』
では正直思った。
だが本当にやりたくない。全然やりたくない。

答えは出ないのではなく、先の戦争で教訓は与えられているのではないか。
迎え撃つ力を備えるよりも、極端な軍事力を持たれる前に止めることはできないのか。
「そんなのあなたが考える前にちゃんとやってる」
という世界であることを心から祈る。

感想追記。
途中、謎の兵士(キリアン・マーフィー)が自分が怪我を負わせた少年のことを、
「大丈夫か?」
と、少年の友人に尋ねる。
その少年はもう死んでいる。
けれど少年の友人は、
「YES」
と答えた。
なんだかここで泣きそうになった。
掴み掛かりたいだろうにどんな力でそのやさしさを手にできるのか。
力には理由があった。
その子の兄は空軍で、戦死していた。
攻撃によるショックで我を失っている謎の兵士を労る理由を、彼は持たされていた。

#ダンケルク

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