「小説 帝銀事件」~知られざる真相~
「帝銀事件」をご存知だろうか?
戦後まもなくの昭和23年1月26日、閉店直後の帝国銀行 椎名町支店に、都の衛生課の職員を名乗る男が現れた。
男は近所で集団赤痢が発生したので、その予防薬を飲むようにと銀行職員たちに指示し、薬を自らも飲んで飲み方を実演した。
それに習って銀行員たちも飲んだ。
しかしそれは毒薬であった。
男は銀行員たちが苦しむ様子を顔色一つ変えずうかがい、現金と小切手を奪い立ち去った。
子供を含む12人が亡くなった、まさに戦後犯罪史に残る凶悪な大量毒殺事件である。
昨年末に「NHK スペシャル未解決事件」で、松本清張の「小説 帝銀事件」という作品がドラマ化し、さらに帝銀事件の真犯人像について追跡する特集番組が放送された。
実は私の場合、すでに10年以上前にこの小説を読んでいて、当時まだ知らなかった凶悪な事件とGHQの関係がとても印象に残った。
それをきっかけに真犯人に関係するとされた「七三一部隊」についても独自に調べ、まるで知らなかった戦時中の「日本の汚点」についての知識を得るきっかけにもなった。
それが今回NHKで放送され、確かに以前読んだ際は「小説として記憶に残る作品」という印象であったが、まさか「小説にせざるを得なかった」ほどの秘話があったとは!
観ていて鳥肌がたった。
ある意味、興奮を覚えた。
これまでの様々な記憶の糸が、まさにその原点に戻り1本に繋がったのだ。
今回はそんな経緯となった、関係作品を紹介したい。
1 小説 帝銀事件
①「小説 帝銀事件」松本清張 角川文庫
読書後の感想(2025.1.9)
先に述べると、以前読んだ時の感想は古すぎて文章として存在しないので、この感想はドラマを見た後に再読して書いたものである。
よって内容的に少し順番がおかしく感じることもあるが、やはりまずは小説をと考え一番先に持ってきた。
昨年の終わり、この作品がドラマ化され放送された。
実は運よくこの番組を録画でき、観ることができた。
それを受け以前に読んだことのある作品だったが、書店で購入し直し新しい視点で再読に至った。
作品は、三部構成で、昭和23年1月26日に起きた「帝銀事件」の説明と、裁判記録から得られた検察側と弁護側の主張、そして犯人とされ死刑の判決を受けた画家平沢貞通が本当に犯人なのか、では真犯人にふさわしい犯人像は? という著者の推理が描かれている。
ここでひとつ大事なことを述べると、著者は当初、この作品を「小説」ではなく「ノンフィクション」で書きたかったということをドラマで知った。
詳しくはドラマの感想で述べることにする。
前述したがこの作品、10年以上前に知人から勧められ、本を渡されて何の気無しに読み、当時「帝銀事件」と「七三一部隊」という未知の事実について知るきっかけとなった。
「変わった小説だな」ととても印象に残っていたが、本当のところ松本清張の作品であることも忘れていた。
さらに言うと本を大量に整理する際に古本屋に売ってしまい、後で後悔していた。
それが今回のドラマで裏の事情を知り、再読に至ったのだが、今回は「小説」としてではなく一つのノンフィクションという目線で読んでみた。
内容は事件の様子がとてもわかりやすくリアルに描かれ、新しい発見として「帝銀事件」の前に他の銀行で同様の未遂の事件が2件あったことも知りこれにも驚いた。
著者は犯人が試験したのではと述べていた。
しかし警察は当初かつての旧軍関係者が疑わしいとしていたが捜査は難航。
そんなとき重要視していなかった名刺捜査で浮かびあがった画家の平沢貞通容疑者の挙動不審で疑わしい態度が犯人に間違いないという方向に進み、結局世論にもあおられ、確実な証拠のないまま強制的に導かれた自白が重視され、犯人として死刑の判決を受ける。
だが理論的な観点からの著者の考えは「噓吐きの平沢には帝銀の真犯人として適格性が無い」とし、真犯人像は警察の捜査が届かなかった(GHQの圧力があった)旧日本軍関係者ではとしている。
特にかつての「七三一部隊」が関係していると述べているが、本の中では「しかし、とに角、個人的なおれの力ではどうにもならない」という言葉で物語は終わってしまう。
新しい視点で読み終えて、確かに著者の主張は至極理論的で賛成でき、改めて「帝銀事件」の捜査の難しさついて知ることが多かった。
前回読んだ際、この本で「七三一部隊」を知り、その後勉強していただけに、今回やっと知識が追いつき、理解して読めたので、事件の凶悪さと権力の壁に事実が歪んでしまう恐ろしさをあらためて実感した。
② NHK スペシャル未解決事件・松本清張と帝銀事件
第1部 松本清張と「小説 帝銀事件」(2022.12.29放送)
年末、偶然この番組の放送を知り、録画することができた。
もっとリアルタイムにこの投稿を持ってきたかったのだが、この番組を観て本を再読する等時間がかかり、その結果やっと文章化できた。
第1部はドラマで松本清張の闘いが描かれている。
この作品を観る前は、「小説 帝銀事件」のドラマ化だと思っていたらまるで違った。
確かに小説の内容に沿って話は進むが、ドラマは松本清張自身が主役で、彼の生活と帝銀事件のあったころの戦後の日本社会の様子、そしてこの作品を「小説」として出版したいきさつが描かれている。
帝銀事件について、松本清張は最初から平沢貞通は無実という視点で取り組んだようだ。
ドラマでは実際の帝銀事件の残酷な犯行の様子も忠実に映像化され、注意してよく見ると、小説内で問題視していた青酸性の毒物をピペットを取り分ける際、なぜ犯人が手本として犠牲者と同じ薬を飲んだのに無事だったのかという部分もしっかり表現されていた。
七三一部隊の登場も早く、このあと2-②で紹介するソ連の裁判記録を松本清張も読んでいたようで、このドラマでも七三一部隊の要点がかなり詳しく映像化されていた。
しかし清張は当時の事件の捜査の際、警察やマスコミにGHQの介入があったらしいことを知った。
さらに執筆のため深く情報を収集するあまり、GHQの壁が清張の前にも見え隠れするように。
出版社などに脅迫状が送られてきたようだ。
その結果、やむなくノンフィクションではなく「小説」として連載を開始し、作品の終わり方もあいまいになったという秘話が語られている。
まさか数年前に読んだ「変わった小説」の舞台裏にそんな事情があったとは。
清張は「小説」では書けなかった情報をかなり掴んでいたらしい。
ドラマはここで終ったが、番組はまだ終らない。
第2部の「知られざる真相」については後の3に続く。
2 七三一部隊
これまでの作品中、松本清張が「帝銀事件」の犯人像として「七三一部隊」の関係者なのではという推論が登場したが、その「七三一部隊」についての知識を得る際、私が参考にした作品を紹介したい。
①「七三一部隊 生物兵器犯罪の真実」
常石敬一 講談社現代新書
読書後の感想(2019.12.12)
思えば、以前知人から借りた変わった推理小説で、この「七三一部隊」が登場した。
それは戦争中日本に実際に存在し、生物兵器の開発に多くの人を人体実験で犠牲にしたが、隠蔽されて公にされてはいない部隊であるということを初めて知った。
興味を持った私は、偶然古本屋でこの本を見つけ「七三一部隊」について学ぶ気でいたが、この本の数ページに目を通すと、その真実にはなにか暗くて重いダークサイドな一面を感じ取り、結局読まずに本棚に眠っていた。
そんなとき、今年は年間50冊読破実行! と読んでいない本をあらためて読むことになり、今回再び日の目を見ることになって読むことになった。
その内容は、まず序章で日本各地で行われた「七三一部隊展」の説明があり、
第一章から七三一部隊の資料が隠蔽されている事実を語ることから始まる。
第二章では部隊長を務めた石井四郎軍医中将が当時の満州ハルビンに七三一部隊やその他に実験施設(石井ネットワーク)を開設し、どのような研究を行い、石井が終戦後戦犯免責になった経緯が書かれ、
第三章では実際の人体実験について(実際の犠牲者は数千人)、
第四章でその結果実戦でどのような兵器がつくられ使用されたか、
第五章では戦後の朝鮮戦争で、はたしてアメリカは終戦で得た七三一部隊の研究成果を実戦で利用したのか? が書かれ、
そして終章では戦後の日本で七三一部隊で人体実験をしていた医師たちが、当時の医療の重要なポストにつくことが多かったという矛盾ついて述べられている。
読む前の印象は実際の遺骨などの写真から「こんなひどいことをしました」とか「こんな実験をしてました」みたいに細かく書いてあるのかと思っていたら、全然読みやすく読み終わってみると、その内容は詳しくて濃く、この本を読むことによって七三一部隊についてかなりのことを知ることができた。
最初、感想や読書ノートに書くために要点に付箋で印を......なんて思っていたが、内容の重さ、特に人体実験(第三章)については(それもかなり詳しく書かれていた)、なんか読んでいてこんなに非人道的なことを!? と感じ、読み入ってしまいそれどころではなかった。
その他終章で著者の意見も述べられているが、七三一部隊の関係者の多くは戦後早々に日本に引き上げることに成功し、罪を償ったものが少なかったどころか、その後医療の第一線で働いていたとは。
部隊長の石井もアメリカに協力する代わりに戦犯を免責となったが、彼の部下を守ったという働きが大きかったのも事実である。
未だに韓国と従軍慰安婦問題で揉めているが、七三一部隊のことがもっと知られていればと思うと、全く戦後への隠蔽の成功例として驚きというか、呆れるばかりである。
この後、ビデオに録ってあるNHKで放送された七三一部隊についての番組も観るつもり。
好き嫌いはあるだろうが、視野を広げるのには良い1冊だった。
② NHK スペシャル 731部隊の真実 ~エリート医学者と人体実験~ (2017.8.13放送)
小説 帝銀事件を読んで七三一部隊に興味を持ち、①の本より先に録画しておいたが当時、本を読んでから観た。
今回もこの投稿のために見直した。
内容は、終戦後のあまりの現存データの少なさに謎とされてた旧日本軍の秘密部隊「731部隊(七三一部隊)」であったが、松本清張も読んだ文章での裁判記録しか残っておらず、信憑性が疑問視されていた。
しかし今回、モスクワで戦後の軍事裁判の肉声テープが発見された。
そのテープで語られている、細菌兵器開発と人体実験を実際に行っていたという事実を基に、NHKの集めた国内外の数百展に及ぶ資料から七三一部隊の概要をまとめ番組としたもの。
そこに見えてきたものは軍人ばかりではなく、東大や京大などから集められたエリート医学者が人体実験を主導していたという実態。
七三一部隊出身者のインタビューや、当時の写真なども紹介されわかりやすくなっている。
細菌兵器の実戦使用の内容もテープの肉声で聞くことができた。
ソ連軍の満州進行と同時に直ちに撤退した七三一部隊はほぼすべての証拠を処分し帰国した(逃げ遅れた者たちが後にソ連の裁判にかけられた)。
人体実験を主導し、いち早く日本に帰国した医学者たち。
その罪はアメリカによって人体実験実験のデータ提供と引き換えに免除された。
最初に観たときは①の本の内容が理解しやすく凝縮しこの番組になっているという印象を持った。
ちなみに番組後のエンドロールの最初に取材協力として、①の著者である常石敬一の名前がある。
3 小説 帝銀事件 知られざる真相
NHK スペシャル未解決事件・松本清張と帝銀事件
第2部 74年目の”真相” (2022.12.30放送)
第2部はドキュメンタリーで、前置きの後、まず帝銀事件と平沢貞通が犯人として死刑判決を受けた経緯がまとめられいるが、本題は同時に進んでいた警察の旧日本軍関係者への捜査に重点が置かれている。
平沢貞通が真犯人ではないという決定的な矛盾点、そして予想以上に深く進んでいた旧日本軍に対する警察の捜査、さらには期待通り真犯人の可能性が最も高い人物についても!!
当時不可能だった技術での解析や新たな証言、映像、手記といったまさに事件の真相を裏付ける信用できる資料の分析にはNHKの執念を感じた。
警察は七三一部隊の石井元中将とも接触していた。
これまで一概に「GHQの圧力」として書いてきたが、その絶大な影響力を垣間見た。
隠蔽することによるデータの独占。
七三一部隊以外のこれまで知らなかった極秘の研究機関も登場し、自分の知識や世に知られている情報はもしかしたら氷山の一角に過ぎないのかもしれないと考え直した。
本当の意味で戦争の恐ろしさを思い知った。
現在も平沢貞通の裁判のやり直しを求める再審請求が行われているという。
この番組をきっかけに良い方向に進展することを祈るばかりである。
最後に、今回このような長編の投稿になった。
最初は自分の知的欲求というか自己満足が強かったが、何のためになるのだろうかと自問自答することもあった。
しかしドラマで松本清張が「思うところがあり、書かずにはいられなかった」と言っていた。
私もこの松本清張の「小説 帝銀事件」を読んで「七三一部隊」を知り、長い年月をかけて今回再び映像という形でこの作品に戻った。
当時の松本清張もそうだが、この番組を作ったNHKの関係者も「思うところがあって」この番組を作ったのだ。
今回、これらの作品に触れ、他の視聴者より少しだけ多く知る同じ視聴者に過ぎないが、私も「思うところがあり、書かずにはいられなかった」と今は自信を持って言える。
改めて学ぶことも多かった。
ここまでこの記事を読んでくれた人はあまりいないと思うが、興味があればぜひ今回紹介した作品に触れて扉を開いてほしい。
真実を知り、視野を広げ、二度と同じ過ちは犯さないというきっかけになればと、強く願う。
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