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過疎は本当に『問題』か~旧岩瀬村に対する私の現状認識
前回は自分が住む須賀川市の市長選挙について思うところがあったので投票日当日に書きなぐった。文章の締めくくりに「投票率は下がるだろう」と予言めいたことを書いたが、結果は予想通り40%という低投票率となった。当選した大寺市長も、有権者全体の4分の1の支持(得票)を得られていないことは肝に銘じて政務に当たってほしいと思っている(投票率40%×得票率58%=23%)。
須賀川市に限らず、投票率の低さが嘆かれて久しい。一般的に若者が選挙に行かないからと言われるが、その原因は候補者の情報を市民側が得られないことだと私は考えている。広島県福山市には市民の情報不足に対して行動している人達がいるので紹介したい。私も須賀川市の次回選挙でこんなことができたらと思う。
閑話休題。
前回の記事で「大事なのは現状認識とメカニズムの分析、それに対する打ち手だ」と述べたが、市長選への批判ばかりで、自分の考えについては2年前の記事を貼り付けてお茶を濁していた。
今回の記事では須賀川市、とりわけ自分が住む旧岩瀬村地区(以後岩瀬村と表記する)に対する自分なりの考えを書いていきたい。
起きている現象:人口減少
2年前の記事でも触れたが、岩瀬村は令和4年度に「過疎地域」に指定された。過疎地域の要件として人口が25年間で23%以上減少していることがある(正確には財政指数など他の要件もあるが、ざっくり)。
しかし、私が重視しているのは既に減っている人口よりもこれから減る人口についてである。下図を見てほしい。岩瀬村のボリュームゾーンは55~75歳である。もちろん、一人ひとりには長生きしていただきたいが、あと20年以内で亡くなる人が多いことは統計的事実である。人口動態を含む自然現象は直線的ではなく一気に進むことが普通だ。つまり、これまでは徐々に人口減少して23%減ったが、これからボリュームゾーンの世代が亡くなり始めると人口がガクッと減ることが確実に起こる未来なのだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1723535649653-LtHCcczUUB.png)
上記のグラフは須賀川市のHPから人口統計のデータをダウンロードしてExcelに貼り付けて3分くらいで作れるグラフだが、岩瀬村が人口減少の崖っぷちにいるという認識をしている人が市役所内にどれだけいるだろう。
過疎は本当に『問題』か
人口減少について書いたが、過疎(≒人口減少)は果たして「問題」だろうか。問題とは「現状とあるべき姿のギャップ(差分)」と定義されることが多い。もし仮に人口増加、あるいは人口維持をあるべき姿とすれば、人口減少している現状とギャップがあるので、それは「問題」である。しかし、岩瀬村の人口増加、維持を願っている人に出会ったことが無い。村内の人が減っていくことは「仕方ない」と捉えているのが共通認識ではないだろうか。そうすると、過疎は「問題」ではないと言える。
では、何が問題だろうか。ここで、システム思考という考え方を援用する。システム思考の氷山モデルによると、現在発生している現象の背景には人々の行動パターンがあり、行動パターンを引き起こす構造があり、その構造を作っているのは人々の意識や無意識の前提であるという。(氷山モデルについて詳しくはこの記事が分かりやすく面白いのでご一読を。)
私は以下のように考えた。
![](https://assets.st-note.com/img/1723537713333-5u9kfqi9Wi.png)
真の問題と原因、その処方箋
真の問題は過疎、人口減少ではなく、村内外の人の無意識にある深い諦めではないかと考えている。「村にはなにもない」「こんなところ出ていって当たり前だ」「農家は稼げない」などなど…。
また、システム思考では原因と結果がお互いに作用するループを見つけることができる。この場合で言えば、これらの深い諦めがあるから外の人と交流せず、外部の視点を持てないからさらに自分達の地域に対する偏見を強めていくという負のスパイラルがある。
「偏見」と書いたのは、私の認識と違うからである。私は岩瀬村に対してこんなにいい場所はないと思っている。風景は美しく、静かで、四季の花鳥風月を感じられ、食べ物は美味しく、里山の暮らしの知恵が残っている素晴らしい地域だからだ。岩瀬村にルーツを持ち、地域外で色々と見分を広げたから私はこれらの認識を獲得できたのだと思う。そして、地域の外の人はもちろん、地域の中の人にも岩瀬村の良さを伝えたいと思い、ゲストハウスを運営している。
前回の記事でも触れたように、地域の価値・魅力に対してもジョハリの窓を適用できると私は考えている。地域の外の人と中の人が交流し、対話することで地域の価値・魅力が開かれ、創造されていく。
![](https://assets.st-note.com/img/1723597661292-9axjKJOr7H.png?width=1200)
地域の宝は人
地域の価値・魅力とは何か。究極的にはそこに住む人だと思う。美しい田園風景も、美味しい作物も人が創り出しているし、祭りや伝統芸能なども人が継承している。テーマパークなどは何度か行けば飽きるが、人のファンになれば何度でも訪問したり、その人が作った作物を取り寄せたり、リピート購買が続く。
だからこそ、村の人口のボリュームゾーンが高齢者に偏り、これからガクッと人が減ってしまう崖っぷちの状態である現状に私は危機意識を感じている。いま生きている人からこの地域の価値・魅力を継承しなければ、永遠に失われてしまうからである。
地域の宝の具体例
抽象論ばかりになってしまったので、具体例をひとつ。
私のnoteで何度も触れているが、私の伯父は林業を営んでいる。林業と言っても、稼ぎのために木を切っているわけではなく、生業(なりわい)として山を管理しているのだ。伯父の林業にまつわる話は示唆に富む。岩瀬村に根付いていた林業と里山文化がいかにサステナブルで、現代の文脈で見直されるべきかを以前書いた。
伯父の話の中で目からウロコだったのが以下の言葉だ。
馬が搬出するときは、使う木と残す木を一本一本選べる。
今の林業は重機を使うから全て皆伐しなければならない。
馬を使うなんて前時代的だと思ったけど、実は合理的な側面があったという。同じ考え方で大型機械を使わない「自伐型林業」がいま注目されている。経済的価値と社会的価値の両方を追求する林業であり、私もこれを実践したいと思っている。
このように、永い間この地域で繰り返され、今も息づく生活文化、思考、習慣は合理的で、現代にも活かせる点が数多くある。そして、それらを継承している(伯父をはじめとした)村の人達こそ地域の宝だと考える。
以上がUターン移住して4年以上経つ私の現状認識とそれに対する分析と打ち手である。
こんなことを言ったり書いたりしてるので「政治家になるの?(なったら?)」とよく言われるが、政治には関心があるけど、政治家には関心が無い。