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人生万事塞翁が馬−14
非日常が日常に
私は、2年半前、ハワイ島での交通事故で、長い間、共に生きてきた妻を亡くしてから、いろいろな意味で困り、途方にくれたが、その中でも日々の日常の生活、料理、掃除、洗濯等等のやり方、対処の仕方がわからず正直、投げ出したくなることもたびたびであった。
結婚した当初から私は、自分の領域は、家族の経済面を支えること、それ以外のこと、子育て、家事、家計費のやり繰り等その全てを故人である妻へ任せきりにしてきたのである。
今、振り返ってみるとそれが私のアィデンティ-だったように思えるのだが、一方で故人である妻にただ、全てを任せて、楽してきたに過ぎない自分というものに改めて気づかされた。
その反作用が現在、私に困難という形で降りかかってきているように思ったりしている。
高年期を迎え独り暮らしとなって2年半、料理、洗濯、掃除等は、まさに逃げることができない、向き合わざるを得ない私の日々の生活そのものとなり、特に、コロナ禍で外食も減り、自宅での滞留時間が長くなってくるとそれは、もはや些末な、大したことのない、仕事ではなくなってしまったのである。
長い間の生きがいであり、遣り甲斐でもあった仕事も、2020年、突然、襲ってきたコロナ禍と私自身の年齢ということも相俟って近いうちに終焉を迎えざるを得ないであろう。
終焉した後、何を自分の生きるテーマとするか今模索中ではあるものの、いずれにしても
これまでの仕事中心の生活から日々の暮らし中心の生活にシフトしていかざるをえないというのが、現実である。
それは、暮らしに拘る仕事がこれまでの非日常という位置づけから、日々の暮らしがまさに日常となるということでもある。
高年期の生き方の土台になるであろう、料理、洗濯、清掃、片づけなどの日常の暮らしを、楽しめる自分でありたい心から願うのだが。