変わらずにあり続けるもの、死者への思い
私は、市民の生涯学習の場として設けられた某市民アカデミーが主催する「人間学再論」という講座にここ数年参加している。
講座の内容を要約すると、我々、人間の避けられない、思うようにならない、四つのもの、即ち「生まれること」「老いること」「病気になること」「死ぬこと」いわゆる「生老病死」に関して、我々、人間が何を願い、何を楽しみ、何を悲しみ、そしてそれらをどのように求めたり、表現したりしているのであろうか等についてそれぞれの分野の専門家の方々から講義してもらうというものである。
私の場合、昨今は、「死」というものについて考えさせられることがたくさんある。
これまでは、さほどの意識にのぼらなかった「死」というものが、上述の「市民アカデミー」と自分の身近な人の死、2018年6月、米国のハワイ島で交通事故より亡くなった私の妻の死を契機として必然的に死というものと向き合い、これを自分の身近なものとして考えるようになってきた。
本来であれば、昨年の2020年5月末に予定していた妻の三回忌をコロナ禍の拡大により急遽、延期し、今年の5月末に何とかとり行うことができたものである。
その際、お墓側との打ち合わせを何回か行ったことに影響されたのか、「供養する」とは、「お墓」とは、等といったものについて改めて考えさせられたこともあって、東京大田区にある多摩川台公園をこの5月に続いて6月11日に再訪することとなった。
この多摩川沿いには、多くの古墳が築造されている。
4世紀から7世紀にかけて築造されたといわれる古墳が公園内に10基点在している。
23区内にもかかわらず、緑地帯で、公園内を歩いていると野鳥のさえずりも多く気分も落ち着く。
また、木々の間からは雄大な多摩川の流れが見える。
川幅は驚くほど広く、川が豊かな水であふれていた時代には、ここを船が遡っていたと記されている。
晴れていれば、ここから富士山も望める絶景ポイントでもある。
日本列島では、3世紀後半から約400年の間に、土を高く盛り上げた墳丘をもつお墓(墳墓)が、盛んに造られたそうである。
墳丘をもつお墓のことを「古墳」といい、古墳は当時の階層の高い人によって造られたそうである。
専門家のお話や専門書等によって、「埋葬すること即ち、お墓を作るとこと」と思っていた私の常識は覆され、厳密には、埋葬とは、死者をきちんと埋めることであって、お墓とはここに死者を弔っていると明示するためのものだそうである。
死者を埋めた場所として他人に明示するために目立つ印としてお墓を作ったとのことだそうである。
また、それは「ここは、先祖代々、我々の土地である」と他人に明示するためのものであったといわれている。
ただ、葬儀という行為は、世界各地の埋葬が行われた遺跡から、様々な事実が明らかになっているそうである。
例えば、約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人達は、「他界」の観念を持っていたとされる。
「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉があるそうだが、確かに、埋葬という行為には、人類の本質が隠されているのかもしれない。
それは、この多摩川台古墳や古代ピラミッドを見てもよく理解できる。
人間は必ず死ぬ。では、人間は死ぬとどうなるのか?
死後、どんな世界に行くのか?
これは素朴にして、人間の根本的な問題である。
人類文明が誕生して以来、我々の祖先はその叡知を傾けて、このテーマに取り組んできたのであろう。
人類の文明も文化もその発展の根底には、死者への強い思いがあったからではないだろうか。
肉体は滅んでも、魂或いは霊魂は、間違いなく我々のそばのいずれかにあって、人間の日頃の所業を見届けているのかもしれない。
文明や科学など等の発展で人間の価値観や考え方、或いはいろいろなモノが大きく変化して行く中で、どんなに時間が経っても変わらずにあり続けるものも一方には、存在している。
4世紀から7世紀にかけて築造された10基もの古墳群が、未だに精緻な形できちんと保存されている多摩川台公園で改めてその思いを強くした次第である。