追悼を超えた葬送行進曲
今日は、ベートーヴェンがナポレオン・ボナパルトに献呈しようとした《英雄》交響曲で、なぜ、死を想起させる葬送行進曲が第2楽章に置かれているのか、という謎について考えてみます。一見、失礼に思えますよね。
《英雄》Op.55を作曲した1804年ごろ、ベートーヴェンは真剣にパリでの演奏会を考えていたふしがあります。同時期に書かれた《ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲(トリプル・コンチェルト)》Op.56は、パリで局地的に流行っていた協奏交響曲(サンフォニー・コンセルタンテ)のスタイルによるもの。パリでしか流行っていない特異なスタイルの曲をあえて書いたわけですから、パリ上演のもくろみがあったことが推測できるでしょう。ちなみに、モーツァルトが複数の独奏楽器のために書いた《オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための協奏交響曲》K.297b(手紙に記録あるが消失)、《フルートとハープのための協奏曲》K.299も、彼がパリ滞在中に現地の流行スタイルで書いたものですが、これを気に入ったモーツァルトは、ザルツブルクに戻った直後にも、《ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲》K.364を書いています。
そして、ベートーヴェンの幻のパリ上演計画には、もしかすると、三重協奏曲とともに《英雄》も含まれていたのではないでしょうか。ナポレオンのお膝もとのパリで、彼に捧げる交響曲を上演する、となると、そこには現地の流行が反映されているはずです。
革命期のフランスでは、人々の団結を高めるため、大規模な革命祭典が頻繁に催されていました。例えば、フランス革命の端緒となったバスティーユ襲撃から1周年を記念して開かれた連盟祭(1780年7月14日)では、6万人が大行進し、30万人がミサに集結しています。このような祭典では、音楽が人々の心を高揚させる重要な役割を果たし、連盟祭ではゴセック作曲の《テ・デウム》が高らかに演奏されたと伝えられます。
そう、このゴセックというのは、あの可愛らしいヴァイオリンの小品《ガヴォット》を作った人です。国民衛兵の楽隊の指揮者だった人で、フランス革命のための音楽を沢山書きました。
革命の波及を恐れた周辺諸国がフランスに干渉してフランス革命戦争(1792-)が起きると、ナポレオン率いるフランス軍の活躍がはじまります。やがて、王政から民衆を解放するという革命精神の輸出を掲げ、周辺諸国に侵攻していきました(ナポレオン戦争, 1796-)。
ナポレオン軍は一般市民からの徴兵制。団結を強めるために音楽が利用されました。現フランス国歌にもなった《ラ・マルセイエーズ》などの革命歌です。
戦没者を追悼する祭典もしばしば開催され、ゴセックが提供した葬送行進曲が大々的に演奏されました。吹奏楽とティンパニ、銅羅による、ただならぬ威容の音楽です。ゴセックの葬送行進曲は、戦没者の葬儀だけでなく、偉人の遺骸をパンテオンに移送する凱旋の儀式でも、幾度となく演奏されました。大勢の人びとが参列し、壮大な葬送行進曲が鳴り響くとき、葬送の儀式は、単なる追悼を超えてスペクタクルと化します。こうして、フランスでの葬送行進曲は、単なる追悼の音楽を超えた存在となり、フランス革命のシンボルとして、人びとの革命精神を鼓舞し、連帯感を促していたのです。
ナポレオンの思想に共鳴したベートーヴェンは、おそらく、当地パリでの御前演奏も夢見つつ、革命へのオマージュ、連帯の証として、葬送行進曲を擁する《英雄》交響曲を書きました。しかし、完成後ほどなくして、ナポレオン皇帝即位のニュースが届くと、革命の英雄が独裁的統治者になってしまった失望感で、スコアの献辞からボナパルトの名を消してしまいました。そして、パリ上演の夢も実現されませんでした。
ところで、ベートーヴェンは、《英雄》交響曲を書く前に、第3楽章に葬送行進曲を擁するピアノソナタを書いています(ピアノソナタ第12番 変イ長調 Op.26、1801年)。この第3楽章は、なんとベートーヴェン自身によってオーケストレーションされており(劇音楽《レオノーレ・プロハスカ》WoO.96に転用)、これを聴くと、管楽器主体のサウンドやティンパニ・ロールの轟きなど、ゴセックの影響が明白で、ベートーヴェンがフランスの革命音楽に関心を抱いてリサーチしていたことがよく分かります。
↑衝撃の管弦楽版!先ほどのゴセックと聴き比べてみてください
この管弦楽版は、ベートーヴェン本人の葬儀で演奏されたそうです。2万人以上が参列したベートーヴェンの葬儀については、かげはら史帆さんのこちらの記事をぜひ。
初出 月刊音楽現代2017年12月号 内藤晃「名曲の向こう側」
参考 Raymond Monelle. Indiana University Press. 2006. "The Musical Topic: Hunt, Military, and Pastoral"
渡辺裕『西洋音楽にみる死生観の「近代」』