ピアニスト解剖(2)ジェラルド・ムーア
ジェラルド・ムーア(1899-1987)。フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップなど名だたる歌手たちから絶大な信頼を勝ち得てきた、歌曲伴奏のスペシャリスト。彼のソリストの色にカメレオンのごとく寄り添うピアノはあまりにも自然で絶妙で、わたしも尊敬してやまない。
彼は、その仕事に職人的な誇りをもった「闘士」だった。フィッシャー=ディースカウはこう言っている。
ジェラルド・ムーアは(…)伴奏者の人柄は控え目すぎるほど控え目で、できるだけ目立たないでいる「ピアノの紳士」だというイメージを、そしてまた、よく言われる、伴奏者のピアノの腕は落ちるという説も一掃した。
(『自伝フィッシャー=ディースカウ』から)
20世紀始めごろまでは、伴奏者の地位が低く見なされ、レコードにクレジットされないことも多々あった。ムーアの誇り高き仕事は、そんな音楽界に一石を投じ、やがて伴奏者への認識も変化した。
どんなに立派な作曲家でも、第二の思いつきとして伴奏を作ることはできない。伴奏は音楽全体の構造の基礎をなすものだからである。(…)
私は自分が伴奏家と呼ばれることを少しも恥じない。しかし多くの人々にとってこの名称は多少とも劣った階級を意味する焼印である。(…)
私は協力関係が好きである。私は協力から、そして完全なチームワークのもたらす喜びから、音楽的なスリルを今後もひきつづき得ていきたいと願っている。
(ムーア著『伴奏者の発言』から)
米ハートフォードシャー州に生まれたイギリス人のジェラルド少年は、家族で移住したカナダで少年時代を過ごしたのち、単身ロンドンにわたってマーク・ハンブルクに学んだ。
アンサンブル・ピアニストとしてキャリアをスタートし、テノールのジョン・コーツの共演者に指名されたのが転機となった。
34歳上のジョンとの合わせは、パワハラ紛いの厳格なものだった。
それは厳しい学校さながらであった。(…)「お前は、まるで恋をしたことがないような弾き方をしているぞ」「お前には、生きる喜びがないのか」「憎悪むき出しなのに、お前が弾くのは、まるでクリームのように甘ったるいぞ」(…)
どうしてこのような取り扱いを甘受できたのだろうか。それは、必要だったからである。(…)そして私は、これが成功するチャンスだと感じとっていたのである。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
そして、彼はこんな風に述懐している。
もし、コーツによって教えられたすべてのことを一語に要約しなくてはならないとしたら、私はこう言うだろう。「働くこと」ー即ち、音楽家として、常に研究し努力することである。(…)
彼は、伴奏というものに非常に奥深い意味を持たせ、そこからいきいきした歌う力を創り上げた。いかに熱烈に、しかもたゆまない集中力で自身の伴奏に耳を傾けるか、ということを教えてくれたのも彼である。今日、私の持っているテクニックはすべて、彼から得たものである。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
20代のムーアがコーツと残した録音があった。すでにムーアならではの自然体の「寄り添うピアノ」の原型が確立されている。
1952年のフィッシャー=ディースカウとの出会いは、双方にとって運命的なものになった。ムーア53歳、ディースカウ27歳である。彼らがそれぞれについて語っている言葉は限りない示唆に富んでいる。
もし私が、他の声楽家と区別して、フィッシャー=ディースカウが特に優れている点を最も的確に述べなくてはならないとしたら、それは一言で〈リズム〉であると言うことができる。リズムは音楽の生き血であり、フィッシャー=ディースカウはリズムの巨匠なのである。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
彼がとりわけ褒めてくれたリズム、しかしこれこそは彼の最大の長所の一つであった。このリズムがあってこそ、パートナーと足並みを揃え、拍子と息づかいという背骨を失うことなく、しかも細部におぼれずに、作曲者が選んだ偉大な軌道に最後まで乗ることができるのである。
(『自伝フィッシャー=ディースカウ』から)
互いにリズムセンスを讃え合っている。具体例を挙げよう。
私には彼がある曲を始めから終りまで同じテンポで歌うなどということは、到底想像できない。フーゴー・ヴォルフの《竪琴ひきの歌》の第1曲〈孤独にふける者は〉のピアノ前奏では、すでに第1小節目からメトロノームとの違いを見せてしまう。それは、第3、4拍目が初めの2拍より延びるからである。2小節目も1小節目と同じになるが、3小節目は4小節目に向かって盛り上がるため、全体に少しせき込み、5小節目で再び遅いテンポに戻る。これはフィッシャー=ディースカウが考え出した方法で、彼はこれを色彩と感情でいっぱいに満たした。ひとたび満足のいく構想が出来上がると、作品に意味や表情を与えるのに必要な箇所では力強く、またあるところでは軽いタッチでというように、ニュアンスの配置は弾力性に富み、構成の骨格にうまく付け合わせる。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
音楽づくりの舞台裏が垣間見える重要証言である。ムーアは、親子ほど歳の離れたこの若い天才バリトンから、アゴーギクに関する決定的な啓示を受けていた。この〈Wer sich der Einsamkeit ergibt 孤独にふける者は〉の2人の演奏を、楽譜を見ながら聴いてみよう。絶妙の極みである。
さらに、ムーアはこのように続ける。
フィッシャー=ディースカウは、ゆっくりした曲や叙情的な曲に限らず、英雄的な力強い曲もまた、まったく同じ扱い方をする。ショパンの《軍隊ポロネーズ》は、ほとんど気が付かないようなルバートによって音楽の緊張感を高めるが、彼はシューベルトの《御者クロノス》や《別れ》においても、これと同じ表現をしている。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
シューベルト《Abschied 別れ》での、わずかなテンポ操作の巧みさを聴いて欲しい。絶妙な加減に舌を巻くが、これはフィッシャー=ディースカウのアイデアをムーアが十全に具現化した結果だったのだ。
『伴奏者の発言』では、こんな風に書いている。
われわれが練習をするのは後から追いかけるのでなく、むしろ先んじて、そして声楽家と相並んで進むためである。声楽家はその場合にふさわしく、彼の歩幅を変えたり、歩速を変えたり、歩速を速めたりすることが度々ある。(…)作曲家たちはフレーズが不動のものではなく弾力性をもたせて、ここでは少し早く、そこでは少しおそくすることを期待しているのである。(…)声楽家はあるフレーズを同じように二度歌うことはないだろう。はじめはゆっくりと歌い始め、終りは早めに切り上げるか、あるいはこの逆にするかである。もしあるフレーズが徐々に上り、それから下ってくる流れをなしているならば、カーブの頂点にある音により多くの強調と時を与え、カーブの一番下にある音を犠牲にしても良い。
これがフレージングー音楽の流れをつくる原則をなし、音楽にみずみずしい息吹を与えるのである。
一方、ディースカウは、ムーアの偉大さについて、こう付け加えている。
このリズムがあってこそ、パートナーと足並みを揃え、拍子と息づかいという背骨を失うことなく、しかも細部におぼれずに、作曲者が選んだ偉大な軌道に最後まで乗ることができるのである。それには彼の完璧なレガート演奏と、タッチの様々なニュアンスも与っていた。しかしこのニュアンスは、それだけで一人歩きして、作品の統一を損なうことは決してなかったのである。
(『自伝フィッシャー=ディースカウ』から)
わたしがこのことを強く実感するのは、ムーアによる有節歌曲(同じメロディーを繰り返すスタイルの歌曲)の演奏である。われわれピアニストは、有節歌曲で、詩の各節の世界観をタッチで描き分けようと試みる。たとえば、《美しい水車小屋の娘 Die schöne Müllerin》の〈Das Wandern さすらい〉(歌われる対象が、さすらい→水→水車→石臼→さすらい、となる)や、終曲〈Des Baches Wiegenlied 小川の子守歌〉(失恋して小川に入水自殺した若者に小川が優しく語りかける子守歌。第3・4連に、因縁の狩人や好きだった娘が回想される)でのムーアのピアノを聴いてみて欲しい。そして、他のピアニストと聴き比べてみて欲しい。各節の描写は雄弁なのだが、それがアンバランスに印象付けられることなく、全体の統一感を保っているのが凄い。
ムーアはいくつもの著書があり、いずれも興味深いものだが、エッセイ集『お耳ざわりですか』の「私の仕事」という章では、シューベルトの《さすらい人の夜の歌》を例に、かなり自身の探求過程を詳細に言語化している。少々長いが引用してみよう。
これは、宗教的静寂につつまれたゆっくりした曲で、控え目な和音による伴奏が書かれている。ゲーテの詩は、その山頂の夜のしずけさを次のように表現している。「鳥さえも沈黙し、すべてが静穏である」そして「少しお待ち、わが魂よ、少しお待ち。そうすればお前もまたやすらぎが得られよう」この歌の前奏は、8つまたは9つの和音から成っており、これを弾くのには数秒要する。
ダイナミックスから言うと、この小さな前奏はすべてピアニッシモであるが、しかしその範囲の内で音の微かな盛り上がりやふくらみがあり、それに続いて音をより小さくしたりしなくてはならない。それは上り下りの曲線である。1つの和音が次の和音にすきまなく結びついていくという、きわめてなめらかな曲線である。けれども、曲線の変動範囲は非常に制限されているし、最もやわらかな和音と、最もやわらかみのない和音の境界は、たいそう幅が狭いものなので、もしほんの一部分でもその境界を越えると、その曲線はすっかり台なしになってしまう。それぞれの和音は隣の和音に関係し結びついているが、それぞれが異なった重さを持つ。そしてその相違はほんの羽一枚ほどでしかない。これを練習しながら、自己批判的によく聴いてみよう。音がでこぼこしないように、各々の和音に一様でやわらかなアクセントをつけて弾いてみるーただし、すべてピアニッシモである。次にフレーズに形と意味を与えるために、ほんの少しだけクレッシェンドとディミヌエンドをつけてみよう。あまりやり過ぎると釣合いがとれなくなる。でははじめからやり直し。ところが今度は、ペダルの使い方が悪い。和音が濁ってきたないのは、一つの和音が前の和音から、その響きをぼやけさせないでゆるやかに現れ出る代わりに、前の和音の領分を侵しているからである。これを充分に研究する必要がある。さて、ピアニッシモが達成できたとしても、その和音はまったく特徴のない鈍い感じで、フレーズは生気のないものとなってしまう。そこで、今度は非常に繊細に、右手のいちばん上の指に重みをかけて弾いてみよう。そうすると、最も高い音が中心になってしまって、他の音に比べるとあまりにもその音だけを明瞭に歌い過ぎる。過ぎたるは及ばざるがごとし。またやり直しだ。それでは、次のことに注意しよう。つまり、すべての内声とバスのオクターヴは、はっきりと聞き取れるように弾くことである。決してやわらか過ぎてはならない。そして、あのいちばん上の指が責任を負っているソプラノの音はー上の指は、和音の形によって、3または4、あるいは5の指であるー微妙に漂って、それにアクセントをつけているのを、聴衆には気づかれないように弾くことが肝要である。これこそ、この曲を真に芸術的に演奏する秘訣なのだ。
(ムーア著『お耳ざわりですか』から)
このムーアの文章を追体験するように、この曲の前奏2小節を弾いてみて試行錯誤する…それだけでも、計り知れないほどの収穫があると確信する。書物を通じて偉大な先人から学ぶことができるのを感謝しようではないか…!
ムーアは、『伴奏者の発言』で、シューベルトの〈Du bist die Ruh 君はわが憩い〉などを例に、
おのおのの音は、それに先立つ音と、そのあとにつづく音に充分注意を払って、全体のフレーズに適当な調和を保つようにしなければならない。(…)自分が出している音の性質、およびその前の音とそのあとにくる音とに関連させた上での音の性質を、批判的に聞き分けなければならない。
と言っている。これが、ムーアの真骨頂だ。音と音の関連づけ方、直前の音との音色のグラデーションが絶妙だし、それが、見通しの良い視野のなかであるべきバランスでなされている。
シュトラウスの〈Morgen! あした!〉でのムーアのピアノは静謐な光を湛え絶美をきわめる。この曲について、ムーアは、「完全な静けさ」を作り出すため、聴衆の心の準備ができるのを鍵盤上で待ってから弾き始め、演奏中の不必要な所作も厳禁だと述べている(ムーア著『伴奏者の発言』)。
ところで、歌曲伴奏のイメージの強いムーアだが、数は少ないながら、室内楽の録音も残している。歌曲にあまり馴染みのない方たちも、これを聴くと、彼の音楽づくりの素晴らしさを体感していただけると思う。
個性と個性がぶつかりあうスリリングなアンサンブルも刺激的で愉しいが、独奏とピアノがひとつになって同じ風景を描き出すとき、「心の共鳴」のようなものが一気に膨れ上がり、えも言われぬみずみずしい感慨が充満する。とりわけ、若いデュ・プレと共演したフォーレのエレジーでのピアノの素晴らしさには、終始心を射抜かれ言葉を失う。淡い哀しみを湛えつつも、デュ・プレの痛切なチェロを暖かく包み込み、じんわりと涙腺を刺激する。
器楽の発展は人声に近づこうとする試みだった。歌曲伴奏の職人ムーアは、人の呼吸の生理的な感覚を熟知している。室内楽でも、ムーアのアプローチの仕方は不変で、フルニエと共演したバッハのコラールの編曲では、細やかな緩急の施し方が、音楽の佇まいやフルニエの心理的高揚と見事にシンクロしているのがよくわかる。そして、音色も流れも、すべてがじつに自然に、オーガニックに変化していく。
最後に、どうしても聴いていただきたい音源を貼る。歌手たちに愛されたムーアは、引退を表明すると、1967年2月、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールで、ムーアのフェアウェル・コンサートが開かれた。EMIのプロデューサーのウォルター・レッグが中心になって企画し、ムーアを慕うシュヴァルツコップ、ロス=アンヘルス、フィッシャー=ディースカウが出演した。
このコンサートのライブ録音が残っている。SpotifyやApple Musicで聴けるので、是非とも通して聴いて欲しい。この3人が代わる代わるデュエットなどを披露しているのも相当レアだが、“シューベルティアーデ”のような音楽家たちの強固な友情がその音楽に息づいていて、聴いていてハッピーになること請け合いだ。そして、プログラムが終わった後、事件が起きる。ムーアのユーモアあふれるスピーチ(わたしが全訳してみました)。
どうぞお座りください(爆笑)
みなさん、今夜の私は伴奏者らしく控えめに振る舞っていません(笑)。実際、なんども自問自答しました。「でしゃばりすぎかな?」(爆笑)
それにしても、これほどの素晴らしい歌手たち3人が、同じプログラムと同じ舞台で同じ時間に共演してくれるなんて(笑)、たいへん光栄な瞬間です(拍手)。実際のところ、この3人と同じ時間に同じ大陸で会えるなんて(爆笑)記念すべきことです!もちろん、彼らが私を想って今夜ここに集結してくれたことを知っているので、そのことを深く誇りに思います(拍手)。
さて、舞台には出ていないけれど、舞台裏で大活躍してくれた第4の人物がいます。40年もお世話になってきました。彼こそがこのコンサートを発案し、実現に尽力し、プログラムを考えました。それはもちろん、ウォルター・レッグです(拍手)。
ありがとう。コンサートの間じゅう、私たちは舞台上で、自分たちに注がれる暖かい気持ちを感じていました。その気持ちとは、まさに、私が長年あなたに感じてきたものです。いつも私に言ってくれたわがままに、本当に感謝しています(笑)。
でもひとつだけ言わせてください。何百人もの人たちが、舞台裏に来てエリザベート、ヴィクトリア、ディートリッヒと面会したいと思っています。そして、おそらく数人…(爆笑)中には、私を厄介払いしたいと思っている人もいるかもしれません(爆笑)。
ここでお願いがあります。マネジメントとホールスタッフからの伝言です。今夜は楽屋に来ないでください。さもないと、素晴らしい歌で私たちにこんなにも大きな喜びを与えてくれたこの偉大な歌手たちが、夜じゅうぐだぐだとここにいて終バスを逃してしまいますから(爆笑)。
さて、この4人に…エリザベート・シュヴァルツコップ、ヴィクトリア・デ・ロス=アンヘルス、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、ウォルター・レッグ…、夢のような夜をプレゼントしてくれて、心の底から感謝しています。さようなら。みんなへの感謝をこんな形で伝えさせてください。
(内藤晃訳、無断転載を禁じます)
これに続いて、一人でピアノの前に座り、シューベルト〈An die Musik 音楽に寄す〉を1節だけ、1分ほど弾くのです。生涯、縁の下のコラボレーターに徹してきたムーアが、聴衆の前で披露した、最初で最後のピアノソロ。「いとしい芸術よ、どれほどの灰色のとき、君はぼくの心にあたたかい愛の火をともして、すてきな世界へと連れて行ってくれたことか!」(ショーバー詩)音楽への感謝。そのピアノは畏敬の念に包まれ、“Du, holde Kunst…”の歌詞がそこから聴こえてくるかのよう。ムーアの人生の詰まった、心震える1分間です。
彼が舞台でソロで演奏するのを見たのは、シューベルトの歌曲『音楽に寄せて』の編曲であった。彼はそれをロイヤル・フェスティバル・ホールで彼のさよならコンサートの結びに、5万人にものぼる聴衆を前に演奏した。(…)涙を流さない者は一人としていなかった。
(『自伝フィッシャー=ディースカウ』から)
原題は"Am I too loud?" ムーアは、伴奏者は控えめに弾くべきという固定観念を打ち破った先駆者だった。訳としては、「でしゃばりすぎかな?」と言ったところか。「(否、そんなことはない)」という反語である。人生を振り返りつつ、彼の音楽のポリシーが克明に記されている。
細かな解釈まで踏み込んで言語化されており、金言の宝庫。シューベルトの連作歌曲に取り組む歌い手とピアニストはぜひ参照されたい。個人的には、《水車小屋》の〈いやな色〉で狩人のホルンが聴こえる場面の解釈に唸った。
《狩人》のエコーを意図するのは明らかだが、ホルンの音が直接ではなく追想の形で現れるだけなのでできる限り緩和しなければならない。《狩人》よりも深い意味を持ち、反復音が《好きな色》の悲劇的なつぶやきを思い出させる(要約)
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