【Day.4】 6/16 メディカ、シェミシル
4日目。
朝から小雨が降っていて肌寒い。
計画通り今日はメディカでメンテナンスデー。
中年男性たちはそれなりに疲労が溜まっていて(昨晩も遅かったし)8時まで身体を休める。
84には窓が無いので朝の光も入ってこないので熟睡にはもってこいの環境である。
線路の向こうの教会の鐘は、この日も朝7時に鳴り響き自然に目が醒める。SimonとTravisはいびきもかかず寝返りも打たず、ひっそり静かに眠ったまま。
僕はベッドの上でPCを開き、メールやグループウェアの返信に勤しむ。
目を覚ましたらしいTravisは、ベッドの上でもじもじしている。
トイレに行きたいのだろう。
Simonは舌打ちをしている。
膝が痛むのだろう。
中年男性の正しい姿である。
ひとまず僕はお湯を沸かし、紅茶を淹れる。
お茶を飲みながら1日の計画のすり合わせ。
・84の掃除(この日からSallyやWojtekが合流するし)
・WDRACからの寄付で購入した、支援物資を満載した新しい車(中古車だけど)が届くので、89に荷下ろし
・Bessie, Bettie, Bertha(3台のバンには名前がついている)の掃除と手入れ
・89の整理
・生鮮食品の買い出し
しかし、決して僕は痩せているわけでは無いが、この2人といっしょにいると不思議と自分が痩せているような気持ちになる。
ということで、まずは84の掃除から。
指示があるわけではないので、やれるところから手をつけていく。
僕はトイレ掃除から始めて、ユニットシャワーと洗面台、キッチンと水場まわりから始める。
Simonは自分のデスクを片付け始めて、Travisは車の掃除から始める。
世界中の職場で共用されている冷蔵庫がそうであるように、84の冷蔵庫もまたミステリアスである。
いつ入れられて、いつ使われたのかわからない調味料の数々。
何が入っているかよくわからない茶色い紙袋。
Simonはそんな冷蔵庫の中に、容赦なく漂白剤を吹き付ける。
そして擦る。
謎の茶色い紙袋は、また冷蔵庫の中に戻り悠久の時を過ごす。
同時に洗濯も開始。
一番左手が全自動洗濯機で、真ん中と右手が乾燥機。
表示はすべてポーランド語で、何が書いてあるのかわからない。
適当にいろんなスイッチを押したら動き始めたのでそれでよしとする。
「散らかってはいるが不潔ではない」という状態を目指す。
水回りの掃除を終えた僕は、ひたすら掃除機をかける。
業務用の掃除機は無骨で小回りが効かなくて吸引力が強い。
ここは欧米なのでもちろん部屋の中でも土足である。
カーペットの目地の間に潜り込んでいる土や砂、小石をぐいぐい吸い込む。
一通り掃除を終えて小休憩。
一昨日、女性3人が雨を避けていた廃車には、今日は誰もいなかった。
彼女たちはどこに向かったのだろう。
雨は降ったり止んだりを繰り返している。
草むらからは日本では見たことのない種類のナメクジらしき生き物があちらこちらでうろうろしている。
赤に近い茶色で、大きさは僕の親指ほど。
見たことがないものを見つけるというのはやはり興奮するもので、しばらく謎ナメクジを葉っぱで撫でたり木の枝でつついたりする。
写真をお見せしたいがグロテスクなのでやめておく。
84に戻ると、新しいバンが到着したところだった。
ロンドンからおよそ2,000kmの道のりを3日間かけて届けてくれたのは、デビッドさん。
60代前半の、とても物腰が柔らかく知的な話し方をする紳士。
住所と、「84」の表示を頼りにここまで来てくれた。
Simonの「車を運んでくれるボランティア募集」の呼びかけに応えてくれたデビッドさんは、ロンドン近郊に在住で物流のエンジニアをしている。
ユダヤ人で、ご両親はドイツに住んでいたときに迫害に遭い、イギリスに移住した。
自分のルーツを考えた時、この侵略に対して何ができるだろうと考えた時、両親がイギリスに移住するのを助けてくれた人たちのように、私も助けることができるはずだとすぐにボランティアの手を挙げたことを話してくれた。
同時に、彼からも「君は一体はるばる日本から(僕よりも遠いところから来てるじゃないか)どうしてまたこんなところに?」という話になってWDRACの話をしてこれまでの経緯をかいつまんで話したところ、とても驚いていた。
そうか、そうだよね。
はるばる日本から来るって珍しいよね。
新しいバンは、後日Belindaと名付けられた。
Belindaにはイギリス中から集められた支援物資が満載されていた。
缶詰や瓶などの保存食品・古着・ベビーカー・オムツ・マスク・洗剤・シャンプーやボディソープ・鋤(すき)や鍬(くわ)などの農業で使うもの・新品ラップトップPC50台、などなど。
Belindaのサイズは日本車でいうところの2トンショート車のサイズ。
ぎっしりと詰まっている物資を89に降ろしていく。
荷物の積み下ろしを終えて、2台のバンでシェミシルに買い出しに向かう。
街の中心にあるシェミシル駅にデビッドさんを送る。
バイデン大統領や岸田首相もポーランドまで航空機で移動した後、シェミシル駅(プシェムィシルと表記されることが多い)発の列車を利用して陸路でキーウへ向かっている。
シェミシル駅からキーウ駅まではおよそ9時間半。
シェミシル駅からロンドン中央駅まではおよそ24時間。
雨が降っていたけれど、洗車場に寄ってからメディカに戻る。
この日もポーランドからウクライナに入国する車が長い列を作っていた。
おそらくこの列の最後尾に並ぶと、検問を通過して入国できるのは3~4日後になるだろう。
僕もBerthaを運転する。
無骨な商用車で、馬力はあるがスピードは出ない。
運転が好きなので、初めての場所を走るのは楽しい。
84に戻り、Sallyさんと合流。
小学校で教師をしている彼女とも、オンラインで幾度となく顔を合わせていただけど対面するのは初めて。
明日の計画を話し合いながらおしゃべり。
ウクライナに入国してからの活動は、常に緊張を強いられるのでこの時間にきちんと「オフ」にできたことはとてもありがたかった。
20時を過ぎたが、ディナーを食べにシェミシルへ。
雨に濡れた古都の石畳がとても美しかった。
日本と違って地震がないと、戦争で破壊されない限りこういった古い街並みが残るのだろう。
人口6万人のシェミシルには、趣のあるレストランが多かった。
Simonはカーナビを一切使わず移動する。
2011年の石巻での活動を思い出す。
避難所になっている市内各所の学校や、仮設住宅団地をまわるうちにいつの間にかナビはいらなくなっていた。
SimonとTravisのこの地での活動量が伝わってくる。
23時近くまでイタリアンレストランで英気を養う。
メニューや看板はポーランド語だが、googleレンズで簡易的に翻訳ができるので、コミュニケーションを図るのには全く問題を感じない。
Museum of Bells and Pipes、鐘とパイプの博物館はライトアップされていて静かに佇んでいた。
84まで戻ると、複数台のバスが倉庫前ゲートに並び、100名近い兵士がバスの周りに集まっていた。
イギリスで訓練を終えた新兵たちがバスに乗り込むところだった。
若者が多く、誰の顔にも笑顔がなかった。
シャワーを浴びてベッドに入る。
あっという間に眠りに落ちた。
深夜14時、突然84のドアをノックする音で目が覚める。
次第にその音はノックどころかドアをキックする音に変わって、男のがなり声も聞こえてくる。
おそらく酔っ払いか何かなんだろう。
ベッドの中でいつでも動けるように身構える。
しばらくすると静寂が戻る。
この倉庫街にはいろんな人が集まっている。
善意の人も、悪意の人も。
人道支援活動をする人も、人身売買や密売をする人も国境には集まってくる。
そういう場所なんだ、ここは。
気づいたらまた眠りに落ちていた。