【Day.2】 6/14 PM メディカからリヴネへ
マクドナルドで昼食を終えたら買い出しへ。
リヴネの福祉施設からリクエストがあったベビーフードとオムツを調達する。
ポーランドの付加価値税(VAT)率は現在23%、2023年6月30日までは食品は0%(!)、医薬品は5%。
ウクライナの付加価値税は20%、医薬品は8%で食品は5%。
基本的にABWは現金をポンドで所有しているので、為替の影響を(日本円ほどには)受けない。
というわけで、食品や医薬品はポーランドで仕入れた方がお得。
国を(貨幣システムを)超えた支援活動にはこういった財務の視点も持つ必要がある、ということを身をもって知った。
まずは1軒目のスーパー。
品数は豊富だが目指すものが見当たらない。
2軒目のスーパー。
生活用品の種類が豊富。
まずはベビーフードを探す。
パッケージはポーランド語なので、Googleレンズを使って翻訳する。
生鮮食品の品揃えも豊富。
熊のように大きなSimonがベビーフードを手にする姿がかわいい。
オムツの棚へ。
ベビーフードとオムツを確保して、一度84に戻る。
Travisは倉庫89の整理とバンの荷物を入れ替え作業。
一息ついて午後の活動に向けてひとこと。
次の買い出しはTravisと。
生鮮食品はCash&Carry、つまり現金問屋の店から大量に買う方が安い。
「もっと玉ねぎがほしい」と店員さんに交渉。といっても全ポーランド人が英語が流暢なわけではないので、英語が話せる顔馴染みの店員さんとやりとりする。
本来、撮影お断りの場所だが「記録のために撮らせてもらえる?」とお願いしたら快諾してくれた。
ひととおりの生鮮食品を買うと、こんな感じ。
「今日は少ない方だよ」とのこと。
荷物の積み込みを終えて、いよいよ国境の検問所へ。
渋滞の車列に並ぶ。
ここで、Simonが午前中に看板屋さんから耐水紙をロールで買った理由と、84に巨大なプリンターがあったか合点がいく。
この車列に並ぶと(この時点で200台近く並んでいる)おそらく検問を超えるのに5時間はかかる。
どうにかしてその時間を短くしたい。
車体の四方には大きく「humanitarian aid(人道支援)」の文字。
乗員である僕らは黄色い蛍光ベスト。
いわゆる「大義名分」を掲げて走る我々が車列に割り込ませてもらえる。
そのためのプリンターとロール紙だったというわけだ。
最初にこのプリンターが必要だったのは、他にも理由がある。
2022年の3月上旬、メディカに殺到した避難民たちに対して情報を伝える術がなかった。
そこでSimonはいち早く看板屋さんに依頼して案内板を作った。
「バスはこちら」「電車はこちら」「食べ物はこちら」「衣類はこちら」
たったそれだけの工夫で、混乱は劇的に落ち着いたという。
そして大型プリンターを手に入れ、視覚情報を避難民とボランティアに伝えた。
起きている事象に対処するための「問題解決(solution)」も重要だが、それと同時に、いま起きている事象の原因を探求して「起きている事象が起こらないようにする」ための「問題解消(dissolution)」を実行することができる合理性がSimonの強みでもある。
ちょっとした工夫で、物事は好ましい方向に進むことがある。
国境検問所(ポーランド側)の撮影は禁じられているので、敷地内建屋に入る直前の1枚。
パスポート・入国理由が書かれた書類(ウクライナ国内で人道支援活動をするための活動計画と人員リスト)と積荷に関する書類を検査官に渡し、出国手続き。積荷と乗員が申告通りか丁寧に確認される。
パスポートと書類にスタンプが押されて、ウクライナへの入国手続きに進む。
もう一度パスポートと書類各種をウクライナの検査官に渡す。
出国手続きと入国手続きをする場所は10メートルも離れていないが、国境から先はウクライナで、標識や看板はウクライナ語に変わる。
積荷と乗員の検査がされて、パスポートにスタンプが押される。
これら一連の出入国の作業に40分ほどかかる。
日本政府はウクライナへの渡航自粛を求めているため、観光目的では(おそらく)入国できないだろうとのこと。
そのような事情もあり、ABWの人道支援活動に参加するための書類を整えてもらうことで日本人の僕も比較的スムーズに入国できた。
ウクライナに入国すると、ポーランドに出国するための車列が続いていた。
検問所近くにはウクライナ語の看板の商店が5店舗ほど並んでいて、2車線の道の左右には森が広がっている。
5分ほど車を走らせると、視界が広がり民家が目に入る。
今年4月から5月にかけて、WDRACは酷使されたバンの入れ替えとウクライナ国内に借りるための倉庫費用をクラウドファンディングのキャンペーンで調達した。
Simonたちは既に倉庫の候補地を選定していて、今回はそのうちの1箇所を下見した。
安全・保安上の理由から場所は明示しないが、メディカから距離にして15kmほどの場所にある廃倉庫が候補地だ。
Google Mapを頼りに目的地に近づく。
道路は舗装されておらず、これでは確かに搬送用の車両はすぐに故障してしまう。
補修・保全は必要だが、手を入れれば簡易的な倉庫として十分な機能を発揮するだろう。
メディカからこの倉庫に物資を搬送・備蓄し、この倉庫を起点にキーウ・ヘルソン・ハルキウに更に物資拠点を広げれば避難者と困窮者への物資ネットワークが効率よく進められるようになるだろう。
ウクライナ国内出の避難者支援において、一番の課題は「ラストワンマイル」、小分けにした必要な物資を必要な場所に届けるネットワークだ。
クラクフには国連の倉庫が、モルドバには赤十字の倉庫があると聞いた。それぞれの場所に支援物資が集積されているが、そこから網の目のように広がるウクライナ国内の避難所まで「必要なものを必要なだけ」届ける仕組みが確立されていない。
なぜか。
戦争だからだ。
理由の一つ目は、いつ攻撃されるかわからない状況でボランティアが車両を使って移動することはリスクが伴う。
例えリビウやキーウなどの都市近郊が対空ミサイルの配備によって防空網が形成され、巡航ミサイルによる爆撃が減ったとしても支援活動の無事が保障されるわけではない。
誰もが簡単に引き受けられる仕事ではない。
理由の二つ目は、どこに避難者がいるか実数が把握できていないことだ。
公共施設(学校や図書館、病院やタウンホール)が避難所になるのは日本での天災時にも起こる状況ではある。しかしウクライナでは、日本のように自治体が避難所をマネジメントし避難者数を記録する機能は見受けられなかった。
今回の活動では都合4箇所の避難所を回ったが、いずれも地域住民がリーダーを務めていて、避難者数は把握していなかった。昨日までいた人が今日は避難所を出て、次の避難所まで移動するということが日常的にあるからだ。
帰るところがあり、しばらくそこに留まれば復旧と復興が始まる天災と違って、帰るところを奪われ国外にでるまでは安全が確保されない戦争の違いを体感した出来事だった。
倉庫の下見を終えて、次の目的地であるリヴネに向かう。
E40をひたすら北上する。
メディカからリヴネまでは約300km。
東名の用賀インターから名古屋駅までの距離を移動することになる。
日本の高速道路のような整備された「ハイウェイ」ではなく、制限速度は時速70マイル(時速112km)の「フリーウェイ」だ。
のどかな田園風景がしばらく続く。
道路はまっすぐで、天気も良くてときおり一面の小麦畑に遭遇する。
ウクライナの国旗の色である黄色と青。
小麦の黄色と、抜けるような青色の空。
道沿いのガソリンスタンドで休憩し、運転を交代する。
「ウクライナ全土が戦場になっているわけではない」ということは知識としてあった。
実際に当地を車で延々と走ると、のどかな雰囲気に戦争状態にあることを忘れてしまう。
ガソリン(軽油)の価格はポーランドが210円/リットル、ウクライナが170円/リットル程度なので、食品はポーランドで買う方お得だが、ガソリンはウクライナで入れるほうがお得。
ひたすらE40を北上して、今日の宿泊地であるリヴネに到着。
街に入ってすぐ、空襲警報が鳴る。
サイレンの音が鳴り響く。
人々は一瞬だけ立ち止まりスマホを見て、何事もなかったように歩き出す。
走り出して地下壕に向かう人もいないし、慌てた様子を見せる人もいない。
巡航ミサイルは対空網が整備されほぼ撃墜されるようになり、攻撃場所も高確度で予想されることもあり「自分のところには来ない」ということがわかると「平常運行」に戻る。
日本で暮らす僕たちにとっての緊急地震アラートみたいなものか。
「30秒後・震源は千葉県沖50km・震度3・M4.1」というアラートがスマホに表示されても、僕たちがまったく驚かなくなったのと同じような感覚なのだろう。
とはいうものの、怖かった。
僕が運転していたし、怖かったので動画や写真を撮る余裕はなかった。
リヴネの中心街で腹ごしらえ。
夜の21時を過ぎても空は明るくて、人々は出歩き、レストランは営業していて賑やかだった。
Google Mapでホテル近隣のステーキハウスを探して一息入れる。
300gのリブアイステーキが300フリヴニャ(UAH)、日本円で1,200円ほど。これに消費税が20%加算される。
SimonとTravisは僕がお酒を飲めないことを知ると、「よっしゃ、じゃあホテルまでの運転は任せるぜ!」と大ジョッキでビールを飲み干す。
メニューはウクライナ語、例によってGoogleレンズで翻訳する。
店員さんはかろうじて英語が通じる。
そういえば、ウクライナ国内に入ってからここまで、アジア人に遭遇していない。
隣のテーブルの若者4人組、店員達が物珍しそうにこちらを(僕を)見ていた。
ステーキハウスを出ると、すっかり暗くなっていた。
看板や街灯もほとんど灯されていない。
発電所への攻撃で電力供給が不安定になり、計画停電が続いているとのこと。
暗闇の中でたくさんの人が動き回っていた。
車で5分移動しホテルに到着。
宿泊客はほとんどいないのか、フロントのベルを鳴らし「すいませーん」と声をあげること10分、ようやくマネージャーらしき男性が現われてチェックインをする。
1人1泊2,000円程度。
十分な広さのダブルベッドルーム。
ひとまずテレビを点ける。
何を言っているのかさっぱりわからないけれど、ショッピング番組・ニュース番組・アニメ番組などが流れていることはわかる。
特にニュース番組は今日被害があった場所を淡々と伝えていた。
シャワーを浴びてベッドに潜り込み、あっという間に眠りに落ちる。