ふたりの能登杜氏さんの思い出。
2006年の11月。仕事で訪れた富山県滑川市の日本酒メーカー「千代鶴酒造」で、ふたりの能登杜氏が働いていました。
能登杜氏とは、農閑期になると、主に能登半島の先端から全国の酒蔵に少数のユニットで散らばって、現場で寝泊まりしながらお酒を仕込んでいる人たちのことです。
取材の日、今でも折に触れて思い出す、印象的なことがありました。
カメラ片手に仕事場をウロウロしている部外者のぼくにも、杜氏さんたちはフレンドリーに接してくださったのですが、彼らの方言が強烈すぎて、何を言ってるのか、最後までまったくわからなかったのです。
相手に自分のことばが通じてないな……と感じたら、標準語に寄せるとか、ふつうなら調整すると思うけれど、彼らはそんなことまったく意に介してない。まるで鳥かごの中のインコに話しかけるみたく、清々しいくらい訛ったままでした。
意地悪とか意固地になって、ではなく、ごく普通のこととして、あたりまえにそうしている。よく「自分のことばで話す」「自前のことばで語る」ことが大事なんて言うけれど、これ以上の「自分のことば」は無いな、と衝撃を受けたし、心動かされたのです。
で、彼らと一緒に酒造りをしている千代鶴酒造の黒田君に「聞き取れてる?」と尋ねてみたら「いや、8割わからないです!」と、まさかの返答。まあ、職人さん同士なので、言葉でコミュニケーションしなくても通じる部分は多いのでしょうが、さすがにびっくりしました。
そして、今年の元日。震源地や揺れの大きさを知った時、ぼくの頭にまず浮かんだのは、珠洲市から来ていた能登杜氏のおふたりのことでした。黒田君に安否を確認した流れで聞いてみたけど、無事かどうかまだ確認できてないらしい(千代鶴酒造は大きな被害がなく、計画通りに仕込みも始められるとのこと。ほんとうによかった)。
一緒に過ごしたのはわずか数時間で、しかも十数年前の出来事だけど、彼らのことばや、長年継承されてきたものづくりの技……そういった地域の独自性を守りとおし、安易に《標準化》しない/されない人たちが暮らす場所として、能登地方のことが強烈に意識づけられました。今回の地震によって、人的/物理的な被害だけではなく、目に見えにくい地域性や伝統文化が壊されていないこと、そして、もちろん、みなさんの無事と健康を祈るばかりです。