見出し画像

THINK TWICE 20200607-0613

6月7日(日) VOLUME 2

 初回と同時に収録していた喋りの素材を使って、第2回のThink Twice Radioを編集。後半になるにつれて声の疲労度が増していくのが、我ながら面白かったです。

 とはいえ、流すことにしていた曲とトークパートを組み合わせると、計ったわけでもないのに初回とたった12秒しか尺が違わないのには驚きました。

 では、番組で紹介した音源や内容を少し補足しておきます。

 Ed MountことThibault Chevaillierがやってたバンド「Clerks」のEPです。収録後にわかったんですが、彼はもともとThibaultはカナダのケベック出身でした。やはりカナダは北米のAOIRの聖地ですね。

 番組でもたっぷり話した、Donnie & Joe Emersonのすべてがわかるショートフィルム。タイトルの「The Rock-n-Roll Farmers」とは、地元のテレビ局に取り上げられた時につけられた彼らのニックネーム。


 ロックンロールするお百姓さん───と聞くと、反射的にこの曲を思い浮かべちゃいますね。

画像1

俺は田舎のプレスリー 百姓のせがれ
生まれ青森五所川原 いっぺん来てみなが
田んぼできたえた この声と
親にもらった この顔は
村じゃ人気のプレスリー 田舎のプレスリー

 この歌───後半の展開がとにかくひどくて〈村じゃ私に石なげる/この村出てゆけと〉〈病院入いれと人は言う〉って、田舎のプレスリーはなぜか村八分にされちゃうんですよ。なにがあったんだ、吉幾三。

 The Rock-n-Roll Farmersのほうはさいわい石を村人に投げられることもなく、予期せず注目され、Light In The Atticのイヴェントでライヴを披露したりしています。よかったよかった。

 さて、こちらは若くして認められたマヤ・ホークさん。
 番組でも紹介した曲「So Long」のアコースティックヴァージョン(どう見てもエレクトリック・ギターですが)の映像がアップされていました。それにしても、なんだかとても寒そうですね。

 マヤさんと『ストレンジャー・シングス』で共演しているフィン・ヴォルフハルト(主人公のマイク役)もカルプルニアというバンドで活動していて、過去には来日公演の経験もあります。

 2019年にカルプルニアを解散し、現在は新しいバンド、ジ・オーブリーズを結成。楽しそうでなによりです。

 マヤさんのアルバムは発売がちょっとだけ伸びて、7月4日リリース。たぶんすごくいいと思います。

6月8日(月) RUPERT HINE

 ミュージシャンの訃報にばかり触れるのも、気が引けなくはないのですが、ぼくがティーンエイジャーの頃に働き盛り(20歳〜40歳代)だった人たちが、このところどんどん鬼籍に入られるので仕方ないかな。

 ───ということで、上のニュースにあるとおり、イギリスのミュージシャン/プロデューサーのルパート・ハインが亡くなりました。享年72歳。死因は今のところ発表されていません。

 ただ、ルパート・ハインと言っても、名前も聞いたことがない人がほとんどかもしれませんね。
 なぜなら彼自身のヒット曲というのは皆無と言っていいからです。そのかわり、プロデューサーとしての仕事はものすごくて、上の記事にあるようなミュージシャンたち───特にぼくにとってルパートのイメージは、彼がプロデュースした、ハワード・ジョーンズの初期作です。

画像2

 1983年にリリースされたハワード・ジョーンズのファーストアルバム『かくれんぼ』(Human's Lib)はルパートのプロデュース作。
 ただし、ファーストシングルの「New Song」はコリン・サーストン *1 のプロデュースでした。

*1 デュラン・デュラン、ヒューマン・リーグ、カジャグーグーなどを手掛けた80年代サウンドを作り上げたプロデューサー兼エンジニア。元々はデヴィッド・ボウイの音楽的パートナーだったトニー・ヴィスコンティの愛弟子。2007年逝去。

 この「What is Love?」はセカンドシングルで、イギリスでは2位になりましたが、アメリカではビルボード33位とちょいヒット。

 当時の日本は、ワムとかデュラン・デュランとかカルチャー・クラブのようなイギリスのアーティストの人気が信じられないくらい高かったこと(今で言えば、K-POP人気に近いかなあ)、それに加えて、YMOがこの年の3月に「君に、胸キュン。」をリリースし、ハワード・ジョーンズのような、ちょっと歌謡曲っぽい、キャッチーなテイストのエレポップが受け入れられやすくなってたんですよね。

 ブロンドのツンツンヘアもかわいくて(と言っても彼は遅咲きで、デビュー当時すでに28歳だった)、このシングルもけっこう売れたんじゃないかと思います。

 1984年の日本公演の様子。客席の若い女の子の数と熱狂ぶりを見てください。
 大量にラックマウントされたシンセサイザーを1人で操りながら歌い、演奏するのもハワードの特徴で、このスタイルはご想像のとおり、TMネットワーク時代の小室哲哉さんに多大な影響を与えているはずです。

 ハワード・ジョーンズが最も尊敬していたのがスティーリー・ダンでした。キーボードを弾きながら歌う雰囲気は、たしかにちょっとドナルド・フェイゲンっぽい。精密で密室的なサウンドもたしかにそうかも───って感じがします。
 『かくれんぼ』に入っている「Pearl In The Shell」なんかは、言われてみればたしかにダンエスク。*2

*2 スティーリー・ダン風という意味。ぼくが今、適当に作った言葉です。

 ちなみにドナルド・フェイゲンの「I.G.Y.」をハワードがカヴァーしてるこの映像、今回はじめて見ました。

 うーん、なかなか話が戻りませんね(笑)。
 明日は心を入れ替えて(?)、ぼくのルパート・ハインの思い出について書きます。


6月9日(火) ELEVEN FACES

画像3

 1981年4月から1986年の3月、つまり、ぼくが小学6年生から高校2年生までの5年間、ぼくにとって音楽の教科書代わりだったのが、坂本龍一さんがNHK-FMでやっていたラジオ番組「サウンドストリート」でした。

 毎週火曜日の夜10時からの数十分(最初は40分、45分、50分と放送枠はちょっとずつ大きくなりました)は、眠い目をこすりながら、それこそ齧りつくようにラジオに耳を傾けていました。

 そんなある夜、ぼくは教授がかけた一曲に心を掴まれたのです。

 「じゃあ、ルパート・ホニョニョのゴニョゴニョゴニョ……」

 教授のボソボソした喋りは今よりも輪をかけてひどく、アーティスト名も曲名もわかったもんじゃありません。

 YMOの3人が揃って出演するときなど、特別な時だけは、カセットテープに録音して、保存することもあったけれど、ぼくの少ないお小遣いじゃなかなかライブラリは増やせず、一期一会の覚悟で毎回真剣に聴いていました。

 時には曲名を紹介せず、いきなり音楽だけが流れることもあったし *1 、気に入った曲があったとしても、自力でそれを探し出して、なおかつレコードを手に入れるというのは、1980年代の松山なんて今のピョンヤンくらい隔絶された世界だったから、ほんとに奇跡のようなことだったんです。

*1 トークの途中で放送事故寸前まで黙り込む、匿名希望とわざわざ書いてあるリスナーの名前をうっかり読む、といったたぐいの失敗もしょっちゅうあって、担当の港ディレクターはたびたび始末書を書いていた。

 その日、ぼくの耳に引っかかった曲は、エレクトリックドラムやパーカッションのポリリズミックなシーケンスから始まり、東南アジアの民族音楽とかアフロファンク風のエレポップでした。
 JAPANの「The Art of Parties」とか、矢野顕子さんの「Rose Garden」とか、高橋幸宏さんの「New (Red) Roses」みたいだな、って思いました。

 曲をかけたあとも、そのまますぐハガキコーナーになってしまったので、結局よくわからずじまい。でも、ホニョホニョゴニョゴニョの前の「ルパート」というヒントが耳に残ったので、しっかり心のメモ帳に書き留めておきました。

 そこからぼくの「ルパート」探しの旅が始まりましたが、当時の捜索能力には限界がありました。
 たまに行くデパートや電器屋のレコードコーナーとか、街にポツポツ出来てきたレンタルレコード屋などで、それらしいアーティストを探しました。
 あとはせいぜい、ラジオの番組表を広げて、洋楽中心の番組のプレイリストを調べて、ルパートというアーティスト名の曲がかからないか、目を光らせるのが関の山です。*1

*1 その頃はラジオの番組表が載ったFMレコパルやFMステーションといった雑誌があった。新聞にも毎週末かならず一週間分の番組表がつき、オンエア予定の楽曲も、すべてではないですが掲載されていました。もちろん「ルパート」の他にも無数のそういう曲が心のメモ帳に書いてあったので、それと一緒に地道に探してましたね。いま思うと、けなげで泣けます。

 幸い「ルパート」というファーストネームのミュージシャンはそう多くありませんが、いちばん紛らわしかったのは、このルパート・ホルムズでした。
 そこそこヒットして、ラジオでもちょいちょいかかっていた、この「Him」(1980年リリース)と、ぼくの記憶に残るあの一曲とは似ても似つかなかったけど、「夏なんです」を歌っていた人がYMOをやっていたわけで、これくらいのサウンドの変化はあるかもしれない───と思っていて、ルパート・ホルムズの曲は可能なかぎり試聴していました。

 ラジオから流れてくるザ・フィクスとかハワード・ジョーンズなど、ルパート・ハインの手掛けたアーティストのヒット曲は聴いていたけれど、プロデューサーが誰々で……なんて紹介している記事を読んだり、ラジオで耳にした記憶も無く、年月は経っていきました。
 まあ、たとえなんらかのヒントを得ていても、ルパート・ハインのアルバムまで辿り着くのは困難だったかな、と思います。

 それから20年近く経った1998年のことです。ぼくはネットでこのHPを発見しました。

坂本龍一のサウンドストリート全リスト Ver.1
http://www.chokai.ne.jp/mimori/radio.html

 ご覧のとおり、ぼくが聴いていた教授の番組のプレイリストが(ほぼ)保管されたサイトでした。

スクリーンショット 2020-06-10 2.03.55

 リストを頭からチェックして、ついにあの「ルパート」を見つけたのです。放送日は1982年6月29日。ぼくの13歳の誕生日の2日前。ということは、まだ12歳ですね。中学1年生ということになります。

 曲名が判明し、すぐに下北沢のイエローポップで「Eleven Faces」が収録されたアルバム『Waving not Drowning』を購入しました。もちろん針を落としたときは感動しましたよ。まさに辻仁成気分でした。*2

*2 やっと会えたね、ってことです。

 ちなみにこの日は高橋幸宏さんがゲストで出演していました。6月21日発売のアルバム『WHAT, ME WORRY?』の宣伝ですね。
 かぎられたお小遣いではメンバーのソロまでなかなか手が回らず、この『WHAT, ME WORRY?』も上京してから中古盤で買いました。

 さて、おまたせしました。
 これが12歳のぼくの心をとらえたルパート・ハインの「Eleven Faces」です。

 歌詞も読んでみたのですが、なんだかおどろおどろしくて、意味もあるような無いような。
 たしかにかっこよくはあるけれど、今の耳で初めてこれを聴いても、「かっこいい!」って反応はできないかもしれないと思う。だからこそ12歳の時のぼくがどうしてそこまで強く心を掴まれ、長年執着したのかなあ……と不思議な気持ちにもなります。*3

*3 でもこの曲について書かれたさまざまなレビューなどを読むと、ぼくと同じようにくだんの教授の番組で聴いて好きになった───という人がほとんどで驚きました。もちろん皆ぼくと同世代の人ばかりでしょう。

 細野さんがよく昔のインタビューで、YMOの後期の傑作『BGM』『テクノデリック』を出した時、「ライディーン」や「テクノポリス」のヒットを支えた大人たちが一気に離れてしまい、残ったのは小学生や中学生のファンだけだった───という話をしていました。*4

*4 その2枚の製作時にはバンド内の人間関係が最悪で、メンバー3人が同時にスタジオに入ることはなく、やや暗い雰囲気の曲が多いのが特徴。しかしサンプリングなど当時、黎明期だったテクノロジーを採り入れたサウンドは唯一無二。

 実際、ぼくもその一人だし、細野さんとお仕事をさせてもらっていた頃、「小学生のときに『BGM』や『テクノデリック』を聴いて大好きになったせいで、だいぶ人生が狂ってしまいました」って冗談めかしてぼくが言ったら、「うわあ、ほんとごめんね」って笑いながら謝ってくれました(笑)。

 
 実はこの6月29日のサウンドストリートもYouTubeに上がっていました。

 うーむ、結局、ルパート・ハインの話はほとんど書けなかった!


6月10日(水) 賃貸宇宙

 アメリカで最も人気のあるトークショーのひとつ『The Tonight Show Starring Jimmy Fallon』も、ホストのジミー・ファロンの自宅から放送が続けられています。
 昨日はゲストにSiaが登場して、彼女の自宅で収録されたパフォーマンスが放送されました。物置のようなガランとした空間にどでかいソファが置かれ、Siaのパフォーマンスに欠かせないダンサーのマディー・ジーグラーが踊りまくっても、絶対に近所から苦情なんて来ない広い家なんでしょう。

 苦情と言えば、ルイス・コールなんて総勢20人(ブラスバンド込み)の自宅ライヴをやってますが、これは正直たまったもんじゃないですね(笑)。

 最近、Prime Videoで見たこの映画『ニューヨーク 眺めのいい部屋売ります』の、モーガン・フリーマンとダイアン・キートンが暮らしている部屋は見晴らしも抜群でとにかく素敵だった。エレベータは無いけど。

画像6
画像7

 写真家のソール・ライターが亡くなるまで暮らしたニューヨークの自宅&アトリエも、作品のように彼が育てたすばらしい空間でした。

 画家のアトリエには北向きの窓が適していると言われています。
 ソールのアトリエも北向きになっているのですが、直射日光ではなく、光が自然に外で反射し、回り込んで室内へと入ってくる天然の間接照明になり、一日中、光線が安定しているのです。

画像5

 今後、日本でいちばん考え方が変わる部分が住居だと思っています。
 南向きの日当たりの良い物件こそ最高とされ、北向きの物件なんて日本人には長年忌み嫌われていましたけど、上記のような理由で、おそらく価値が逆転していくでしょう。

画像8

 もちろん間接照明の時代も終わりです。LEDで部屋の隅々まで一日中昼間のように照らされる時代がそのかわりやってきます。

 撮影用の照明が常にセッティングされ、壁面は背景合成用にグリーンで塗られて、zoom会議に最適化。天井からはブツ撮りに向いた白ホリゾントが垂らせるようになっている───そんな住宅がこれから当たり前になっていく気がします。

画像9

 ぼくのインスタグラムをフォローしてくださってる方はお気づきかもしれないですが、実はぼくの借りている物件って、なぜかひと部屋だけ壁がグリーンなんですよ。今は寝室として使っていて、実際は写真よりもっと濃い緑。引っ越したときはとんでもない色だなと思いましたが、こんなに価値ある時代になるとは予想だにしませんでした。

 ここをバックにリモート会議をしたことはまだ無いんだけど(もちろんzoom飲み会も)絶対にきれいに抜けるだろうな。ちょっと試してみたいんで、お誘いをお待ちしています(笑)。


6月11日(木) BLACK LIVES MATTER

 黒人への暴力や差別に対する抗議運動「Black Lives Matter」を、もっと本質的に理解するためのサブテクストとして、Netflixで2016年に配信された『13th -憲法修正第13条-』がYouTubeで無料公開されています。

 Netflixで翻訳版を見たのですが、この日記を書いた時の自分がいかにアメリカの黒人差別、人権軽視、また「Black Lives Matter」(=黒人の命を軽んじるな)について、浅薄な知識しか持っていなかったかを思い知らされました。

 1865年にアメリカ合衆国憲法修正第13条が定められて、撤廃されたはずの奴隷制。実はこれが現在も違う様相で生き残っていて、いかに黒人たちから搾取し、今、この瞬間も搾取し続けているのか───唖然とするほどの厳しい現実が描かれています。

 その一例ですが、民営化が進んだアメリカの刑務所はもはや巨大な産業の場として、莫大な利益を挙げています。大企業が政治家にカネを払い、彼らに働きかけて、企業の都合よく法律を書き加えていきます。
 メディアは黒人=悪党の潜在的なイメージづくりを助長する。黒人はどんなに善良そうに見えても、皆、悪党なのだ、と。
 新たな貧困、麻薬問題、暴力を循環的に産み出し、黒人たちはどんどん刑務所に送り込まれる。民営化された刑務所に大量投獄された囚人たちは安価に使える労働力として、企業の経営を支え、。これが奴隷制以外のなんなんでしょう。ジョージ・オーウェルの『動物農場』そのままの世界です。

 これは対岸の火事ではありません。アメリカで行われていることを手本にして、日本でもさまざまな構造的搾取は横行しています。アレもコレもソレもすべてそうです。ジョン・レノンは「想像してみて」と歌ったけど、手前勝手に想像するだけじゃ生ぬるいのです。

 搾取する側の人々はきっとまた新しい方法を考えるでしょう。そしていつのまにか新しい形の「動物農場」を作り、ぼくたちも知らず知らず消費者としてその農場を支えている。例えばAmazonは黒人たちとの連帯をメッセージとして発信しつつ、顔認識、監視技術として使える画像・動画分析サーヴィス「Amazon Rekognition」を全米の警察に提供している。*1

*1 人権団体や政治家などからの批判を受けて立ち、監視ツールの利用は違法ではない、と頑として方向転換してこなかったAmazonだったが、6月10日に「警察当局による使用を1年間停止する」と発表。1年間の根拠は「適切なルールを採用する上で十分な時間を議会に与えることができ」「1年以内に顔認識に関する連邦規制法案を可決するため」ということらしいです。

 年齢を重ねると、すぐ何かを分かった気になってしまう。自分の中の類例に当てはめて、かんたんに処理してしまう。そのうち何も考えなくなり、若い頃の自分がいちばん忌み嫌ってた人間になってしまう。

 全米で頻発した略奪や暴動の映像に眉をしかめた人こそ、ぼくのようにこれらを観て、学び、考えていただきたいです。


6月12日(金) 八蜜


画像10

 裏方的に動いている仕事のいくつかが本格化していたり、新しい原稿の依頼や、思うところあって加筆を決意した『富士日記』本の追加作業なんかも始めているので、この「Think Twice」に向き合う時間を作るのがけっこう大変。そんなときにかぎってポッドキャストの新しいエピソードも作っちゃったりして。

 そんな中、今日はひさしぶりに大好きな居酒屋「八乃寿」に夕方からぶらっとひとりで飲みに行ってみました。

 街のど真ん中にあって、知る人ぞ知るお店なんだけど、県外から遊びに来た友人のもてなしは常にここがファーストチョイス。
 いわゆる瀬戸内らしい地物の魚などはあえて置かないかわりに、アンチョビ炒めうどんのアンチョビまで手作りしちゃう大将の料理はほんとに美味しいんです。
 ふた月に一度くらいのスパンで季節物のメニューが加えられ、たまに新しいメニュー(マカロニグラタンとかハンバーグとか)が追加されると、LINEで #常連通信 が出回り、みんなが競うように頼んで味の批評会───まあ、結局ハズレ無しなんだけど───を繰り広げる、誰しもが近所にあってほしいと思っちゃうようなタイプのお店なんです。*1

 下戸の人や、今日はお酒はちょっと───という日は定食メニューやカツ丼などもあり、また大将にお願いすると、すべての一品料理が定食化できるところもうれしくて。もちろんこれも大将手仕込みのお漬物や愛媛っぽい白味噌のお味噌汁もめちゃくちゃおいしい。

*1 先日、ぼくらがこよなく愛しているレストランに対して、某雑誌の編集長がこういう店をありがたがる愛媛県民ってどうなの───つまり、八乃寿のように、鯛めしみたいなローカルフードではなく、マカロニグラタンのようなどこにでもあるものを出す店が、ローカルをローカルたらしめない、とでも言うような(彼の稚拙な文章ではこれすら表現できてなかったわけだけど)、かなり小馬鹿にした文章を一度ならず二度も投稿し、われわれ常連たちの逆鱗に触れるという事件がありました。正直、君はもう二度とここに来なくていいし、君たちが出している雑誌や、君たちの会社がお題目にしている偏狭な価値観で、少なくともわれわれが愛してるものを語ったり、取り上げたりしないでほしい。

 今日はいろいろ悩んだ挙げ句、ハイボール(390円)、牛肉のたたき(690円)、そしてコロッケ定食(640円)を注文。以上、締めて1,720円。

 カウンターにわずか10席ちょっとの狭い店で、ゴールデンウィーク前からしばらくお休みになってたのですが、休業明けからは大将が不織布のマスクを付けるようになり、食事の前と後に手指のアルコール消毒を促されるというちょっとした変化がありました。*2

*2 あと、休業中に暇を持て余した大将はウォーキングに明け暮れていたそうで、まるでハワイから帰ってきたかのように真っ黒だった。あと、「お、ひさしぶりやね。それでどうよ、ミズモトくんみたいな仕事も給付金もらえるん?」だったのがめちゃくちゃおもしろかったです。

 誰かに文句を言いながらも、結局、満員電車に揺られて、決められた時間に出社しなくてはいけない働き方に疑問を感じ、生き方や住まう場所を大胆に変えること、つまり新しい生活様式をより個人的で、深いレベルで実践すること───そういうことがもっと起きていいと思う一方、大胆に変えることだけではなく、こういう息長く商売を続けてきた愛すべき小さな店や、高齢の大将たちの健康を守るためにできることを、ぼくら常連たちも一生懸命考えたうえで、足を運び続けるというのも大切なことだよなあ、と考えながら杯を傾けました。

6月13日(土) 狂い咲きフライデーナイト

 いろいろ優先すべき仕事があるので、しばらく作るつもりじゃなかったのに、どうしても今日やっておきたい理由が自分の中で見つかったことから「THINK TWICE RADIO」の第三回を制作することにしました。

 居酒屋からほろ酔いで帰ってきたあと、選曲作業と進行台本を2時間くらいでまとめ、日付が変わった午前1時頃からトークパートを録音。こないだ一通りやったことで、要領もだいぶ掴めていたから、けっこうスムーズに終わる。

 そのあとすぐ編集作業、ミックス、マスタリングを経て、午前4時くらいにいったん完成品にして、失神するように就寝。

 起床後、あらためてプレイバックを聴いて、気になった箇所のトークを部分的にパンチインしたり、カットしたりして、昼頃に完成しました。

 内容は、ここ最近の気になる曲を紹介する第一特集に続いて、明日閉店してしまう下北沢のレコード店「DISC SHOP ZERO」へのオマージュを。

画像11

 明日(14日)21時に公開予定。

サポートしていただいた資金でレコードや本を無駄遣いし、執筆の糧にしております💰