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THINK TWICE 20210117-20210123

1月17日(日) THINK TWICE RADIO

ちょっと山奥までカレーを食べに行き(美味かった)、街に戻ってからはボーリング(最近ちょっと凝ってます)、普段づかいのメガネを新調して……といった具合にバタバタと動いたあと、記念すべき10回目のTTRを自宅で録音。そして深夜にアップ。

実は前回からトーク部分の収録にこんなプラグインを導入しました。

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防音設備のない室内で録っていると、どうしても車の走行音とかエアコンの作動音など、さまざまなノイズが混じります。BGMを後ろに敷けば目立たなくなるくらいの雑音なので、初期のエピソードではそういう処理をしていたのですが、なんとなくしっくりとこなくて、あれこれ試行錯誤した結果、このプラグインに行き着きました。

結果は一目瞭然ならぬ、一耳瞭然。聴いている人にしてみれば「ああ、言われてみたらたしかにそうかも」程度の改善かもしれません。でも、ぼくにしてみれば半年以上の宿題がほんのわずかな出費で魔法のように解消できたのは嬉しいし、新しい制作のモチベーションに繋がります。

もちろんこうした改善は、時折リスナーや読者の方が送ってくださるサポートも原資になっています。ほんとうにどうもありがとう。あなたがたのためにぼくは生きています(笑)。


1月18日(月) BACK TO MONO

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音楽プロデューサーのフィル・スペクターが、収監されていたアメリカの刑務所内で死亡。享年81歳。現時点で死因は正式に発表されてないけど、新型コロナウィルスによる合併症とも自然死とも言われています。

ラモーンズのアルバム『End Of The Century』を1980年にプロデュースして以降、それから約40年間に彼がやったことといえば、さまざまな奇行、家族に対する暴力……そして、殺人事件。

妻のロニーに対する長年の暴力、幼い息子に対する虐待、仕事相手への脅迫など、音楽家以前に人間としてどうかしちゃってるとしか言えない彼のふるまいは、1990年に邦訳出版された『フィル・スペクター HE'S A REBEL【蘇る伝説】』の中でもつまびらかになりました。

監修を務めた大瀧詠一さんが解説文のなかで「関係者の証言にも正確性に欠けるフシが有り、全部が全部〈伝説〉を鵜呑みにするものではない」と、釘を刺しているけれど、ジョン・レノンとのセッションで意見が対立し、激昂したフィルがスタジオの天井に実弾を発砲したとか、ラモーンズとのセッションでも、メンバーのディー・ディー・ラモーンの頭に拳銃をつきつけた───というエピソードは紛れもない事実。

たとえばアメリカでは麻薬にもとづく刑事事件に、世論も比較的寛容な反面、ウディ・アレン、ハーベイ・ワインスタイン、R・ケリーのように、弱者、特に女性に対するセクハラやパワハラ、あるいは人種差別などは徹底的に糾弾され、加害者は作品ともども亡きものにされてしまいます。

フィルのように、音楽に直結するプロセスのなかで他者に危害を加え、暴力に訴えることは、交通事故で逮捕された役者の出てる映画やドラマを公開中止にしたり、麻薬で捕まったミュージシャンのCDを店頭から回収するのとは訳が違う、と思うのです。しかし、フィルの作品がメディアからオミットされているといった話は、ぼくの知るかぎりありません。彼が起こした事件はけっして看過したり笑い飛ばしたりする性質のものではなく、作品に罪はないでしょ……的な意見を目にしても、ほんとうにそうなのかな? と、心に引っかかりさえ覚えます。フィルの手掛けた楽曲のすべてがそうだとは言わないけれど、ひょっとしたら作者にも、生みだされた作品にも罪があるケースってあるんじゃないかな、と───。

日本の大手新聞社が配信した訃報には〈ビートルズのプロデューサー〉〈ウォール・オブ・サウンド〉〈日本では大瀧詠一や山下達郎に影響を与えた〉といったキーワードが馬鹿のひとつ覚えのように登場していました。少なくとも大瀧さんへの影響───という点において、先ほどの本の解説のなかでご本人がこう書いています。

リスナーの方はどう思われているかは解りませんが、私のサウンドについて、確かに大部分、彼から影響を受けたことは事実で、全くの模倣の時期もありましたが、もはや単なる模倣ではなくなったと確信を持てるようになりましたので、この仕事を引き受けたという側面もありました(ぐらいのことは書かせてくださいヨ)。

たぶん大瀧さんが亡くなるまでこの〈確信〉は揺るがなかったんじゃないかな。まあ、被害者が加害者を全面的に許し、加害者が反省し、相応に償っているなら、他人が口を挟む問題ではないですけど、元妻のロニー・スペクターが訃報に際し、フェイスブックで発表した愛憎入り交じった追悼コメントを翻訳して、この話の結びに変えさせていただきます───。

It’s a sad day for music and a sad day for me.
When I was working with Phil Spector, watching him create in the recording studio, I knew I was working with the very best. He was in complete control, directing everyone. So much to love about those days.
Meeting him and falling in love was like a fairytale.
The magical music we were able to make together, was inspired by our love. I loved him madly, and gave my heart and soul to him.
As I said many times while he was alive, he was a brilliant producer, but a lousy husband.
Unfortunately Phil was not able to live and function outside of the recording studio.
Darkness set in, many lives were damaged.
I still smile whenever I hear the music we made together, and always will. The music will be forever.

音楽にとって悲劇的な日であり、またわたしにとっても悲しい日です。
わたしがフィル・スペクターと働いていた頃、彼がスタジオで創作しているのを見ていると、わたしは極上の人物と仕事しているのだ、と確信していました。彼はすべてを掌握し、そこにいる人たちに完璧に指示を出していた。愛すべきあの日々。
彼と出会い、愛しあい、まるでおとぎ話のようでした。
わたしたちが作った魔法のような音楽は、われわれの愛にインスパイアされたものです。わたしは彼をとことん愛したし、彼に身も心も捧げていたのです。
彼の存命中にわたしは何度もお話しましたが、彼は素晴らしいプロデューサーではあるけれど、最悪の夫でした。
運悪くフィルはレコーディング・スタジオの外では生きることができない、まったくの役立たずだったのです。
暗闇がおそいかかり、たくさんの命が痛めつけられました。
それでもわたしはわたしたちが一緒に作った音楽を聴くたび、今でも笑顔になってしまうし、きっとこれからもそうでしょう。
わたしたちの音楽は永遠なのです。


1月18日(火) Love Means Paying Attention

映画『レディ・バード』を観ていたら、主人公のレディ・バードことクリスティン(シアーシャ・ローナン)が、サクラメント(とても退屈で、一刻も早く離れたいとクリスティンが願っている街)について彼女が書いた作文を、「この街に対して感じている愛情が伝わってきた」という理由で校長先生から褒められたとき、「違います、注意を払っているだけです」と反発するんだけど、校長はこう言い返す。

「愛情と注意を払うというのは同じことじゃない?」と。

ぼくもタモリさんや村上春樹さんや武田百合子や伊丹十三といった人たち(故人の敬称略)について「〇〇のことがよほど好きなんですね」と、よく言われます。でも、そのたび、いや、好きとか嫌いとか、そういう素朴な話じゃないんだけどな───と、なんとなく素直に同意できず、思わず口がモゴモゴ動いてしまう。

たぶん、好きとか嫌いとか、愛情とかどうとか言われると面映いんですね。でも、ぼくがタモリさんや村上春樹さんや武田百合子や伊丹十三に〈特別な注意を払っている〉のは間違いないことです。つまりそれは愛情といえるのかもしれません。思いの外、ストンと腑に落ちたので、今後はもうモゴモゴしないですみそうです。


1月19日(水) 衝撃的〜〜(シューペイ)

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The RAH Bandのことをふと調べていて、バンドの主であるRichard A Hewsonが、ジグソーの「SKY HIGH」を編曲していたことを知りました。ぼくだけでなく、ぼくが常盤響さんとやってたDJユニット、TMVGのことを知っててくださる方ならけっこう衝撃の事実でしょう。あー、びっくりした。


1月19日(木) Village People

深夜、ジョー・バイデンの大統領就任式をCNNで観ている。コロナ禍の影響はもとより、2週間前に発生した襲撃事件の余韻もあって、議事堂周辺は閑散とした雰囲気。まるで僻地の村の集会のようだ。

クリントン、ブッシュ、オバマ夫妻といったVIPも顔を揃え、ノーサイドで歓談する様子は微笑ましい。でも、こういう呉越同舟を良しとしない人たちも多いはずである。たとえば『アヴェンジャーズ』を見に行って、エンドロールでキャプテン・アメリカとサノスが肩を組んで歌い踊るシーンなんて見たくない、と考える人は少なくないだろう。

でも、政治の世界というのは強烈なムラ社会であり、異物が歓迎される場所ではない。だからこそ、どの国でも2世、3世の政治家があたりまえ、そうでなければカバン持ちから───という歌舞伎のような世襲制がいまだにまかりとおっている。まあ、良くも悪くもトランプという男は、自分をデウス・エクス・マキナのような存在に見せ、その予定調和を壊そうとしたのだろうし、それを歓迎する人たちが予想以上に大勢いたわけだ。*1

*1 トランプが使った手もポーカーでいう"ブラフ"だったと思うし、陰謀論者がその空間の中心にあると主張している存在も、チュパカブラや河童や幽霊のたぐいだとぼくは考えている。

しかし、トランプは壊し屋にすぎず、そのあと彼が建設しようとした新しいムラのビジョンはあまりに途方もなかった。経済や移民問題なら、アメリカを偉大に!の掛け声ひとつで乗り切れたかもしれないが、今回のパンデミックのような、専門家たちでさえ意見が割れるくらい複雑な問題が起きたとき、彼にそれを解決する知恵はなかった。結局、仲間たちさえついていけなくなり、次々とムラを去っていったし、残ろうとした者さえ彼が追い出した。結局、あとに残ったのは傷だらけで空っぽの空間だけだった。

ともあれ彼自身も村を去った。今日、議事堂のテラスに集っているムラの住人たちが、ふたたび総出で傷んだ箇所の補修をはじめ、早晩、元の状態に戻してしまうだろう。

今回の式典でいちばん心に残ったのは、レディ・ガガ、ジェニファー・ロペス、ガース・ブルックスといった有名な歌手たちや、鮮やかな黄色のコート(プラダ)姿を身に纏った22歳の若き詩人アマンダ・ゴーマンや、"郵便局に並んでいるおじいさんファッション"のバーニー・サンダースでもなく、バイデンの演説の最後の部分だった。

いつかあなたが助けを必要とするときもあれば、あなたがたから手を貸してほしいと我々が呼ばれるときもある。それがお互いにあるべき姿だ。我々がこうした振る舞いをできるようになれば、我々の国はより強くなる。より繁栄し、より未来志向になる。私の仲間、米国人たちよ。我々の今後の仕事では、互いを必要としあうだろう。我々はこの暗い冬を耐え抜くために我々のすべての力を必要としている。我々は新型コロナウイルスとの戦いにおいて、最も厳しく命懸けとなり得る時期に突入している。我々は政治的な動きをやめ、このパンデミックに対して1つの国として向き合わなければいけない。私は約束する。聖書に書いてあるように、夜はよもすがら泣き、悲しんでも、朝とともに喜びがくるのだ。我々は一緒にやり遂げるのだ。

政治的リーダーがこういう一大事に示すすべきことは、結局〈ナラティヴ〉なんだよね。

いっぽうこれが我が国の首相の所信表明演説です。何だ、この差は。


1月20日(金) Good-Bye, Foggy Glasses

マスク生活で悩ましいのが、メガネのレンズの曇り。

ラーメン屋に入る。レンズ曇る。券売機のボタンが見えない。メガネ外してレンズ拭く。メガネかける。券売機見る。もう曇って見えない───毎日こんなことの繰り返しでうんざりします。

そこで、眼鏡生活40年目にして、これまで一度も買ったことなかった曇り止めをとうとう買いに行きました。眼鏡屋さん(メガネの三城)に飛び込むと(もちろんレンズを真っ白に曇らせながら)、シートタイプ、クロスタイプ、直接レンズに液体を塗布するタイプやジェルなど、さまざまなバリエーションの商品を案内してくれました。最終的にスプレータイプを選んだのですが、お会計してる間、別の店員さんがたまたまその日かけていた、Zoffの安物眼鏡を調整してくれることになったのです。

いわゆる〈眼鏡屋さんあるある〉なんだけど、他店で買った眼鏡だろうが、嫌がらず、ほんとうに丁寧に調整してくれるんですよね、どの店でも。今日の店員さんも短時間でピカピカに磨き上げてくれたのですが、ドッキリじゃないかと思うくらい、誰がどう見ても一目瞭然のカツラをかぶっていて、気が気じゃありませんでした。

帰宅後「ひょっとして〈眼鏡が曇る〉っていうテーマで曲を書いてるやつがいるんじゃないか?」とひらめいて検索してみたところ、こんな曲を発見。ニューヨークで活動しているAidenというアーティストが昨年11月にリリースした『Houses』というEPからの1曲です。その名も「Why Are My Glasses So Foggy〈なんで俺の眼鏡はこんなに曇るのよ〉」。

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Aidenさんの素性はまったくわかりません。2ヶ月くらい前にアップされていたこの曲も、YouTubeの再生回数は約20回。Soundcloudにいたっては再生回数わずか2回。そのうち1回はぼくの分です。でも、曲はいいんです。ジャケットの絵(写真?)も好みです。見つけた自分をわりと褒めたいです。


1月21日(土) 再考最高

昨年4月にこのnoteをスタートさせるとき、さしあたって思いついたタイトルが"THINK TWICE"でした。

THINK TWICEとは、なにか事を始める前にもういちど慎重に考えなさい、という注意喚起のニュアンスが強い言葉です。ただ、ぼくぐらい経験豊かなシブい大人になると、慎重さが別の後悔の種になることもよく知っています。いざ事を起こすと、自分の狭い了見だけでは、2回考えようが、2万回考えようが想像も及ばないくらい、不思議な結果になることもよくあるからです。だから2回くらい考えたら十分というか、直感的に足を前に出しちゃったほうが面白い結末が待ってたりしますね。

で、この言葉をひらめいた瞬間、これから始めたいことのイメージにピッタリだな、と思ったので、実際、他の候補はありませんでした。つまり2度考えたりしなかった(笑)。

歌のテーマやタイトルにも"THINK TWICE"はしばしば登場します。今度"THINK TWICE"という言葉にちなんだ楽曲を集めて、Podcastで紹介するのも楽しそうですね。例えば、こんな曲とか。


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