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8月30日(月) THE DEATH OF SUPER APE

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リー・スクラッチ・ペリーが、ジャマイカ北西部にあるルーシーという小さな港町の病院で亡くなったとのこと。死因は不明で、享年85歳。

ジャマイカの首相をはじめ、さまざまな音楽家たち、そして、世界中の放送局や新聞社も訃報を配信して、彼の功績を讃えていますが、日本の大手メディアからの発信は皆無。


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リー・スクラッチ・ペリーがどう偉大だったか語るには、ぼくの知識はあまりに不足している。でも、レコーディング・スタジオを単に音を録るための空間としてだけではなく、既成概念にとらわれない録音法の実践、あるいはミキシングや加工といったプロセスをとおして、ある種の〈楽器〉のように用いて、新しい音楽を産み出した人であり、スタジオそのものが彼のオリジナリティやクリエイティビィティを具現化する空間だった───というのが、ぼくの認識かな。*1

*1 リー・ペリー以前、もしくは同時代に、たとえば、ジョー・ミークやフィル・スペクターなど、革新的なレコーディング方法やミキシングによって新しいサウンドを作った人たちとか、レス・ポールのように楽器や録音機材まで発明してしまう人たちはいましたし、実験音楽のフィールドにもたくさんの例は挙げられます。またレコーディングにPCが使われるようになって以降、ジャンルを問わずこうしたスタイルの音楽制作は常識になりました。

数々の伝説的名作を産み出したジャマイカのスタジオ(Black Ark Studio)を1978年に焼失(=機材の誤配線が元で漏電)したペリー。スイス人女性と結婚して、かの地に移住した彼は、ジュネーブに再建した自宅スタジオ(Blue Ark Studio)を2015年に全焼(=ろうそくの消し忘れ)させてしまいます。

村上春樹の小説ではないけれど、小屋を燃やしては立ち直る───ふつうの人生なら一度あったら充分な失敗を二度も経験したわけです。

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今から25年前(!)───1996年1月末のことですが、ビースティ・ボーイズの来日公演(@神奈川・とどろきアリーナ)にリー・ペリーも帯同して、パフォーマンスしました。

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ビースティが立ち上げたレーベル「グランド・ロイヤル」のお披露目のようなイヴェントでした。ビースティはアルバム制作は置いといて、雑誌『グランド・ロイヤル・マガジン』の創刊、チベタンフリーダムコンサートの主宰、またビースティ周辺のブランド「X-LARGE」や「X-GIRL」「MILK FED」など、活動の触手を広範囲に伸ばしていた時期で、ライヴ会場にもその手のストリートウェアに身を固めた連中がワッサワッサと結集してました。

バスケットボールのコートが2面も取れるだだっぴろいフロア。観客は5,000人。オールスタンディングだったので、前方はかなりの密でしたが、後方はけっこう大きな空間があって、ぼくはその際(きわ)あたりに立っていました。

開演時間になって、最初に現れたのがベン・リー。彼の登場は告知されてなかったんだけど、弾き語りでパフォーマンスを披露しました。

そのあと、トレードマークの奇矯なファッションでリー・ペリーが現れました。DJがカラオケを流すスタイルのライヴだったはずです。

たぶん、ビースティとしては前座というイメージじゃなく、フェスのような感覚でリー・ペリーに持ち時間を与えてたんでしょう。1時間以上はたっぷり歌ってたので。最初は歓声を上げていた若いB-BOY、スケーター系の客がしびれを切らしだし、大声で「ビースティ・ボーイズ! ビースティ・ボーイズ!」と煽りはじめました。みんな30分くらいで終わるものと思って、前の方を陣取っていたんだろうし、まあ、致し方ないかな……という気持ちも湧いたのですが、実はそのときぼくはライヴどころじゃなかったんです。

リー・ペリーの出番が始まって程なく、自分の真横にマイク・Dが立っていることに気づいたのです。そのせいで完全に気もそぞろになっちゃった(笑)。客席からの煽りが始まり、それを目にしたマイクが苦虫を噛み潰したような表情で、首を振りながら楽屋方面に消えていくところも目撃しました。寂しそうな彼の背中を見送るよりなかったぼくは「いやいや、俺は楽しんでるよ、マイク! あいつらがわかってないだけ!」と言いたかったんだけど、残念ながら声は出なかった。やれやれ。

その後、エイドリアン・シャーウッドやマッド・プロフェッサーと来日した公演も見に行ったんだけど、耳なじみのあるヒット曲を一緒に合唱するような楽しさではなく、彼の存在をありのまま受け入れ、歌詞や言葉はまったくわからないけれど、耳を傾け、彼の姿を拝むだけで伝わってくるもの───レゲエとは、ラスタファリズムとはなんぞや───なんてことはつゆほども理解していないぼくでも理解る楽しさと尊さに溢れていて、世界各地に大昔から存在している原始的な祭りとか儀礼に近いものでした。また、そんなふうに観客を納得させ、満足させられるアーティストなんてそうそういるもんじゃないだろうし、リー・ペリーは確実にそのひとりだったと思います。

とどろきでのライヴから2年後。1998年にリリースされたアルバム『Hello Nasty』に収録されたリー・ペリーとの共作曲「Dr.Lee, Phd」。

"Phd"とは"Doctor of Philosophy"の略。直訳だと哲学博士ってことになりますが、哲学だけでなく、宗教、法律、医学、人文などの分野でもらえる博士号のことです。リー・ペリーに与える称号としてはぴったりだね。


9月4日(土) ワクチン、その後。

左の腋の下に痛みがある。じっとしてれば気にならないんだけど、ソファから立ち上がる時、腕で身体を持ち上げようとしたり、冷蔵庫のドアを引っ張ったりするとズキンとくる。かと言って、熱をもってたり、腫れたりしている様子も無い。五十肩かな? とも思ったんだけど、腕を回しにくいとか、上がらないというわけでもない。

ひょっとして? と思って調べたら、ワクチンの副反応でそういうケースがあるみたい。ある乳腺系の病院の院長が書かれたブログによるとこんな感じ。

接種部位の疼痛が消えた後の1週間ぐらいから腋窩の痛みや腫れがでるようです。(中略)mRNA注入で体内で自己作成されたウイルスの部品(スパイクタンパク)を異物として認識し抗体が作られていきます。その抗体を作る細胞たちが集結する前線基地として腋窩リンパ節が使われるため、リンパ節が反応し腫大する際に、腋窩の痛みや腫れを自覚するようです。

https://nawaclinic.com/wp/?p=282

病院に行っても経過観察になっちゃうそうだし、時間の経過とともに薄れていくようなので、しばらくはがまんしてみよう。急な高熱が出たり、倦怠感に襲われて寝込んだり───なんてことはいっさいなかったけれど、副反応にもいろいろヴァリエーションがあるね。


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水本アキラ
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