THINK TWICE 20201227-20210102
12月27日(日) はかない
2020年も今日を入れて残り5日。なんだか儚すぎますね。
今日も時間を見つけて『富士日記』本の執筆を進めていました。たぶん残り数ページってところ。でも、自分と一緒に『富士日記』の世界を長らく旅してくれた読者に「ああ終わってしまった、また続きが読みたいな」と思ってもらえるような読後感を与えたいし、それにふさわしい価値のある言葉を見つけたい。だからここ数日はちょっと掘り進んでは手を止めて、少し離れたところから原稿を眺め、掘りすぎたところを埋め戻したり、またノミや鉋で削り足りないところに手を加えたり───と、そういうふうに書いています。
さて、ベスト20をまとめてからも、ちょこちょこ良いシングルやアルバムが発表されていて、こないだ紹介したばかりのorchid mantisも、2014年から今年までの6年間に作ったデモ作品や曲の断片、ライヴ・テイクなどをまとめたフリーダウンロードのアルバムを昨日突然リリース。嬉しい悲鳴。
タイトルの"Ephemera"は初めて目にする単語でした。〈エフェメラ〉と読み、通常はコレクションの対象とみなされない、普通の人ならあっさり捨ててしまうような雑紙───たとえば包装紙、チラシ、ラベルといったものを蒐集することを指す。ラテン語ではカゲロウのような儚い生き物を意味するそうなので、このアルバムのサウンドやコンセプトに実にぴったり。
12月27日(日) 恋のメキシカンロック
Netflixで配信が開始されたばかりのリミテッドシリーズ『魂の解放:ラテンアメリカのロック史』を視聴開始───と言っても、まだ初回を観ただけなんだけど、知らないこと、知らない人、知らないバンドがたくさん出てきて、ほんとに興味深いです。
流れとしては、日本も含めた世界中で起きていた現象と同じく、おおまかに言えば、まず50年代の終わり頃にブルーズやリズム&ブルーズに影響を受けた人たちが出現し、次にリッチー・ヴァランスやバディ・ホリー、チャック・ベリーやリトル・リチャード、そしてエルヴィス・プレスリーに影響を受ける人たちが出てきて、60年代に入るとビートルズやストーンズを模倣したバンドが登場し、その後、ディランに刺激されたフォークシンガーたちが誕生する───概ねこういうことがメキシコ、アルゼンチン、チリ、ウルグアイなどのラテンアメリカ諸国でも、その国独自の音楽文化を巻き込みながら発生したわけです。
しかし、その頃、中南米の国々で何が起きていたかといえば、独裁政権の武力による民衆への弾圧だったわけですね。このあたりのことは、同じくNetflixの資本でアルフォンソ・キュアロンが撮った自伝的映画『ROMA』でも1971年にメキシコで起きた〈コーパスクリスティの虐殺〉が描かれていました。
当然のことながら、音楽家たちもそうした為政者に対して、ロックンロールを武器に反抗するんだけど、果たしてどうだったか───というところが第一回のテーマでした。
もちろん60年代から70年代にかけて、日本でも大きな政治的うねりが起きました。亡くなった人も警官、デモ隊の双方にいた。しかし、自衛隊が出てきて、市民に直接発砲をしたり、捕らえた学生を非合法に拷問するようなことはありませんでした。『魂の解放〜』で、あるメキシコのミュージシャンが当時を振り返って、こういうことを呟くんですね。「うるさいやつを黙らせる一番簡単な方法は殺してしまうことだからね」と。寝っ転がって見ていたぼくも気がつけば正座していました。
12月28日(火) カルチャー・コンビニエンス・クラブ
そういえば、今年もTSUTAYAのレンタル会員を更新しました。いつもこの時期が来るたびにけっこう悩むんですけどね。娯楽として観るだけならNetflixやアマプラで充分なんだけど、更新料も少額(300円)だし、年に2、3回、仕事絡みでどうしてもすぐ見なきゃいけない作品が出てくることもあって、結局、手続きしてしまうのです。
上掲のブログ(同じ方がやってます)で、TSUTAYAの閉店/開店情報が詳しく触れられていて、いつも興味深く読んでいるのですが、わが町はもともと高知の大手スーパー〈サニーマート〉が運営する〈BOOKS WILL〉というレンタルビデオチェーンが1985年にできました。それがいつのまにかTSUTAYAのフランチャイズ店に取って代わり、今も複数の会社が運営する店舗が市内とその周辺だけで12店舗も残っています。
人口120万人の広島市でさえ現存するのは10店舗ほどです。50万人都市にしてはたくさん残っていますよね。違う会社がやってるのに、松山市内の店舗で借りた商品なら、他のどの店にでも返却できるサーヴィスがあったりして、なかなか使い勝手もよいのです。
とはいえ、ディスクそのものをわざわざ貸し借りする商売が今後もこの規模で永久に続くとは思えません。でも、一時代を築いたレンタルビデオという業態が日本から完全に無くなるという状況もイメージしにくい。なにせ日本はガラパゴスであり、マダガスカルでもあります。希少な動植物のように、希少ビジネスの楽園になる可能性が充分あるんじゃないかと。
たとえば福祉や介護と組み合わせるのはどうだろう。TSUTAYAが運営する特養ホームとか。豊富過ぎるDVDライブラリー、賛否両論だったTSUTAYA図書館もここにくっつけて、家電類はすべて蔦屋家電のもの。敷地内にスタバも作って、地元住民との交流の場に……って、けっこういいかも。
12月30日 わびさびを読み解く
宇宙は消滅する一方で生成もする。新しい物は無から生じる。しかし、われわれの通り一遍のぞんざいな観察を通してでは、それが生成モードにあるか、消滅モードにあるかを断ずることができない。もし、われわれが違いを判別しなければ、生まれたばかり男の子の赤ん坊───小さくしわくちゃで、体を曲げ、すこしグロテスクな見かけ───を死の淵に立つひどく年老いた男と見間違えるかもしれない。わびさびの表現においては、多分に
恣意的ではあるが、消滅のダイナミクスはほとんどの場合少し暗く、暖味で、静寂なものの中に表れる傾向にある。生成しているものは少し明るく、輝きがあり、明快で、若干目に止まりやすい。そして(西洋圏においては何もない空間である)無は可能性に満ち溢れている。形而上学的な表現で言えばわびさびは、宇宙が潜在的可能性に近づいたり遠ざかったりして常に動いていることを伝えている。(レナード・コーエン『わびさびを読み解く』)
なにかにつけて今年は《順行と逆行》について考えてきたように思います。今、大富豪の「革命」のようなことが起きていて───つまり最先端が最後尾に、最後尾が最先端に入れ替わっているとしたら───なんだかちょっとワクワクしませんか?
12月31日(木) THE 大晦日
午前中、アマゾンに注文していたロードバイク用のサドルが届く。昼は近所でラーギョ(ラーメン&餃子)。そのあと8kmウォーキング。カメラ屋に立ち寄って、注文していた単焦点レンズを購入。母親が毎年作ってくれるおせちを父が宅配してくれるので自宅に戻って受け取った後、温泉へ。温泉内の食堂で年越し蕎麦……ならぬ、年越しきしめん。帰宅後にサドルの取り付けとレンズの試し撮り。どちらも悪くない。そして今、こたつに入って《ガキ使》が始まったところ。こうして大つごもりは平和に過ぎていく───。
1月1日(金) THE 元日
深夜までPodcastの作業をしてたので、ドイツからの荷物(レコード)を郵便屋さんが届けてくれた昼前に起床。新品を注文したのに、箱から取り出したらジャケットが破れてた。面倒だけどドイツ宛にクレームのメール。おせちをつつきつつ、録画していた年末年始の特番───紅白、ガキ使、爆笑ヒットパレードなどをひととおりチェック。どれもあまりにひどくて、それが逆におもしろいくらい。無観客、感染対策……たしかに昨年には無かった障害があったとはいえ、少なくともテレビの現場は半年以上そういう状態だった。そうでなくてもマンネリ化した番組ばかり。ガラッと大きく変えるチャンスなのに、相変わらず三山ひろしがけん玉してるし、石川さゆりは天城越えだし(次の紅白は津軽海峡冬景色のターン)、浜ちゃんはおかっぱのカツラだし、蝶野はビンタしてるし、テレビ離れした若者たちはおろか、テレビ買い替えたて50代おじさん(ぼく)まで呆れるばかりなのは、ある意味、感慨深かったです。ということで。ジョニーが書き換えてくれたおかげで配信が前倒しになった『コブラ会』シーズン3を心置きなく見始めました。
1月2日(土) Midafternoon Bowlers
正月らしいことをたまにはやろうかな、と思って、初詣のあと、友だちとボーリングしてきました。おそらく20年近く行ってなかったんじゃないかな。スコア的にはひどいものだったけど、やってるうちに時を戻せて、4ゲーム目には2回もダブル取れたから悪くないだろう。またすぐ行くつもりです。