青木達之さんの思い出。
ぼくが生まれて初めて行なったインタビュー仕事が、青木達之+竹中直人さんでした(バアフアウト1997年6月号掲載)。竹中さんとスカパラの音楽バラエティ番組『デカメロン』(TBS)の番宣にかこつけた、笑いと音楽をテーマにしたインタビューで、ぼくは待ち合わせの時間より少し早く家を出て、新宿のヨドバシカメラでテレコとカセットテープと電池を買い、取材先のTBSへ向かいました(早めに準備しておけよ、27歳の俺)。
竹中さんはちょうど大河ドラマで『秀吉』の主演を終えたばかり。ご本人はともかく、まわりのスタッフが醸すピリピリした空気を察して、青木さんが率先してやわらかいムードを作ってくださったことが、今でも忘れられません。
青木さんも竹中さんも、いわゆるプロになるための修行とは違う流れで芸能界に飛び込んだ人たちです。竹中さんはそういう場所からスタートして、芸能界の王道を進んでいけることを証明していたし、青木さんも社会人(講談社の編集者)との二足のわらじから始めた東京スカパラダイスオーケストラを、創始者だったASA-CHANGの脱退やクリーンヘッド・ギムラの夭折などを乗り越えて、誰もが知る人気バンドに押し上げ、小沢くんやキョンキョン等との仕事をとおして、クラブシーンとポップスの垣根を壊し、幅を広げた立役者です。
そんなふたりの胸を借りて、当時まだ中古レコード屋のスタッフだったぼくが、単なるライターとしてデビューしただけでなく、当時、バアフのデザイナーをしていた岡田崇くんとのコンビで、物凄く密度の濃いページを作ることができ、編集の面白さに味をしめ、これ以降の自分の仕事に対する方向性が定まったのは間違いありません。
竹中さんには約10年前、ナチュラル・ファウンデーション主催のイヴェントでご一緒する機会があり、その日のお礼を直接伝えることができたのですが、青木さんにはその後、一度もお会いすることができないままでした。
あの日がなければ、きっと今のぼくの人生はずいぶん違う形になっていたと思います。きょう25年目の命日を迎えた天国の青木さんに、この場を借りて感謝を伝えられればと思います。青木さん、貴重な機会とお心遣い、ほんとうにありがとうございました。いつまでも安らかにお眠りください。
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