[ヴァン・ダイク・パークス "ディスカヴァー・アメリカ"を勉強する] FDR inTrinidad (4)
奴らか?俺たちか?
1971年、アメリカ国防総省からある極秘書類がひそかに持ち出され、ニューヨーク・ポストとワシントン・ポストにリークされた。アメリカ政府による長年にわたる隠蔽工作が2紙の報道によって国民へ詳らかになり、その書類は「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれた。
ペンタゴン・ペーパーズには1945年から1967年までの、アメリカとベトナムの関係が詳細に記録されていた。そこにはベトナム戦争へのアメリカの関与が、国民に伝えられていたよりもはるかに根深く、かつ失敗に終わる可能性が高いことが示唆されていた。
ルーズベルトが大統領だった頃のベトナム(フランス領インドシナ時代)からの記録が「ペンタゴン・ペーパーズ」には残っていたが、ルーズベルトの時代は権力者に都合よくあらゆる情報が統制できた。地面に落としたハンカチを拾うために腰をかがめることもできない、重いハンディキャップさえ、何十年も秘匿できたのは、メディアの忖度の力のおかげばかりではないだろう。
やがて、公民権運動や反戦運動が盛り上がり、カウンターカルチャーの風がアメリカに吹きはじめると、大統領や合衆国政府に対する猜疑心は日に日に高まっていった。隠匿されていた秘密が次々と漏れ出し、『ディスカヴァー・アメリカ』の発売翌月には、かの有名な「ウォーターゲート事件」が起きて、ニクソンが大統領の職を辞した。
戦争と残虐行為を止めるため/民主主義のため/世界の安全をもたらすため/尊厳を迫害されている人々のため……トリニダードの人々を魅了したルーズベルトの〝かの有名な笑顔〟の裏にも、大国の思惑や資本家の利益のために設計された、壮大かつ巧妙な計画が組み込まれていた。
強者はやすやすと世論を誘導し、これまで手酷く扱ってきた弱者にさえ好感を抱かせようとする。そして、新しい利潤のために善き隣人のような顔つきで彼らの肩に手を回す───だが、これはアメリカとトリニダードだけの問題でもないし、ましてや昔話でもない。
ナチスの宣伝相だったゲッベルスは「戦時下において、ラジオは国民に真実を伝える道具ではなく国民を再教育する道具」であり「嘘を何度も繰り返せば、やがて真実として伝わる」と発言した。
先に紹介した演説〝庶民の世紀〟でヘンリー・A・ウォレスはこう言っている。
民衆煽動家たちが跋扈するSNSを眺めていると、どれだけの時が経ち、さまざまな経験を積もうとも、人類はすすんで奴隷化への道を歩んでいるのではないか、と思えてならない。
中村とうようは『ディスカヴァー・アメリカ』のライナーノーツでこう指摘している。
中村の考察とぼくの考えはやや違う。
「FDR in Trinidad」が作られた1930年代のトリニダードは、まだ〝国民が自らの考えに基づいて、自らを統治する経験を長く積んでいない〟地域の代表格だったはず。庶民(The Common Man)がルーズベルトの訪問で感じた喜びも屈託ないもので、それを素直にカリプソにしたのだと思う。
しかし、この歌が発表されてから数年後の1941年、米軍基地がチャガラマスに誕生し、1万人もの米兵がトリニダードに駐留する。それ以降、アメリカ経済や文化からの影響が自らの生活圏にじかに入り込んでくると、アメリカに対する〝アンビヴァランス〟な思いを強く滲ませたカリプソがたくさん歌われるようになる。
もちろん、ヴァン・ダイク・パークスやライ・クーダーがこの曲を70年代に蘇らせた理由については中村と同感だ。
アメリカ政府が発信した〝善き隣人〟というメッセージが、為政者の欺瞞に満ちたものだったことが晒されて、この歌の持つ意味は一変した。ヴァン・ダイク・パークスやライの「FDR in Trinidad」は、為政者に対して、皮肉や風刺で致命的な打撃を加えたカリプソニアン、あるいはカリプソのルーツである西アフリカのグリオが持っていた批評性を継承しようとする作品なのだ。
ただ、どれほど批評的な歌を耳にしようとも、人間が〝奴隷的世界〟に歩み寄ってしまうのはなぜだろうか。マザーズ・オブ・インヴェンショ《32》のリーダーだったフランク・ザッパがこんな指摘をしている。
そして、ザッパは政治家だけでなく、庶民の側に釘を刺すことも忘れない。
舌鋒鋭く権力を批判し、運良く相手を打ち負かせたとしても、そのあと鏡に映っているのは返り血を浴びた自分たちの姿なのである。