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THINK TWICE 20210411-0417
4月11日(日) 極私的に対する極私的意見。
村上“ポンタ”秀一さんとの思い出を語ったインタビュー(文春オンライン)と、サンデーソングブック「極私的 村上"ポンタ"秀一 追悼 Part 1」がきょう相次いで公開(放送)され、どちらも興味深く読み(聞き)ました。
特に文春のインタビューは達郎さんらしい直言(「排他性」「向こうは忘れてるかもしれないけど、こっちはよく覚えている」「掌を返すように態度を変えてくる人間が少なくない」)が満載でヒリヒリしました(笑)。
「キャラメル・ママ、ティン・パン・アレー、サディスティックス。ベビーブーマーの中からあの一群が、突然変異みたいな超絶テクニックを携えて出てきた。後にも先にもあんな現象ってないですよ。不良性がない代わりに、お坊っちゃん然とした独特の排他性を備えていて……。松本隆さんなんかもそうだよね」
「そこには上手い下手の差というのも歴然とあって。日本青年館だったかな、シュガー・ベイブでティン・パンの前座をやった時、演奏が終わって(ライヴ音源の)カセットをもらいに行ったら、PAのスタッフから『お前ら下手だから録ってねえよ』と言われたことがあった。そんなのが日常茶飯事だったんです。向こうは忘れてるかもしれないけど、こっちはよく覚えている(笑)」
「ポンタにはそういうところが一切なかったんです。テクニシャンだけど受容度が高い。死ぬまで後輩の面倒を見ていたし、本当に優しいやつだった。初めて会った頃なんて、言うなれば僕は一介のコーラス・ボーイですよ。でもポンタの場合、そういうところでの別け隔てがなかった。(中略)この業界、こちらが何者かわかった途端に、掌を返すように態度を変えてくる人間が少なくないんですよ。ポンタにはそういう裏表が一切なかった」
ところで〈極私的〉は辞書に載ってる言葉ではありません。きわめて私的であること、つまり、超個人的という意味ですけど、ぼくもよく使ってしまうし、メディアでも頻繁に目にします。いったい誰が発明したんでしょう?
まず思い出すのは、原一男監督のドキュメンタリー映画『極私的エロス 恋歌1974』。政治運動が盛んだった当時のことを考えれば〈極右〉〈極左〉といった言葉から〈極私〉というキーワードが導き出され、タイトルとして採用されたのでは……と想像していました。
でも、この映画以前に〈極私〉という言葉があったのかもしれないし、なかったかもしれない。この疑問には、監督自身がホームページに掲載している文章で回答が見つかりました。
原一男「疾走プロダクションの“疾走”はどこからきたのか?」*1
「さようならCP *2」が完成に近づいたとき、「何か、看板みたいなものは必要だよなあ。何かカッコいい名前はないかなあ?」と二人(原と小林 *3)で相談。色々、案が出たがイマイチ、これだ、というものがない。その時、「“疾走”というのは、どう?」と小林が提案。
「吉増剛造さんという詩人に「疾走詩篇」という詩がある。彼は、颯爽と“疾走しながら詩を書く!”と宣言。それなら自分たちは“疾走しながら映画を作ろう!と。この“疾走”という語感が、70年代に映画を作り始めた自分たちの感覚にピッタリだと感じた私も、即座に賛成。そういう経緯で、決定した次第。
ちなみに、「極私的エロス・恋歌1974」の場合は、鈴木志郎康さんが「極私的プアプア詩」ということを主張されていた。その“極私的”という語を気にいった小林が提案し、私が共鳴。鈴木志郎康さんに直接お目にかかってタイトルに使用することを了承していただいた。
*1:原監督の映像プロダクション名。
*2:1972年に発表された原一夫のデビュー作。
*3:小林───原監督の妻、小林佐智子。
たまたま〈極私的〉という言葉のルーツを探したら、ちょうど先週noteで触れたばかりの吉増剛造さんにまで繋がるところがおそろしい。
鈴木志郎康さんは、東京造形大学時代に映像を教えていただいた、かわなかのぶひろ先生(イメージフォーラムの創立者)の盟友で、大学1年生のとき、イメージフォーラムのイヴェントをお手伝いした折、映画館(渋谷のシードホールでした)のロビーで、かわなか先生と鈴木さんが談笑されている隣に突っ立っていたことがあります(笑)。
鈴木さんは武道の達人というか、百戦錬磨のベテラン医師といった雰囲気の、生活感をまるで感じさせない超然とした方で、まさしく”ライフ・オブ・アート”というか、これまでの人生でこんなタイプの人には会ったことがない、と若いぼくにも思わせる雰囲気の人物でした。
原一男さんや達郎さんが使う〈極私〉という言葉には、なんぴとの意見も寄せつけない、主観をとことんまで研ぎ澄ませた、ある種、攻撃的な空気を感じます。もちろんそれはそれですごくかっこいいんだけど、自分が真似するのはとてもじゃないけど無理。いっぽうオリジネーターである鈴木さんが醸していた飄々とした空気感の〈極私〉はしっくりくるんですよね。柔軟ゆえにしなやかで曲がらない私……というのはぼくの目指すところなので。
4月12日(月) 極私的おしごと。
一部のみなさんにたいへんお待たせしていた『ゆりこたいじゅんはな』の続刊。ようやく目鼻がつきました。
本来ならば、去年の今頃には発売しているつもりで、昨年の2月くらいかな、いちど脱稿していたのですが、コロナ禍の直撃を受けて、出版後に考えていたトークツアーなどの予定をすべてバラさなくてはならなくなりました。
そうこうしてるうち、第一巻が手持ち分も店頭在庫分も売り切れてしまったので、既発の1巻、そして書き下ろした2巻を合本にすることに決めました。
2巻は1巻よりややページ数を減らし、少しだけお求めやすい値段にするつもりだったので、『富士日記』上巻を100ページ分くらい残して書き終えていたんです。でも、合本というアイディアを思いついた時点で、上巻分の残りを全て書き下ろすことに方針転換。ステイホーム期間を有効活用し、残り数ページというところまで書き進めました───が、煮詰まっちゃった。
というのも、上巻分は書けたとしても、中巻、下巻と、今後、順調に出版していけるかはわからない。正直、他にもやりたいコンテンツ、書いてみたいテーマはたくさんありますし、そっちを優先すれば、おそらくまた何年も手を離すかもしれない。とすると、一冊の本としてだけでなく、プロジェクト全体のまとめとしても読めるような文章にしたい、と考えたんですね。少し肩の力が入っちゃった分、昨年末くらいから原稿は遅々として進みませんでした。
自分が言いたいこと/書いておきたいことをとりあえず3つの大きなブロックとして書き、他にパーツで使えそうな文章の断片を細々と書きつけて、ときどきそのメモを開いては、ブロックひとつひとつを点検し、言葉を削ったり、溶かしたり、他の言葉に入れ替えたり、『富士日記』とか別の百合子の著書を何度も読み直してヒントを探したり───そのブロック同士が有機的に繋がっていくようなアイディアを見つける作業を続けていたわけです。
それがようやく絶妙なバランスでくっついて、なんとか〈書き上げた〉という状態に落ち着いた。
で、これから週末まで全ページをもう一回通しで読みながら、あちこちのネジを締めたり、ペンチで引っこ抜いたり、トンカチで叩いて形を整え直したりして、いったん紙に出力。今度はそれを読みながら、赤ペン片手に再度修正していく───こういうアナログな推敲作業をやります。
というわけで、これから2、3日はnoteを書く余裕は無さそう。ちょっとだけドロンします。
4月16日(金) THINK TWICE RADIO VOL.16
THINK TWICE RADIO VOL.16 - 棚から女性をわしづかみ特集 -
[TRACK LIST]
Elah Hale - foolish
Babeheaven -Craziest Things
TOPS - I Feel Alive
Mocky featuring Liliana Andrade - Feeling Like I Like
Bachelor - Anything At All
Palehound - How Long
Mia Joy - See Us
SOFY - Second Thoughts
Marina Allen- Oh, Louise
Steady Holiday- Repeat
Steady Holiday- Holiday
番組のトークで触れたSteady HolidayさんのTiny Desk Concert Meets SXSWでのライブ動画はこちらです。
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![水本アキラ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/4983518/profile_eddd8f7fa1c5c7be8694bcb78bcfcbf4.jpg?width=600&crop=1:1,smart)