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THINK TWICE 20201004-1010

10月7日(水) 過小評価されてると思う私的に最高な邦楽アルバム10選について知っていること。

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#過小評価されてると思う私的に最高な邦楽アルバム10選 というハッシュタグがTwitterで流れてきたので、しばらく見入ってしまいました。

さっそくぼくなりに分析したところ、ツイートしている人のハッシュタグの捉え方にはいくつかパターンがあり、大きく分類すると───

①そもそも全然売れてなくて評価が少ない
②そこそこ売れてるはずなのに評価が充分でない
③サザンや宇多田ヒカルなど有名アーティストの作品なので売れてはいるけれど、評価はそこまで高くない

以上、3つ。もっと細かく分けることもできそうですが、おおまかにはこの3パターンかな、と。

90年代初頭の───いわゆるCDバブルの時代。100万枚はおろか200万枚クラスのメガヒットが連発していたおかげで、莫大な利益がレコード会社にもたらされていました。その"分け前"で良質なアルバムやシングルが世に出ました。それが①から②あたりに多く含まれています。まあ、かんたんに言ってしまえば、渋谷系で括られるアーティストの作品の多くは、浜崎あゆみやミスチルやSMAPやZARDの恩恵無しでは作れなかったでしょうし、ぼく自身もちょうどこのCDバブル末期に、業界の末端になんとなく居場所ができ、彼らにインタビューしたり、プロモーションに関わったり、音楽番組の司会をしたり、リミックスをしたり……と多少なりとも恩恵を受けました。*1

*1 和洋の埋もれていた名盤が山ほど再発されたのもまちがいなくCDバブルの恩恵。

アーティストにも、デザイナーやライター仲間にも、あるいはレコード会社のスタッフにも同世代が多かったし、なんとなくぼくが帰属意識を持っていた業界の片隅のエリアには、大学の軽音楽サークルを思わせる和気藹々としたムードさえ漂っていたように思います。

③に関しては、メジャー系アーティストの初期作とか、有名バンドのメンバーのソロアルバムとかが挙げられます。2000年頃を境に業界全体の勢いが芳しくなくなり、かつてほど宣伝予算も、人的なリソースも使えず、ファン以外の人たちの耳に届きにくくなったことで、〈過小評価〉というフィルターにひっかかるものが増えたんじゃないかな、と。

この時期になるともはや、和気藹々としたサークル的な空気感はどこかに消えてしまい、仲間たちと仕事をする機会もめっきり少なくなりました。100%のエネルギーで応援したくなるアーティストも邦楽のフィールドにはほとんどいなくなり、音楽ライターのような仕事からは意識的にフェードアウトすることにしました。


今回のハッシュタグを追っていく中で、唯一気になったのがこの作品。

ぼくがアルバム『A.M.』を出したのと同じ2002年リリースで、推薦していた人のコメントによれば〈小沢健二の「eclectic」をコーネリアスが編曲したらこんな感じ?を思わせるエッチな音響派R&B〉

ぼくが受けた印象はちょっと違いましたが、たしかにこのハッシュタグにはぴったりの作品でした。*2

*2 今のところぼくの作品を挙げてくれている人は皆無。


10月8日(木) LOVE IS ONLINE

一番上の男性用スマート貞操帯のハッキングに関する記事がTwitterトレンドに入っていて、残りふたつがその関連記事。

ネットに繋がると便利になることも多いですが、お尻の穴をコントロールされるのだけはいやですね。

記事を読みながら、頭の中でなっていたのがキリンジの「Love is Online」。アルバムのサンプル盤が届いて、はじめてこの曲を聴いたあと、感動を伝えたくて、高樹に電話したことを覚えています。

10月8日(木) ニューヨーク公立図書館 エクス・リブリス

配信でレンタル視聴ができるようになっていたので、AppleTVで鑑賞。

救急車を例に取ると、病人や怪我人に対して救急隊員ができることは30年前までは病院まで運び届けるだけでした。90年代にいわゆる〈パラメディック制度〉が整備されたあとも、救命救急士たちは医者の代わりに治療行為をすることはほとんどできません。

ニューヨーク公立図書館が担おうとしている役割は、医者の代わりにメスを握り、救急車のなかで手術さえしてしまう救急隊員のようなもので、非常に型破りです。

彼らは図書館を単なる書庫とみなさず、公共に開かれた場という意義をとことんまで拡大解釈し、子供、老人、あらゆる社会的マイノリティなど、孤立しやすい人々に対するセーフネットとして驚くほど多様な役割を担おうとしています。

図書の貸し出しはもちろん、収集した書籍や資料のアーカイヴ化、市民から持ち込まれる様々な問い合わせへの対応(若い男性司書が「映画監督のヴェルナー・ヘルツォークの厳密な出生地が知りたい」という利用者のリクエストに対して、考えうる調査手順をまたたく間にアレンジする場面は圧巻でした)、コンサート、作家や詩人や音楽家を招いたトークショー、読書会、専門家を招いての市民講座といったイヴェントはもちろん、無料のルーターを貧しくてネット環境を持てない人たちに提供し、英語もままならない外国人向けにパソコン教室を開き、視覚障害者たちに点字を教え、子どもたちには絵本の読み聞かせから基礎的なコンピュータプログラムを学べる講座まで───こりゃいくら予算があっても足りそうにないですね。

何度となく登場する図書館のトップたちの会議のシーンでも、電子書籍の貸し出し問題(紙の書籍を圧倒するほど需要が高い)から図書館をねぐら代わりに使うホームレス対策まで議題は多岐にわたっています。

紙の本か電子書籍か、あるいは貸出数が見込める人気のベストセラーを増やすか研究用の専門書を充実させるか───限られた予算(と言っても年間予算は340億円)をどう配分するか、本の未来は? 10年後の図書館はどうあるべきか? 答えのない戦いに挑む首脳陣。

しかし、若者たちは建物の外で記念撮影に夢中で、館内にその姿はほとんどありません。イヴェントや市民講座の参加者たちは中年から老人が目立ちます。他に印象的だったのは、図書館の利用者たちはほとんど本を読んでおらず、90%くらいの人たちはノートパソコンやタブレットを使って、調べ物をしたり、書きものをしたり、あるいはネットゲームに興じたりしています。

撮影された時期は明確にはわからないのですが、おそらく数年前(2016年頃)でしょう。スタッフたちが取り組んでいた課題はどうクリアされていて、なにがクリアされなかったのか、とても気になります。

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ちなみに映画の副題のエクス・リブリス(Ex Libris)とは、いわゆる蔵書票のことです。厳密にはラテン語で「誰それの蔵書から」という意味。

蔵書票を作る人はほとんどいなくなってしまいましたが、とびきり古い本を古書店で買うと、たまに蔵書票がついたままのものがあります。

たいていは本の見返しに大きめの付箋のように貼り付けられていて、人によっては有名なデザイナーや画家などに頼んだ、手の込んだデザインのものもあります。最近では、畦地梅太郎の展覧会を見に行った時、彼が手掛けた蔵書票が大量に展示してありましたし、芹沢けい介がデザインした蔵書票もどこか別の展覧会で見たことがあります。どれもこれも素敵でした。そういった名のある人たちにお願いした場合、ギャラはいくらくらいで引き受けてもらえていたんでしょうかね。相場がどんなもんだったのか、すごく興味があります。

ずっとクローズしていた図書館は調べてみると、ついに来週(10月13日)から開館するそうです。それにしてもこういう映画を見るとアメリカに行きたくなってしまうなあ。

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