THINK TWICE 20210822-0828
8月22日(日) 永遠と
先日、本屋で人を待っているとき、文庫コーナーで伊藤典夫さんが新たに訳し直されたブラッドベリ『華氏451度』が目に留まり、少しだけ立ち読み。
旧訳(宇野利泰版)を高校生のときに読んで以降、ずいぶん長い間、読み返すこともなかった『華氏451度』。伊藤さんがあとがきで〈妙に腰砕けのかったるい訳文〉と苦言を呈されていたけれど、もはやそんな記憶さえ無く、日本語が堅くてとにかく読みづらかったという印象だけ残っています。*1
*1 若い時、乱読していた翻訳ものの小説にほんとにそういう本が多かったし、あきらめずによく読んでいたなあ、と感心します。例えば、初めて読んだカフカの「変身」は高橋義孝版でしたが、角川文庫の中井正文訳を読んで、ずいぶんと取っつきやすく、一気に好きになりました。
で、後日あらためて新訳版の文庫を購入しました。
どちらかと言えば、『華氏451度』はトリュフォーが監督した映画版(『華氏451』)をとおして自分の中に物語が格納されているのですが、今日書きたかったテーマは『華氏451度』そのものではなく、伊藤典夫さんの新訳版に出てきた「あとじさる」という言葉のこと。
少女は足をとめ、驚いて、あとじさるかに見えたが、そうはせず、生きいきとかがやく黒い目でモンターグを見つめるので、彼は自分がなにかすばらしいことをいったような気になった。(新訳版文庫 15ページ)
これまでぼくは「後ずさる/後退る/あとずさる」といった具合に書き、また発声してきましたが、52年間も生きてきて、「あとじさる」という言葉は初めて目にした気がします。天下の早川書房の校閲部を誤字がすりぬけたとは思えません。とすれば「あとじさる」が正式な日本語で、「あとずさる」と経年変化し、現代に至って定着した言葉なのかな、と推測しました。
で、結論から書くと「あとじさる」も「あとずさる」も「後退る」の読み方/書き方として、両方とも正解なんです。もっと言えば「あとしざる」と読みがなを振ってもよいみたいですが。ただ、「退く(=しりぞく)」という言葉からの派生語として、じっくり検討するなら、なんとなく「あとしざる」が正しい気がしますけどね。でもなあ、うまく使えるかな、あとしざる、って(笑)。
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さらに話はズレますが(こんな展開ばっかりですね)若者たちが「永遠と」を多用するのが気になっています。
「こないだの日曜は友だちと永遠とガールズトークしていた」
「バイト先のラーメン屋で朝から晩まで永遠と皿を洗っていた」
───という使い方をよく耳にしませんか。
すでにお察しの方も多いでしょうけど、これは「延々と」の代わりに「永遠と」を使ってるんですね。たしかに「エ・ン・エ・ン・と」と発音するより「エ〜エンと」と発音するほうが口や舌の動きはラク。
またそれに合わせて「ウチラ、3年3組の絆は永遠だかんね!」といった具合に、〈永遠〉というワードを若者が好むようになったことも理由としてあるんじゃないか、とも思います。
あと、スマホでフリック入力すればわかるけど、「延々と」より「永遠と」のほうが指の移動距離が少なくてラクチンなんですね。それも遠因としてある気がするのですが、どうでしょう?
ちなみにぼくのこのnoteは、コロナ禍が一段落するまでは、と思って「延々と」書いていますが、このまま「永遠と」続けるのはしんどいな。
8月23日(月) NEW BREED
行きつけのカフェ(RICO SWEETS)では、あまりカフェ向きではないポストロックなどがBGMでよくかかるんですが、昨日もチーズケーキを食べながら『華氏451度』を読んでいると、聴き覚えがあるのにタイトルがぜんぜん思い出せない曲が聴こえてきました。
厨房横のパソコンのモニタを覗き込んで、iTunesをチェック。トータスが2006年にリリースした3枚組アルバム、33曲入りのレア音源集『A Lazarus Taxon』に入っている「CTA」───もちろんぼくも持ってるけど、これはさすがに思い出せなくても仕方ないや。
それにしても。『A Lazarus Taxon』ってタイトルはどういう意味なんだろう? と、15年も経って、いまさら気になった。さっそくググってみると、こんな解説文を見つけました。
ラザルス分類群
ある時に化石の記録から消えて絶滅したようにみえるが、後の時代になって再び出現する分類群のこと。一般に本来の個体群の大きさが極めて小さくなった場合、個体が化石となって保存される確率も低くなる。環境条件が悪化すると、生物はそれまでの生息地から離れて、新天地を探して生存し続けることがある。このような場合、広域の野外調査や文献調査が徹底していないと、その分類群は絶滅したものだと認定されがちである。ラザルスとは、『新約聖書』のヨハネの福音書11章と12章に記述されている人物。ベタニアの姉妹マリアとマルタの弟ラザロのことで、イエスの奇跡により死から蘇ったとされる話にちなんだ用語。
(小畠郁生 国立科学博物館名誉館員 / 2007年)
ラザルス分類群とは - コトバンク
なるほど、絶滅したと見せかけて、違う環境でしぶとく生き延びていたことをA Lazarus Taxon(ラザルス分類群)と呼ぶんだね。バンドの結成15周年を記念してリリースされたアルバムだったので、すごく良いタイトルだったんだな、とあらためて感じ入った次第です。
そういえばこれに似た、響きの謎めいたアルバムタイトルが他にもあったよな……と考えて、思い当たったのが、ドナルド・フェイゲンの4枚目のソロアルバム『Sunken Condos』(2012年)でした。
こっちは学術用語ではなく、Sunkenが沈没、Condosはコンドミニアム───要するに、ジャケのイラストそのまんまの情景をあらわした造語です。アルバムのリード曲「Weather in My Head」が地球温暖化をテーマにしていたので(歌詞にアル・ゴアの名前も出てくる)、海面が上昇して、海底に沈んでしまった都市のイメージなんでしょうね。
ひさしく聴き直してなかったけれど、発表当時はすごく聴き込んだな。ぼくのおすすめは5曲目の「The New Breed」で、この曲はぼくが理想とするスティーリー・ダン/ドナルド・フェイゲン・ワールドを、必要最小限の音で構築したような、ミディアム・ファンク・ナンバー。
ちなみに「The New Breed」は〈新種〉という意味で、偶然にも、トータスのギタリスト、ジェフ・パーカーが2016年に出した大傑作ソロアルバムのタイトルでもあるんですよね。
1曲目に入っている「Executive Life」は、ぼくが純セレブスピーカー制作にドハマリしていた頃、スピーカーの鳴り具合を調整するとき、かならず使っていた思い出の曲で───と、まあ、話が次から次に繋がって、いくつになっても、ひとり遊びが得意なぼくです(笑)。
8月24日(火) SECOND SHOT
夕方、二回目のワクチン。ぼくが打ってもらった病院は、以前、十二指腸潰瘍を患った時にお世話になったクリニック。問診の際、ワクチンのこととは別に、先生から「胃カメラもたまには受けなさいよ」って言われました。「アンタんとこ、すごい人気で予約も数ヶ月待ちだから、おいそれ検査できないんじゃん!」って喉元から言葉が出そうになったけど、大人げないのでヘラヘラしておきました。
さて、一回目より二回目のあとが大変で───という体験談をよく聞くので、食料とか水分の確保もしておいたんだけど、むしろ今回のほうが痛みも少ない。就寝後にドカンと発熱したなんて話もあるから、油断は禁物なんだけど、今のところ熱も倦怠感も気配すら微塵も無し。このままやりすごせたらいいけれど、どうなるやら……。
8月25日(水) PASSED AWAY
いりこ出汁に合わせ味噌を溶き、具は豆腐とわかめだけ。でも、この人が作ると、どうしてこんなに美味い味噌汁になるのかなあ───チャーリー・ワッツの叩き出すビートってそれに近いものがあります。
スネアを叩く左手はレギュラーグリップ、で、スネアを叩くタイミングでハイハットを抜く───というのはよく知られるチャーリーのテクニック(上の動画「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」参照)ですが、それに加えて、普通のドラマーはおおむねスネアの真ん中あたりを叩く(写真参照)けれど、チャーリーはロゴのあたりを叩いて、ちょっと金属的な響きを加えるのが音色面の個性です。
ただしグルーヴはちょっと走ったり、はたまた北国の訛りのように少しモタついて聞こえるところもある。でも、曲全体としてのバランスは崩れない。チャーリーはかつてインタビューで「わたしはプレイ中、キースのギターの音しか聴いていない」と答えています。歌をサポートするのではなく(ミックに「俺のドラマー」呼ばわりされて大激怒、彼にパンチをお見舞いしたあと「お前が俺の歌手なんだ」と言い放ったのは有名)、相性の合う演奏家(キース)とジャムするように叩く───やっぱり根がジャズマンだからでしょうね───そんなところが唯一無比のドラマーでした。
ぼくがいちばん好きなチャーリーのプレイは映画『Let's Spend the Night Together』の「Beast of Burden」。客演したサックス奏者、アーニー・ワッツ(マーヴィン・ゲイやフランク・ザッパとの共演経験もあるジャズマン)のソロに合わせて、ほんとに気分良く叩いてるのが伝わってきて最高。
たった一度きりだったけど、東京ドームで生チャーリーを聴けたのはいい経験です。
さて、話は変わりますが、ワクチン接種から丸一日。
結局、副反応は腕の痛みだけで、一回目のときよりむしろ軽かったくらい。ぼくはたまたまラッキーだっただけですが、頭痛、高熱、吐気などに苦しむ人がぼくのまわりにもほんと多くて、気の毒でなりません。同じ間隔で、打つ量も同じなのに、これだけ個人差があるなんて不思議。
8月27日(金) ある映画の物語
伊藤典夫さんの新訳版『華氏451度』読了。
ぼくにとって『華氏451度』はトリュフォーが監督した映画版で───云々と、日曜のエントリーに書いたけれど、そのときの自分を「これから一緒に殴りに行こうか(YAH YAH YAH、チャゲアス状態)」と思うくらい、伊藤さんによって再調整された小説がすばらしすぎて、読み終わってから数時間経った今も目が潤んでいるほど……というのはちょい大げさですが、それほど心揺さぶられました。いやあ、やっぱり読み直してみるものですね。
ついでにトリュフォーの映画もひさしぶりに再見したのですが、こちらはまったく正反対で、初見のときの感動はすっかり薄れてしまい、粗ばかり目に留まる始末で、なんとも残念な気持ちになりました。
映画版の弱点は、なにより彼がSF映画として撮らなかった……という点に尽きます。これはトリュフォーの明確な意図で、彼自身の言葉を借りれば「『華氏451』(映画版)では幻想的な話を日常的なスタイルで描くことによって、異常な事柄を正常な事柄に還元しようとした」ということになります。
要するに小説の中からあえて幻想的な話(SF的要素)をさっぴくことで、観ている人の日常に物語をほうりこもうとした、ということです。
〈日常〉とか〈正常〉というのは、どこかに据えつけておくことがとても難しいわけです。時とともにうつろい、その姿や形を変えていく幻の湖のような存在で、捕まえようとしても捕まえきれません。ブラッドベリが小説を発表した1953年の日常、映画が公開された1966年の日常、2021年の日常───比較する意味もないくらい、まったく変貌しているわけですよね。
トリュフォーが映画を撮った頃には、住居の壁にはめ込まれた巨大なテレビスクリーン、遠くの人と会話もできる極小サイズのワイヤレス・イヤフォンといったテクノロジーは〈異常な事柄〉でした。それをまるで〈正常な事柄〉のように映像化することは、当時の技術的にも、また予算的にも難しく、それ以上にひどく滑稽に映ることをトリュフォーは恐れたのです。*1
*1 ちょうどこの時期に007映画が世界中で大ヒットしていて、ジェームス・ボンドが乗る秘密兵器満載の車や、彼が使うスパイ道具をブラッドベリも「ギャグ」の一言で片付け、トリュフォーが自分の小説にあったSF的な描写の多くを省いたことを支持しています。
しかし、同時期のイギリスで、かのスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を撮影していて、トリュフォーの映画が公開された頃には、特撮パートの撮影や合成などの作業を進めていました。子供だましのおもちゃ遊びではなく、未来世界がリアルな〈日常〉として描くことにキューブリックは成功したのは指摘するまでもありません。また、トリュフォーが『華氏451』のために使用したパインウッド・スタジオは、その後『スター・ウォーズ』『エイリアン』などの撮影に使用され、SF映画の聖地となりました。
そこで、トリュフォーは新しいものを新しく描くのをやめ、あえて古びさせた……と『華氏451』の撮影日記『ある映画の物語』のなかで書いています。たとえば、主人公モンターグの自宅の電話はレトロなデルビル式の壁掛け電話だったし、テレビも家庭用の小さなブラウン管式のものを置きました。
ただ、SFは日常や現実との延長線……ではなく、いつかどこかに存在するかもしれない世界───つまり、まったく違う倫理や常識を基盤とした仮想現実や並行世界を、作家の想像力の赴くままに立ち上げることができます。*2
*2 『TENET』のようにすべてのエントロピーを逆転させるテクノロジーが存在する世界だとか、『猿の惑星』のように猿が人間を支配する世界、とか、人間を縮小して人体を探検する『ミクロの決死圏』のように。
『華氏451度』に登場する未来技術は、今ではあたりまえのものになっています。自宅の壁どころか、マンション一棟分に匹敵する巨大なIMAXスクリーンで映画を堪能できるし、ドローンによる爆撃が多大な戦果を挙げ、読み物は紙に印刷されたものではなく、手の中のスクリーンに明滅する情報の羅列に取って代わられています。つまり、現代社会では昇火士がわざわざ出動しなくても、日々、多くの書物が火にくべられているわけです。
こうやっていちいち指摘してまわらなくても、『華氏451度』でブラッドベリが想像した世界を超えたテクノロジーが現実となり、その多くはすでに〈家族〉のような存在として、ぼくらの暮らしに寄り添い、それ無しで生きるのが難しいほど親密になっています。
そんな新しいメディアやテクノロジーは、かつてナチスがラジオや映画でドイツ国民をプロパガンダしたように、為政者にとって大衆をたやすく管理し、扇動するためのツールとして、いともかんたんに利用できてしまう───その恐怖から人類はいまだ逃れられずにいるわけです。
『華氏451度』以降、トリュフォーはSFにいっさい手を出しませんでしたが、1978年に公開された『未知との遭遇』の科学者役として、スティーブン・スピルバーグがトリュフォーに声をかけました。
スピルバーグは、トリュフォーが1969年に作った映画『野性の少年』*3 に感銘を受け、宇宙人とのコミュニケーションをはかる科学者の役を彼にオファーしたのでした。おそらくトリュフォーは『華氏451』の失敗(自ら失敗作と公言していた)もあって、若き映画監督が手掛けるSF映画の制作現場を、一度は体験したかったんじゃないか、と思うのです。
*3 狼に育てられた少年を人間社会に適応させようとする研究者の物語で、研究者はトリュフォー自身が演じた。
トリュフォーが『未知との遭遇』に関して、なにか興味深い発言をしていないか、手当たりしだいに資料をあたってみたけれど、おそろしく長かった待機時間の愚痴くらいしか見つかりませんでした。*4
*4 トリュフォーはこの映画のために半年間も拘束され、その待機時間を使って、次作『恋愛日記』の脚本を書きあげました。
撮影現場を離れた役者たちが、食堂やバーに集まり、夜な夜なスピルバーグの悪口ばかり話しているのを耳にして、自分が監督しているときも影でこんな悪口を言われてるのか、と思ってゾッとした───と語っていたのはおもしろかったのですが(笑)『未知との遭遇』に関する感想は、賛否いずれの証言もまったく拾えなかったのです。思うところはあったけど、スピルバーグに遠慮して言わなかったか、それとも、なにかしらジェラシーのようなものがあって、真っ当に評価できなかったのか、どういう理由かは想像するしかないけど、トリュフォーはその後、1984年に52歳───今のぼくと同い年! でこの世を去りました。
2つ年上のジャン・リュック・ゴダールがいまだ存命で、3年前には新作を発表しているのは驚異的です。しかも、そのタイトルは『イメージの本』。膨大な映画、絵画、テキスト、音楽をゴダールがモンタージュして作り上げた作品で、今、思えば『華氏451度』のラストシーンに繋がるじゃないか!
書きながら気がついて、驚いちゃった。そっかあ、そっか、そうなんだ。